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書棚と本棚 10

[書棚と本棚 10]

エッセイと小説とのあわい

重金敦之

Shigekage Atsuyuki 文芸ジャーナリスト。

 昨年の十一月から毎月刊行されていた朝日文庫の「池波正太郎エッセイ・シリーズ」全七巻がこの五月に完結した。
 第一巻の『東京の情景』は八五年に刊行された画文集『東京の情景』(朝日新聞社)を底本にしたものだ。その底本は現在古書店にも滅多に姿を現さない「幻の本」として池波ファンの間では垂涎の書といわれている。おなじみの著者の筆による絵も収録され、待望の文庫化となった。多くの反響が寄せられた、と聞く。
 絵と文の初出は、今はなき「アサヒグラフ」(朝日新聞社)に八三年六月から半年間連載された。丹念にスケッチしながら東京都内を歩き回ったことが、雅趣ある彩筆と鋭い眼力を通して彫琢された短い文章から看てとれる。初回は昨年十一月に「池波正太郎生誕の地」の記念碑が建てられた待乳山聖天宮を大川の対岸から描いている。二三(大正十二)年のことだから生家は現存しないが、記念碑から生家跡までは数十メートルと離れてはいない。
 八三年といえば還暦の祝福を受け、直木賞の選考委員を務め、三大シリーズの他に、『雲流れゆく』(文春文庫)を「週刊文春」に連載するという最も多忙な時期だった。執筆の合間の息抜きという面もあったろうが、何事にも手を抜かずに綿密で段取りの良い「職人気質」が絵と文に楽しく結実している。
「あとがき」では、〈東京が、おもいのほかに美しく変貌したことに、あらためて気づいた〉と書く一方で、〈私のように東京で生まれ育ったものは、このメトロポリスに東京を感じない〉と、苦渋を秘めながら東京への愛憎を述べている。晩年の現代小説の佳品『原っぱ』の原型が本書にあるといってもいい。
 第四巻の『チキンライスと旅の空』には、「母」という一編が収録されている。父親と喧嘩別れをして家を出て行った母親が再婚した末に再び離婚し、異父弟を連れて戻ってくる。その後の母親の奮闘振りと妻を迎えた著者が、嫁姑との三人で作り上げる「作家の巣」の物語だ。七三年に「文藝春秋」誌に発表された。
 これを読んだ同じ東京下町生まれの吉村昭氏はいたく感激し、津村節子夫人にも読ませた。そして著者宛に賛嘆の「はがき」を出す。実に優れた「短篇小説」だというのである。七六年に「別冊小説新潮」誌で、吉村氏は著者と「東京の町と人情」について対談をしているが、そこでもこの「母」が話題になっている。
「とてもすばらしい小説だ。奥さんとお母さんと主人公であるわたしごとき人物とね……」という吉村氏に対して、「どこをほめてくれるんだかわかんないな」と、恥ずかしそうに応じている。著者はあくまでも、「エッセイ」のつもりで書いたと思われるが、吉村氏はそこに秘められた「演出」を見抜いて「小説」と断じ、賞賛したのだろう。
 エッセイと小説との境界線は、近頃きわめて曖昧になっている。エッセイストを自認する玉村豊男氏は、「現代のエッセイは、小説と違って作り話をしない」と、その著『エッセイスト』(中公文庫)で規定している。読む人の受け取り方によっても違ってくるが、「作り話」と「演出」との差は紙一重でしかない。
 川本三郎氏の新著『向田邦子と昭和の東京』(新潮新書)によると、「向田邦子の随筆は短篇小説の趣きがあり、ここというところで創作を加えたのだろう」と書いている。出世作ともいうべき『父の詫び状』(文春文庫)の中にある、「父親の急逝に動転した母親が、遺体に豆絞りの手ぬぐいを掛けた」という挿話を指している。家族によれば、この他にも「作った部分」があるとのことだ。
 著者のエッセイにも、「作り話」は存在する。ただ担当編集者として、その創作部分をどこまで詳らかに明示していいものかどうかは、大いに悩むところでもある。
 ところで今回のシリーズの特長として、未刊行のエッセイ十数点が初めて収録されていることが挙げられる。
 第四巻には、「レコードこの一枚」(朝日新聞夕刊八六年九月十一日)、「東京の夏」(朝日新聞夕刊八七年七月十七日)、「はじめてテレビを買ったころ」(朝日新聞夕刊八八年十月三十一日)の三作。
 第五巻には、朝日新聞夕刊で八三年八月十五日から二十七日まで掲載された「日記から」(「ガムつぶて」、「大根侍」、「真昼の決闘」など)の十二回分すべてが同時収録された。
 八八年の「はじめてテレビを買ったころ」には、親しかった荻昌弘氏とおおば比呂司氏を急に喪い、痛嘆する心情が胸を打つ。
〈雨また雨の毎日、ベッドへ寝ころんで、この二人の友人のことを、あれこれと考え、ついに朝となってしまうこともあった。
 いずれにせよ、六十をこえれば、最期のときがせまっている。
 むろんのことに、これだけは体験したことがないわけだから、大いに不安であり、恐怖を感じるが、自分が、どんな最期をとげるか、それをいよいよ見とどけるという興味と好奇心がないでもない。〉
 私も荻、おおば両氏とはよく旅に出かけ、著者を交えてしばしば酒飯を共にしたことがあったから、哀惜の念が重く伝わってくる。そして独特の死生観は、この稿をしたためてからわずか二年足らずして、二人の後を追うことになるのを見通していたかのようにさえ思えるのだ。いままで採録されていなかったこの「遺書」といってもいい珠玉の小稿が広く世に出るだけでも、今回のシリーズ完結の意味があったといえよう。