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書棚と本棚 18
重金敦之
Shigekage Atsuyuki 文芸ジャーナリスト。
雑誌編集者の仕事と生活を客観的に書き残しておきたいと、柳田邦夫(一九三二〜八八)は一九七八年に『書き言葉のシェルパーーそれでも君はジャーナリストになるか』(晩聲社)を刊行した。学習院大学を卒業後、五九年に中央公論社に入社した柳田は、「中央公論」、「週刊公論」などの編集を担当し、退社後もフリーの編集者として活躍した。
面識はなかったが、雑誌と編集者の仕事について考えさせられるところが多かった。発売十日後に二刷となっているから、編集者仲間ではかなり話題になった書だ。
中央公論社を辞めてから五〇代で亡くなったが、確か一紙くらい新聞にも訃報が載った記憶がある。二〇〇一年、アフガニスタンを取材中にアルカイダに拘束され、まもなく救出されたフリーランスの柳田大元氏はご子息である。
書名の「書き言葉のシェルパ」というところからも窺われるが、かなり自虐的で付会なところもある。冒頭から、「他人の原稿に手を入れ、校正し、広告のコピーを書く。もちろん文章も書いて、データをそろえ、筋書きを作って文体まで指定し、翻訳まで手掛けることもある。しかし、リライターや校正者、コピーライター、文筆業者、作家、翻訳家ではない」と、斜に構えた編集者像を紹介している。
編集者の本質的な性癖として、自分を含めてあらゆる物事をシニカルに見る傾向があるようだ。いつも、「自分ほど不幸な人間はいない」と思っているように見える。
「文体まで指定することもあるが作家ではない」と記すが、編集者であればすべて「ゼニになる」文章が書けるか、というとそんなことはさらさらない。作家の作品について筋の展開や話の構成、人物の造形などについて的確な批評をすることと、文章を書くことは別なのだ。編集者から作家になった人も少なくはない。どういうわけか、中央公論社は昔から多かった。それはともかく、編集者がすべて作家になれるなんてことはない。筆力のない編集者も多いのだ。
芝居などの世界に「見功者」と呼ばれる人たちがいる。芝居を見慣れていて、見方が上手な人のことをいう。これになぞらえて「読み功者」という言葉が出版業界というか編集者仲間にある。新人作家の発掘や中堅作家に「教育的指導」を行うケースもあるだろう。
またこの文章は売れるか、売れないかを動物的に判断できる編集者がいる。そこでは編集者の筆力は関係ない。自分では実際に書けなくても、作家の文章の良非について語れればいいのである。
〈「事件」が起これば「ネタだ」と喜び、人が助かれば「なんだ」とがっかりする。危ないものは見ようとはするが近づく気はない。金は欲しいがいらないと痩我慢をして後悔するくせに別に稼ぐ気も持たない。〉
ジャーナリストといってもいいのだが、編集者に野次馬的好奇心は欠かせない。編集者から好奇心がなくなっては、編集者人生も終わりだ。しかし野次馬が当事者になってしまっては行き過ぎになる。「危ないものは見ようとはするが近づく気はない」というのは、客観性を保つということだろう。相手が事件でも作家でも、情熱的に対象にのめりこまずに、一定の距離を置くということだ。楽観的というよりは悲観的。攻撃的というよりは、守勢的人間が多い。その辺りの冷静な平衡感覚を考えると、編集者は「肉食系」よりも今を流行りの「草食系」かもしれない。
前回、野村克也監督の言葉を借りて、編集者は野球の捕手のようなものかもしれない、と書いた。柳田は、「野球でいえばキャッチャーだといいたいところだが、野球選手のような派手さや豪快さとは無縁であって、むしろグラウンドの整備職員といった方が正確だと思う」と、ここでも相変わらず偏屈で「自虐的」だ。
葬儀の手伝いからお祝いのパーティーの設営など、本来の雑誌や書籍の編集とは、あまり関係のない「雑用」も仕事のうちなのだ。それでは編集者にとって「役得」はあるのか。グラウンドキーパーなのだから、一般大衆(読者)よりも「選手」たちの仕事ぶりをより近くで見られるくらいのものだ、と柳田はいう。
〈古ぼけた「文士・学者」の記念写真の説明に、かならず出てくる「ひとりおいて」次は誰ソレ。「ひとりおいて」のひとり、それが編集者である。〉
本書の刊行時と比べて編集者の仕事は大筋では変わっていない。細部では携帯電話(若者はケータイと表記するらしい)ひとつとっても大変な様変わりだ。
〈文章読本など何度読んだって文章はうまくならないように、雑誌編集者の能書なんかいくら読んでもタメになることはあるまい。〉
柳田は、本書で徹底して皮肉を込めて自己をいじめ、恥部をさらしながら諧謔の世界に遊んでいる。これぞ雑誌記者にとって不可欠な「遊び心」といえよう。
(この項続く)
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