山形浩生のNot Yet

「正しい金融論」の射程

The Next Great Globalization
by Frederic S. Mishkin, Princeton Univ. Press, 2006

山形浩生

Yamagata Hiroo

 いまこの本を薦めるのは、なかなか勇気がいることだ。みなさんがこれをお読みになっている時点ではどうか知らないけれど、執筆時点ではリーマン兄弟が倒産したばかり、ダウ平均も日経平均も自由落下状態で、途上国どころか世界が金融危機で揺らぎ、ほれみたことか、他人の金でばくちを打っているような投資銀行だの金融屋だのにでかいツラをさせておくからこんなことになるのだ、という風潮が高まっている。
 この手の議論は昔もあった。たとえば一九九七年のアジア通貨危機では、これはヘッジファンドの陰謀だなどとマレーシアのマハティール首相(当時)が騒いだのはお笑いにしても、金融機関が安易な政府保証に過度の信頼をおいて短期の資金をつっこみすぎ、ちょっと風向きがやばくなったとたんに逃げ出したのが問題を悪化させる大きな原因となった。欧米主導のグローバルな資金の流れ、実体経済とは無関係に、勝手な見込みと期待だけで流れる金融の動きが諸悪の根源だという話はたくさん見られた。その他あらゆるバブルで見られる議論でもある。そしてそれに対する方策としては、無責任で野放図な資金の流れは抑えるべきだ、金融のような何も生み出さない虚業ではなく実業を重視すべきだ、というものが一般的だ。
 が、本書はこうした議論にほとんど正面から反対する(といっても、本書が執筆発売された時点では、もちろんいまのような騒ぎはほとんど予想だにされていなかったわけだが)。本書の主張は、発展途上国の金融システムを発展させることで、かれらの飛躍的な発展を促進しよう、というものだ。
 これまで、モノの自由化(貿易)、情報の自由化(インターネット)で飛躍的にグローバリゼーションが進んだ。その次のグローバリゼーション——本書の題名でもある——こそは金融自由化だと著者は論じる。
 途上国で金融というと、多くの人はグラミン銀行のようなマイクロファイナンスをイメージするかもしれない。ごく少額の融資を農民や手工業職人に与えるような試みだ。でも著者がイメージしているのは、もっと普通の銀行であり証券市場だ。マイクロファイナンスも結構だけれど、しょせんは少額だし、できることは限られている。インフラ投資とか企業の事業資金とか、そういうものをきちんと出せるようにならないと発展しない、と。
 著者ミシュキンは、金融の分野では非常にえらい先生で、アメリカで金融論を勉強した人のおそらく七割以上は、この人の教科書で勉強しているはず。そしてかれが発展途上国に見る問題の多くは、お金がきちんと使われるべきところにまわっていない、ということだ。そしてミシュキンの教科書を読んだ人ならみんな知っているように、金融の一つの大きな機能は、必要とされているところにお金をまわすということなのだ。
 それはたとえば、融資の申し込みをチェックして審査する銀行の業務にある。融資すべきところに融資して、そうでないところに融資しない。あるいは証券市場は、原則としてはよい投資機会を見つけてそれにお金を出す仕組みであるはずだ。それは本来、そういう形で実業を助けるものとして存在しているのだ。
 でもろくに経済の基盤もない途上国で、金融だけ発展させるなんて現実性はあるの? むしろ先進国がいっぱい援助すべきじゃないの?
 すでに日本や欧米各国は、対アフリカ援助を倍増させるとかいろいろ宣言しているんだし。
 でもミシュキン的には、それはダメだという。ODAはいまや、少なすぎるより多すぎるのが問題なのだ、と。そのときの援助の流行で人気あるところにはやたらに金が行き、無駄遣いされる。またその配分も政治的なお手盛りで決まることが多く、本当に必要とされるところに行かない。そして外国の気まぐれですべてが決まり、その国の人々が自分で自分の資金の使い方を決めるようにならない、という。少ないお金を自分たちで考えて有効に使えるようになることに、金融改革の意味はあるんだ、と。
 そしてかれは、それを実現させるための金融セクターの育成手段について述べる。きちんとした制度を定めるべきだ、透明性を高めて会計原則を貫徹させ、銀行にはリスクに応じた準備金を積ませる…。
 議論として、何か決定的に目新しいことが書いてあるわけじゃない。どの議論も比較的常識的なものばかりだ。先進国はすでに投資機会も減ってきて、途上国のほうがずっと成長力があって潜在収益力が高いはずなのに、なぜ投資が途上国に向かわないか、というのは昔からの問題で、その理由の一つは金融システムなどの投資環境が整っていないということだ。そして最後の金融セクター育成手段は、別に発展途上国に特有のものではなく、どこでも言われていることだ。その意味で、ミシュキンの議論は正しい。正しいんだが…。
 今回の騒動を見ると、ミシュキンの議論がなんとも楽観的に見えてしまうのは人情だろう。金融は、必ずしも適正なところに投資を振り向けなかった。それに対して、透明性がなかった、制度が悪かった、ということはできるし、そうした批判にも一理あるんだけれど、アメリカでさえそんな状況なのに、途上国の金融セクターが完璧にできるわけがないじゃないか?
 さらにアジア通貨危機では、金融危機を救うはずのIMFがかえって事態を悪くして、非常時の救済策も不十分であることがあらわになっているし…。
 とはいえもちろん、長期的にはミシュキンの言うような金融整備は不可欠だ。まともな銀行サービスは、一般市民にとっても重要となるものだし。そして本書は、金融の仕組みについての簡潔な解説書にもなっていて有益。本書を読んで、金融の役割について勉強しつつ考えてみていただければ…と思うのだ。それは今回の金融危機について考えるうえでも、必ず役にたつはず。