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書棚と本棚 17

[書棚と本棚 17]

編集者の仕事(承前)

重金敦之

Shigekage Atsuyuki 文芸ジャーナリスト。

 前回は半世紀以上も前の編集者の話だったので、今回はもう少し新しいところを紹介したい。文芸、とりわけエンターテインメント系と言われる雑誌編集者の話だ。
「小説新潮」の元編集長、校條剛氏が『スーパー編集長のシステム小説術』(ポプラ社)なる本を出版した。今まで多くの作家が「小説入門」とか、「小説作法」といった類の本を出版している。しかしどういうわけかそのほとんどは純文学系の作家で自分の世界観や流儀を押しつけるものが多いと、校條氏は指摘する。
 朝日カルチャーセンターで「エンターテインメント小説を書きたい!」という講座を担当し、日大芸術学部文芸学科で教える校條氏は、多くの人が「小説を書きたがっている」ことに気が付く。「小説は誰にでも書ける」と主張し、「自分の精神を追い詰めるような純文学」ではなく「エンタメ」文学を書くように勧める。「自分の生活や経験に基盤を置く必要がなく、精神が健全」だからだという。
「エンターテインメント小説」は略して、「エンタメ」といわれる。なんでも四文字に略してしまうのが、日本人の得意技だ。五木寛之氏の『蒼ざめた馬を見よ』が直木賞を受賞した昭和四一年頃から「エンターテインメント」なる言葉が盛んに用いられたのではあるまいか。もしかしたら五木氏が初めて使用したような記憶もあるのだが、確証はない。池波正太郎氏は、「本来は芝居や音楽などの興行界の用語ではないか」といってあまり好まなかったのを思い出す。
 ちょっと話が逸れた。三十数年間も文芸編集者一筋できた校條氏は言うに及ばず、すべての文芸編集者は新しい作家の「発掘と育成」に賭けていると言ってもいいだろう。その一つの手段としてさまざまな「文学賞」がある。多くは作家が選考委員を務めるが、校條氏はそのシステムに疑問符を投げかける。実状は、「下読み」と称して、出版社員以外の人たち(名前の売れた書評家、引退した編集者、フリーのライター、受賞者OBなど)が「荒選り」をする。この段階ではじかれたら、「敗者復活」はない。「文学賞」については、また触れる機会もあると思うので先を急ぐ。
 昔から小説に限らず漫画やさし絵の習作を出版社に持ち込む人は多い。編集者の机の引き出しには、何篇もの作品が入っているはずだ。陽の目を見るのは、その内のごくごく僅かでしかない。文芸編集者の日常について、校條氏はつぎのように記す。
〈編集者は既成の作家との付き合い(アテンド)に大半の時間をとられ、自社の文学賞候補作品や話題の新作に目を通す時間をやっと捻出し、毎月入稿するゲラも丁寧に読めず、持ち込みの原稿に目を通す余裕などまるっきりない。〉
 持ち込みの原稿が大作家から頼まれて回ってきたものならば最優先して読むだろうが、一般からの持ち込みは受け付けないというのが基本スタンスだという。ここでも前回に紹介した「ソロバン」の論理が作用している。これでは作家を目指す人にとって夢も希望もないことになるが、新人作家の発掘のためには、「エージェント」が必要になると予測し、ブログやメルマガ、無料投稿サイトや電子書籍サイトを利用するという手もあるそうだ。
〈文芸編集者は、仕事量として、圧倒的に、「読む」こと、すなわちインプットが多く、一旦取り入れた情報や観測や思考を整理してアウトプットする場がほとんどありません。〉
 その通りで、本来「縁の下の力持ち」、あるいは「影武者」、「黒子」といった類の職業だ。そういえば、「編集者とは他人の力を借りて、自己主張する人種」と半ば自虐的な名文句を吐いた有名編集者がいたのを思い出した。
 プロ野球、楽天イーグルスの野村克也監督は、「キャッチャーは、いわば“他力”を使って自分の理想を実現しなければならない。ピッチャーが要求どおりの球種やコースに投げてくれてはじめて自分の狙いがかなうのである」と言っている。このキャッチャーを編集者に置き換えてみると、編集者の仕事の本質が見えてくるのではあるまいか。
 しかしこの編集者やキャッチャー自身が作家やピッチャーに与える影響について気づいていない人が多い。校條氏も雑誌にエッセイを発表したときに編集者の有難みと重要性に気がつき、編集者の助言や評価が、「神の声」のように響いたと述懐している。編集者が執筆者の立場になって初めて自分の仕事の重要性が実感できるのだろう。
 前回、編集者は座談会を仕切らなくてはならない、と述べた。実際に自分が座談会の出席者になってみると、会場の設営、進行、謝礼の受け渡し、発言の構成、確認など、編集者の良い点悪い点が手に取るようにわかる。そこで編集者として、「一皮剥ける」ことになる。だから機会があればの話だが、編集者も他の媒体に執筆し時には黒子を抜け出して表舞台に出てみると、大変勉強になると思うのだ。
(この項続く)