書棚と本棚 6

[書棚と本棚 6]

共同出版という名の自費出版

重金敦之

Shigekage Atsuyuki 文芸ジャーナリスト。

 さる日の新聞の案内広告欄(俗にいう三行広告です)にこんな内容の「自費出版」を募る広告が載っていた。
 A5版100頁100冊7万税抜~
 資料送〇〇タイプ印刷池袋
 ISBN番号取得を含む!!
 03(1234)5678
 世はまさに自費出版ブームである。各出版社は、ほとんどと言っていいくらいに自費出版事業を手がけているが、その市場規模は六百億円を超えるといわれる。主役は定年を迎えるにあたって、「自分史」の執筆や創作活動を目指す団塊の世代だ。自費出版と聞くと、「私の詩集です。買ってください」と書いた紙を首からぶら提げ、詩集らしき薄い本を持って新宿などの街頭に立っていた人たちを思い浮かべる。なぜか女性が多かった。或いは同一人物かもしれない。はるか昔のことである。自著を出すというのは、多くの人にとって「夢のまた夢」だったが、ワープロの普及などによって、かなり身近なものになってきた。
 自費出版に関しては、枕詞のように使われるエピソードがある。現在、年間で最も刊行点数が多い出版社は講談社でなく、自費出版を主に手がけている新風舎だというのである。同社の図書目録を見ると、小説、詩集(短歌、俳句)、エッセイ、紀行・海外事情、児童図書(童話・絵本)、写真集など幅広いジャンルの書名と著者名が並ぶ七百ページを越す大部だ。エッセイは自分史や闘病記が多い。現役の有名作家や、シナリオライター、カメラマンの名前も見える。普通の出版社というイメージを与えたいのだろう。
 映画やドラマにもなり四百万部を超すベストセラーとなった島田洋七の『佐賀のがばいばあちゃん』(徳間書店)も最初は、たけし(北野武)が命名した「振り向けば哀しくもなし」という三千部の自費出版だった。古いところでは島崎藤村の『破戒』も『日本文学小辞典』(新潮社)には、「自費刊行」と記されている。書籍ではないが、新井満作詞作曲の百万枚を超えたCD『千の風になって』も最初は三十枚の私家版だった。
 今までの常識からいえば、制作に要する費用を著者が負担して、本を所有するのが自費出版というものだ。企業や商店の社史、政治家の活動記録を思い浮かべてもらうと話は早い。ところが近ごろでは、「共同出版」、「企画出版」などと称して、書店での流通を売り物にする傾向が見られる。「あなたの作った本が全国の本屋さんに並びます」という大きな新聞広告が連日のように掲載されている。
 出版希望者を探し出すためには、「テレビ化」を謳う懸賞小説や、絵本などの文学賞、写真作品賞を創設して作品を募集する。「大賞」を逃した「佳作」の中から出版を勧誘する魂胆なのだ。「惜しくも入選しなかったけれど、私の好きな作品」、「書店に並べれば、きっと売れます」といった甘いセールストークで刊行を勧める。作品を決してけなさず、褒めに褒めまくって「私と一緒に良い本を作りましょう」と、マニュアル化された「誠意」で口説く。
 住宅のリフォームの強引な勧誘と変わるところはない。書籍の制作費は住宅に似て、編集費(装幀、デザイン、全体の構成、文章の推敲、校正)、組版、用紙、印刷、製本などの経費の集合体だ。注文住宅からプレハブ建築まであるように、柱一本の値段にもピンからキリまである。出版社が利益を上げるには、費用を増やすため豪華な装幀を勧めるのが常套手段だ。校正者を省略すれば経費は浮くが、出来上がった本は誤字、脱字だらけ。文章もでたらめで本の態を成さず、読むに耐えないものもある。
「共同出版」の内容と条件は各出版社によってかなり異なる。制作費を全額負担して三千部発注したとして、まず著者には数十部が「献本」として渡される。著者がさらに欲しいといって追加するには、定価の八割で買わなければならない。残りは書店に配本するからといって、通常一〇パーセントの印税の三パーセント分を前払いしてくれるところもある。いっけん良心的に思えるが、制作した正確な部数はわからないシステムになっている。三千部といっても実際は数百部程度しか制作していないサギ同然の悪質な業者もいると聞く。
 信用を重視する新聞社や大出版社(有名百貨店と提携しているところもある)の「自費出版部門」でも、流通経費や倉庫の保管料などは、当然請求される。新聞広告などの宣伝活動を要求すれば、それらも著者が負担しなければならない。
 その一方で、自分の好きな作家の全集と同じ紙を使って、本を出したいという豪気な好事家もいる。その手の紙は特漉きが多いからそう簡単には手に入らない。金に糸目を付けずに、箔押し、漆箔、天金(上部の小口だけに金箔を張る)、革・布装(自筆の絵柄を織りこんだ布を使う場合もある)、和とじ、帙や桐箱入りといった伝統技術の製法を希望する人もいる。そんな高価で手間のかかる本を作っている余裕は今の出版社にない。やがて消滅の運命にある技術を自費出版物が辛うじて支えるといった面もあるのだ。
 食べ歩きの記録を自費出版し続けている歯科医から先日も恵投を受けた。「こんな仕事しかできません。あなた様のご本を頂戴できれば」という手紙が付いていた。おいおい、ちょっと違うんじゃないの。アマチュアとプロの埒は守って欲しい。私はすしを握れますから食べてみてください、といってすし屋へ持っていくようなものではないか。
 また、二冊目のエッセイを出した別の友人は、元NHKのアナウンサーという人から「あなたの本を朗読して、テープにします」という手紙が送られてきた。目の不自由な人への奉仕と出版の記念になるから、是非と勧めてくる。有料であること、いうまでもない。「自費出版」を巡っては、金銭欲に捕らわれた魑魅魍魎が跋扈しているように見える。