山形浩生のNot Yet

経済学的・進化論的説明の限界

The Economic Naturalist by Robert H. Frank, Basic Books, 2007

山形浩生

Yamagata Hiroo

 経済学者が身の回りのいろいろな現象を経済学的に説明する、という種類の本は昔からある。なぜ銀座で飲む酒は高いのか、という質問に対して、それは地価や賃料が高いからその分が上乗せされるからだ、という説明がある。それに対して経済学者は、その答えが因果関係を逆にしている、と指摘する。むしろみんなが銀座で飲む酒に高い金を払うからこそ、銀座の地価は高いのである、と。銀座の酒が高いのは、雰囲気とかサービスとかバーテンの技量とか各種原因のために、地元の酒場でなら考えられないような勘定書がきてもみんな我慢して払うからであって、地価や賃料のせいではないよ、といった具合に。ゲーリー・ベッカーやランスバーグ、フリードマンなんかもそんな本を書いている。
 でも最近、特にレヴィット&ダブナー『ヤバい経済学』がベストセラーになってから、こうした本は増えると同時に、その傾向にも少しちがいが出ているように思う。これまで経済学の守備範囲と思われていたもの――つまりはもっぱらお金――以外のものに経済学的な考え方を適用するような本が増えているということだ。同時に、ドーキンスやピンカーなどが普及させた、進化論的な説明との親和性もそこに貢献しているだろう。経済学の基本的な発想である、希少な資源を人や生物がどのように配分するかという問題は、進化の過程でも重要だった。実際、本書でも進化論についての話が随所に登場している。なぜ一部の動物ではオスがやたらにでかいのか? そこで使われる説明は、なぜ女性が明らかに歩きにくいハイヒールを履くかについての経済学的な説明とまったく同じとなる。この発想の応用範囲の広さが、だんだんに認識されてきているのだろう。
 本書も、そういう本の一冊だ。機会費用といった経済学の基本的な考えが、経済学入門の学生はおろか経済学の教師たちにすら理解されていないことに怒った著者フランクは、そうした概念を直感的に理解させてくれるような日常生活の何気ない疑問を見つけ出し、それについて説明するレポートを書けと学生たちに命じた。そのレポート群をまとめなおしたのが本書だ。
 その多くは非常におもしろい。なぜ航空券は間際に買うと高いのに、ブロードウェイのミュージカルは当日半額チケットが出るのか? なぜアメリカはサッカーで弱いのか? なぜ高い高級ワインを一本プレゼントされるほうが、同じ金額でも安物ワインを十本プレゼントされるよりうれしいのか? 割引クーポンの存在意義は? なぜビデオデッキや各種ソフトには絶対使わないような機能がごちゃごちゃついているのか? たぶん経済学にそこそこ詳しい人にとっても、意外な答えがかなりたくさんある。説明としても、日本で売れた物干し竿屋についての本よりはきちんとしているし、『スタバではグランデを買え』という本が必ずしも正しくないのもわかったりする。
 問題は……本書が各種の問題について出す「答え」の半分くらいは、ぼくには(そしておそらくは読者の多くには)あたりまえにしか思えず、そしてその残りの半分くらいは、明らかにまちがっているように思えることだ。
 たとえば、なぜ牛乳は四角いカートンに入っているのに、清涼飲料水は丸い缶に入っているのか? 本書の答えは、牛乳は冷蔵庫に入れなきゃいけないから。丸い缶は、店の冷蔵庫につめたときに隙間ができる。その部分を冷やすコストがもったいない。缶は常温で売られることが多いので、そのコストが問題にならないんだって。
 うーん、日本では缶もたいがい冷やしてありますが? 本当に、丸い部分と四角い部分の隙間を冷やすわずかな費用が、容器の形状を左右するほど大きな要因になっているんだろうか? 冷蔵しなくても倉庫のコストはそれなりにかかるんだし。それに、それだと牛乳パックはいいとして、なぜ缶が丸いかの説明にはなってないのでは? 清涼飲料水は炭酸で加圧されていることが多く、それを封じ込めるにはエッジのない丸い形のほうがいいとか、そんなことじゃないのかな?
 あるいは、なぜ日本人はアメリカ人より結婚式に金をかけるのか? 本書の「答え」は、日本がアメリカよりも人間関係を重視するから、というもの。だから結婚式みたいなイベントでは何百人も招待して人間関係の維持をはかろうとするので、必然的に金がかかる、そうな。え~、日本だってよほどの田舎か芸能人でもなきゃ、そんな百人超も呼ぶような結婚式しませんけど? 日本では参列者がみんなご祝儀を包んで費用を一部負担してくれるから、じゃないのかなあ。
 これは、この手の経済学的・進化論的「説明」すべてにつきまとう問題だ。一見もっともらしい「説明」は、本当なのか? なぜ女に方向音痴が多いか? それは昔、人類の祖先がアフリカの草原やジャングルにいた頃、あたりをうろついて食料を採ってくるのは男の役目だったから、男のほうはそういう能力を進化させたんです、なんていう「説明」をよく見かけるけれど、実はそんなのは別に実証されたわけでもなくて、ただのお話以上のものではない。
 ただし本書のいいところは、そうした問題点に自覚的なところだ。一部の質問には答えがない。なぜ茶色の卵は白い卵より高いのか? 諸説あるがわからん。そして、最終的には本書に収められた各種レポートは、絶対に非の打ち所がない正解を出すことを目的とはしていない? と著者は冒頭で書いている。日常的な現象にどうやって経済学的な発想を適用するかを理解することこそが重要なのだ、と。そして、それを通じてその根底にある経済学的原理そのものを理解することが重要なのだ、と。本書は(留保はつけるが)それにはある程度成功している。