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書棚と本棚 22

[書棚と本棚 22]

編集者の仕事(承前)

重金敦之

Shigekage Atsuyuki 文芸ジャーナリスト。

 前回にカメラマンは写真論を展開するよりも前にシャッターを押してもらいたい、と書いたら、最近は編集者の言うことを素直に聞いておとなしく撮るカメラマンが多くなったという意見を聞いた。編集者の注文通りに唯唯諾諾とシャッターを押すというのも頼りないし、気色が悪い。出版界の不景気で仕事が減っているのにカメラマンが多く、編集者から気に入られなくては食っていけないらしい。
 実はデザイナーも同じ状況だ。グラフィックやエディトリアルのデザイナーも仕事が少ない。なかにはデザイナー側からダンピングするケースや、装丁の仕事を受け、本文のレイアウトも無料でいいからやらせて欲しいという例もあると聞いた。出版社は出来るだけ経費を減らしたいから、デザイン料の値下げ要求が強い。
 昭和四十年ごろだったと思うが、作家の飯沢匡さんは、「デザイナーが入ってきてから、雑誌の堕落が始まった」と言っていた。飯沢さんは、かつて「アサヒグラフ」編集長時代に広島の原爆の惨状を世界に発信した編集者だ。
 雑誌や書籍の編集作業がデザイナーを必要とするようになったのは、鉛の活字からフィルムによる写真植字(写植)への転換期と一致するのではないか。今や写植を知らない編集者も多くなった。若い人には信じられないかもしれないが、昭和四十年代の前半までは「アサヒグラフ」のようなビジュアル誌にしても、「週刊朝日」の表紙やグラビアページも、編集部員が線を引いてレイアウトしていた。
 新聞紙面も「整理記者」が記事の扱いを決めて見出しを付け、写真をトリミングし、レイアウトをしていた。おっと、レイアウトなんて洒落た横文字ではなく、「割り付け」と呼んだ。時間的制約があるから印刷局活版部の「大組み」担当者との協同作業だった。
 大学で新聞学の講座を持っていた時、学生に新聞を音読させた。読んでいる途中で記事がどこへ流れていくのか、迷う学生が多い。「読めるはず」と思っているのは、新聞社の独善というものである。「中段抜き(各段の間にある罫線がない組み方)の場合は見出しを飛び越して流れる」といった「約束事」は、もはや過去の遺物となりつつある。
 かといって、最近の朝日新聞の「グローブ」のように、デザインだけが突出するのも困る。横組みの特性をほとんど消化しきれていない。定年で退職した広告畑の論客が、「『デザイナーズペーパー』とも思える自己陶酔では」と苦言を呈していた。「デザイナーズペーパー」というのは、「デザイナーのための新聞」といった意味だろう。
 出版物におけるデザインの重要性については論をまたない。さる男性向けの週刊誌が表紙から本文ページまでデザインを一新した。「女性誌っぽくなって、部数の減少を招いた」という〓がある。すべてがデザインのせいだけではなかろうが、全く関係がないとも言えないはずだ。新聞界にとっても、ただ「新しさ」を振りかざして、「自己主張」するデザイナーではなく、伝統的な良さも理解できる大人のデザイナーの出現が望まれるのではあるまいか。
 以前の新聞活字の種類(最近はフォントという)は明朝とゴチックの二種類だったが、現在フォントの種類は約三〇〇〇種といわれる。デジタル化された影響もあってぐっと数が増えた。種類が増えると、つい使いたくなるもので、書店にならぶような雑誌でも、一冊の中に異なったフォントが雑然と混在している例がある。フォントの好みには地域差もあるらしい。さる結婚情報誌では全国共通ではなく、関西版は関西のデザイナーに任せているという。
 最近はDTPシステムの導入で、書籍も雑誌もデザイナーが必須となった。「本文に使うフォントはお米のような主食です」というアートディレクターの日下潤一氏は、「もっと編集者にも個々の書体に興味を持ってほしい。編集者がそれぞれの出版物に合った書体を選ぶためには、普段から文字や組版について考えて、分からないことがあったら、デザイナーに相談することが重要」と編集者の「勉強不足」を指摘している。(『編集会議』〇六年十二月号)
 DTPの普及によって、制作コストの低減と制作時間が短縮されたが、一方で編集者の労働過重を招いている。最近の書籍編集者は年間の刊行点数のノルマが増え、年に十冊以上も手掛ける例もあるそうだ。これでは優秀で気心の知れたデザイナーと校正者を抱えないとやっていけない。
 編集者からみると、一般的に言ってデザイナーはあまり文章を読まない。本文は一つの塊(彼らはマッスという)としか見ない。極端なことを言えば、数種のパターンを用意しておき、そこに文章を流し込むようなデザイナーもいるのだ。編集者に柔順なカメラマンが増えたように、デザイナーの言うなりになる自己を見失った編集者も増えているのではないかと思う。そして実に悲しいことは、文章を読まない編集者も増えている傾向だろう。(この項終わり)