|
HOME / 雑誌 / 一冊の本 / 書棚と本棚/ 書棚と本棚 7
書棚と本棚 7
重金敦之
Shigekane Atsuyuki 文芸ジャーナリスト
評論家の小倉千加子さんは、「神保町は大阪にはない街である」(『宙飛ぶ教室』朝日新聞社)と喝破した。銀座は心斎橋あたりに似たような光景があるが、神保町に該当する場所は大阪にはないというのである。高校生の頃から、神保町を歩いていた身にすれば、「そんなものかなあ」と思うほかない。「東京の中心は永田町ではない。神保町である」といわれても、にわかには賛成できず、戸惑うばかりだ。「灯台下暗し」とは、こんなことをいうのかもしれない。
東京には世界一と言われる神保町の他に、東京大学前の本郷、都の西北の早稲田が三大古本屋街といわれる。いずれも「大学の町」あるいは「学生街」である。慶応大学の三田はどうかというと、洋服屋のほうが古本屋よりはるかに多く、数軒しかない。慶応の学生はその事実を自虐的にとらえ、半ば開き直って自慢するところがあった。
早稲田の古書店「古書現世」の二代目、向井透史氏が早稲田周辺の古本屋の歴史と現状を鋭く考察した『早稲田古本屋街』(未來社)の中に、「今の大学生は、大学へ入って引っ越してくると、最初に買うのがテレビ、DVDにエアコンだが、昔の学生はまず本棚を買って、和辻哲郎、三木清、西田幾太郎などを並べた」(安藤彰彦氏=安藤書店)とある。言うまでもなく小倉さんが「神保町」を称揚するのは古本屋の数だけでなく出版社などを含めた「出版文化の町」を指している。その神保町が今変わりつつある。
◇
台風一過の日曜日、第四十八回の「神田古本まつり」が開かれている神保町に出かけてみた。第十七回の「神保町ブックフェスティバル」では名の知れた出版社が、「汚れあり」と称して、自社が正規に刊行した新本(発行日からはかなり経過しているが)を安い値段でワゴンに並べていた。もちろん再販制度の議論をふまえてのことだろう。
一般に美術全集、文学全集といった嵩の張る大型本は人気がないらしく、POP広告として並べてるように思えた。最近は本ばかりでなくマンガやアニメ、キャラクターなどサブ・カルチャー商品を専門に扱う店も増えてきた。秋葉原(アキバ)の影響を指摘する声もあるが、この傾向は昔からあったもので、作家の献呈本(献辞や署名入り)や年賀状、絵葉書、マッチのラベルから小説のさし絵の原画なども古本屋の扱い商品だった。著名な画家でも、出版物のさし絵の画稿となると、画廊で扱うことは稀だったのだ。
日曜日に集まってきた客層は、やはり熟年層というか年金受給の恩恵に浴していると思われる層が圧倒的に多い。その中にあってリュックサックを背負い、いかにも慣れた挙措で棚をのぞいて本を手に取っている若い人がいる。外見と顔を見る限り、どうも「愛書家」とは思えない。外貌から人品を判断するのは、品の良い所業とは言えないが、どことなく「読書」の雰囲気とは違っている。
◇
古書の世界でいうところの「せどり(競取り)」から、彼らを「セドラー」という。おそらく港に着いた親船の積荷を小船に移し変える「瀬取り」から出たのだろう。その小船を「瀬取り船」というが、「瀬」は浅いところだから、浅いところを選んで行く意味ではないか。辞書には「売買の仲買をして手数料を取ること」とある。
『早稲田古本屋街』(前掲)によれば、「他の古書店や古本市などで、自分の店ならもっと高く売れる本を買う仕入れの一方法。最近は、本業の古本屋の行為としてではなく、副業として、ネット古書店としての販売や、古書販売サイトなどでの売却を目的とする人たちが、新古書店などから仕入れる行為、という方が一般的かもしれない」とある。
新古書店というのは、有名チェーン店のように、カバーや帯が付いた綺麗な新刊書を、定価の一割とか二割で買い付け、五割程度の値付けで売っている。書籍の作家や内容は関係ない。内容よりも発行日と外装の美醜が問題とされる。ネットなどで人気の作家が、ネット上の価格よりもはるかに安い値段で新古書店に並ぶケースもある。「ヤフオク」(ヤフー・オークション)や「ラクオク」(楽天オークション)といったネット上のオークションに出品して、利ザヤを稼ごうというのである。同行してもらったセドラーによれば、セドラー同士は一目でお互いの素性がわかるそうだ。
出来るだけ新しい本を、汚さずに仕入れる新古書店は、ある意味で、「万引き」と無縁ではない。ある地方都市で代表的な書店が倒産した。その途端、近くにあった新古書店が二軒も店を閉じたという笑えない話がある。新古書店からすれば、店頭に並べる商品の供給源が断たれたわけだ。「万引き」の被害がいかに大きいかを物語っているではないか。ケータイで情報ページを写しとる「デジマン(デジタル万引き)」の被害も深刻で、店内に「ケータイによる撮影お断り」と掲示を出している店もある。
神保町は押し寄せる新しい波に洗われながらも、それなりに「東京の中心」として生き続けていくのだろう。
|
|