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書棚と本棚 15

[書棚と本棚 15]

「すごい本屋」がある

重金敦之

Shigekage Atsuyuki 文芸ジャーナリスト。

 今回、『ポストスライムの舟』(講談社)で芥川賞を受賞した津村記久子さんは、「受賞のことば」を次のように述べている。
〈家族と友人、職場の方々、お世話になっている出版関係者さんと書店員さん、選考委員の先生方、そして読者の皆さんに、多大なる感謝を申し上げます〉
 わざわざ「書店員さん」を挙げているところに昨今の出版事情が見て取れる。「書店大賞」などの影響があることは、いうまでもない。
 町のなかの書店が減っている。石田千さんの『店じまい』(白水社)の中の「坂なか書店」の項にこんな文章があった。
〈駅前、商店街、大通り、学生街、交差点。男の子と待ちあわせをしたり、母が重たい婦人雑誌を配達してもらっていた店も、もうない。あんなにおおきな渋谷の町でも、大学時代にのぞいた店で残っているのは、もう二軒しかない〉
 気をつけてみていると、本屋に限らず鮮魚、野菜、玩具、文房具など、昔からあった小売店が軒並み姿を消した。書店はコンビニエンスストアや郊外型の大型店舗とネット販売にその座を奪われたといっていい。鮮魚や野菜はスーパーマーケットに「吸収」されてしまった感がある。
 コンビニでもスーパーでも、黙って商品を出せばスキャナーがバーコードの価格を瞬時に読み取るPOS(販売時点情報管理)システムが広く浸透している。お客も黙って、お金を出せばいい。昔は電車の切符も窓口で「○○駅まで大人一枚」と言って買ったものだが、自動券売機が普及したから口をきく必要がなくなった。その代わり路線図の駅名を探し出して行先の料金を探し出すか、タッチパネルを読む作業がある。当初はお年寄りから、「○○駅まではいくらですか」と、尋ねられたことがしばしばあった。本格的に導入され始めた七〇年代初めは文字を読めない人もいたし、字も小さく複雑な路線図の中から目的の駅を見つけるのは難儀な作業だ。
 この変化は店とお客の間で交わされていた言葉が消えたことを意味している。顔と顔を向き合わせる会話が無くなったということだ。相手の表情を読み取ることもない。店員はマニュアルに示された通りに手を前に合わせて、「アリガトウゴザイマシタ」とロボットのように繰り返すだけである。ネットによる商行為はクリック一つで終わってしまう。
 井原万見子さんの『すごい本屋!』(朝日新聞出版)の舞台となった「イハラ・ハートショップ」は、そんな無機的な書店とは対極にある店だ。所在地は和歌山県の御坊市からバスで一時間以上かかる日高川町(旧美山村)で、紀伊半島の中央部と言っていい。二十坪ほどの店内は左半分が本、右半分には味噌に醤油、パンや洗剤、電池、ゴミ袋からアイスクリームに冷たい飲み物、駄菓子などの日用品が置いてある。
 二百メートルほど離れた所に住む八十歳を過ぎたおばあさんが、「いつもの細長いパン、そいと、のど飴も。ほいから、仏さんへ供えるお菓子も……」と買い物に来る。「塩をおいてくれへんか」という頼みに一年半かけて塩の販売手続きを取ったこともあった。夕方になると、学校帰りの子供たちが、クジ付きの駄菓子を買いに寄ってくる。マヨネーズやレトルトのカレーを買いに来る人もいる。
 本が届くのは早くて午後の一時半ころになる。トーハンが委託している出版輸送会社が御坊市までは来るが、それから先は地元の運送会社が近隣の会社や商店などの荷物と混載して順次運んでくる。週刊誌などは半分くらいが定期購読だ。新刊書は店主の井原さんが、買いに来てくれるお客の顔を思い浮かべて自分で発注している。
 周辺にある六つの小中学校へ学校図書館向けの新刊書を持って訪問販売することもある。先生の中から、「新刊本をもっとゆっくりと子供たちに見せてあげたい」という声があがったからだ。しかし、子供たちはあまり関心をしめさない。井原さんは子供たちが本を実際に手に取って選べるようにしたいと思う。
 また、保育園や小学校に「絵本を読みにいかせてもらえませんか」と言い続けて実践する。二十年、三十年と何度も重版を重ねているロングセラーの絵本を子供たちの前で読んでみると、確かな手ごたえがあった。大人たちは、「子供は本が嫌い」と一方的に思いこんでいるのではないか、と井原さんは考えるようになった。
 やがてエスキース(絵本の下絵)の展示を企画し、原画の展覧会や絵本作家を呼んで子供たちとの交流を図るまでになった。『かいけつゾロリ』シリーズ(ポプラ社)の原ゆたかさんが夏休みに来て、「お絵かき会」と「サイン会」を開いた。最初は著者がなぜサインをするのか、意味が分からない子供たちもいた。写真絵本『やあ! 出会えたね ダンゴムシ』(アリス館)の作者、写真家の今森光彦さんの写真展も開いた。かつて昆虫図鑑を買ってくれた子供が二年前に書いた今森さんの本の感想文を作者の前で読むという感動的なシーンもあった。
 小さな山奥の書店が手作りの出版文化の発信地となった。それは、もう立派な「教育基地」と言ってもいいだろう。少子化と高齢者が増える典型的な過疎化が進む地域で、どうして書店が続けられたのか。『すごい本屋!』の帯には、「本屋さんの小さな奇跡」とある。東京からライターやテレビ局の人たちが訪ねてきた。井原さんも和歌山から夜行バスで東京の卸業者や出版社まで何度となく出かけた。
 一冊の本を売るのに、都市部に比べたら多大な経費がかかっていることは容易に想像がつく。北海道や沖縄の離島だったら、層倍にもなるはずだ。本書の行間から出版再販制度によって定価が守られていることを読み取らなくてはならないが、再販制度についてはまた触れる機会があるだろう。
 石田千さんは、馴染みの書店が消えたときの様子を店主から聞いて、「森がなくなったときのようだ」と前掲書で表現している。森が消えるのは、言葉が消えることと同じだということに早く気がつかなくてはいけない。