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太田光代

PROFILE

おおた みつよ 芸能プロダクション「株式会社タイタン」代表取締役社長。1964年、東京都生まれ。90年、爆笑問題の太田光さんと結婚。93年、タイタン設立。現在、長井秀和さんや橋下徹弁護士(業務提携)が在籍。著書に『爆笑 夫婦問題』『爆笑太田さんちのごはん問題』など。7月28日、爆笑問題初のネタDVD『2006年上半期漫才 爆笑問題のツーショット』(Contents League/ビクターエンタテインメント)が発売される。


インタビュー、構成=岩田元喜
写真=大倉琢夫


太田光代インタビュー
男たちの夢に私は命をかけます

私たち、1年前から
かなりヤバイんです

「たいへんな賞をいただいて、まわりは高く評価してくれますけど、私としては、彼らをあまりほめる気にはなれません」
 今年の3月、爆笑問題は放送部門で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞した。バラエティーの分野からは初めての快挙だった。森繁久弥さんや森光子さん、水谷八重子さんといった芸能界の大御所から続々と祝電が届いた。爆笑問題・太田光さんの妻であり、所属事務所社長の太田光代さんは「賞の重み」をあらためて実感したという。
「事務所を立ち上げて13年になりますが、まだまだ彼らの面白さは出しきれていないと思う。それなのに、ああよかったとあぐらをかくわけにはいきませんし、もっと頑張らなくてはいけないというプレッシャーに感じるんですよ」
 それは爆笑問題というタレントを抱える事務所の社長としてなのか、太田光の妻としてなのか。「じつは……」と光代さんは話を続ける。
「私たち、今が一番ヤバイかもしれません」
 ただならぬ言葉とは裏腹に、光代さんは笑みを浮かべながら説明する。
「ここ1年ぐらい、ずっと激論を戦わせているんです。それこそ朝まで、家で大もめにもめている状況でして」
 激論のテーマをひと言でいえば、爆笑問題のこれからの在り方についてだという。爆笑問題という漫才コンビはもともと政治や社会の時事をネタに漫才を作ってきた。そして、今では報道色の強いテレビ番組で司会をするようにもなり、どこか文化人的なものをまわりから要求されるようになってきている。しかし、光代さんは、それは違うとはっきり口にする。
「太田光というタレントは、なんか器用じゃないですか。優等生タイプで、何かを求められると、ちゃんとそれ以上のことを返してしまうわけです。たとえば、評論家的なコメントを求められれば、そのように答えてしまう。だけど、私はイヤなんです。あなたはお笑いなんだから、お笑いに加工して表現することがあなたの仕事よって。もしもそれができないんなら政治家になっちゃいなさいよって。もちろん本人は政治家になる気はまったくありませんけど(笑)」
 もちろん光代さんは十分すぎるほどわかっている。テレビ番組ひとつをとっても、いろんなスタッフの意見や協力、利害関係の上で成り立っているからこそ、光さんが責任感を持ち、周囲の求めていることに応えようとしてしまうことを。しかし、それが爆笑問題のやりたいことだったのか。光代さんは光さんに問いかけ、爆笑問題の進むべき方向を修正しようとする。芸術選奨受賞を手放しで喜べないのも、爆笑問題の行き先を見すえているからこそなのだ。
「こういう激論は過去にもあったんです。事務所を立ち上げるときを含めると、今回で4回目ぐらいですかね。だいたい3年から4年に1度の割合で。でも今回も、最終的には私の意見に折れると思いますよ。だって、これまでもそうでしたから(笑)」
 そもそも光代さんと光さんの出会いは今から17年前、光代さん24歳のとき。2人とも同じ事務所に所属する新人タレントだった。一方は漫才師、光代さんはモデル兼ものまねタレント。新人だけで発表会を開こうと、光代さんが住んでいたアパートに、相方の田中裕二さんや他のメンバーと一緒に打ち合わせにやってきたのが初対面のようなもので、その日以来、光さんは光代さんのアパートに居着いてしまう。
「だって帰らないんです。なんでこの人いるんだろうって半年ぐらい思ってて、あなたはいったい何なのって怒ったら、『オレたち、つきあってるんじゃなかったの?』って(笑)」


“戦友”という関係が
男と女にもあるんです


 出会って1年半後に2人は結婚するが、ちょうどそのころ爆笑問題は所属していた事務所を飛び出してしまう。当然のように仕事がなくなる。そんなとき生活を支えたのは光代さんだった。コンビニエンスストアでアルバイト、質屋にも通い、パチスロで生活費を稼ぐ日々。
「太田は何もできませんから。計算もできないし、体力もない。バイトもできないから、家でゲームばかりしてましたよ(笑)」
 光代さんは2人食べていくぐらいはなんとかなると思っていたという。車の運転が好きなので、タクシーの運転手になろうと真剣に考えたこともあった。そんな日々が2年近く続いたとき、NHKの新人演芸大賞を爆笑問題が受賞する。それをきっかけとして光代さんがとうとう動き出す。辞めた事務所に爆笑問題の2人を連れて謝りに行き、自分もタレントをやめて、個人事務所を立ち上げる。
「もういい加減ほっとけない状況でしたから。私と一緒に田中もコンビニでバイトしてたんですけど、田中はホント生き生きと働いていて、この人このまま芸人やめて店長になるなって思ったし(笑)。爆笑問題をこのまま埋もれさせるのが気の毒で、1回だけでもチャンスを与えたいなって。私がタレントをやめるのはたいしたことじゃなかったですよ。才能という点では、彼らのほうが圧倒的にありましたから」
 光代さんは「私が取ってきた仕事は絶対にやること」という約束を光さんに取りつけると、すぐに年に2回の単独ライブを強制する。しかも1時間半ぶっ続けで舞台に立ち、全部新ネタでという条件をつけて。
「太田は反対しましたよ、そんなことはできないって。私もかなり無理なことを言ってるなってわかっていたんですけど、やってもらわないと前に進めないというか、能力があるんだからできるって、その可能性にかけたんです」
 待っていては仕事も人脈も広がらない。単独ライブをやることで、業界の人に注目される。光代さんの策略は見事に功を奏し、2回目のライブのあと、仕事が舞い込むようになった。
「太田には映画を作るという夢もありますし、私も実現に向けてサポートしていきたいと思っています。それに太田とは夫婦とか社長とタレントとかっていう関係を超えて、ある意味、戦友なんですよ。同じ戦場に立ち、戦略を一歩でも間違えれば命を落とすかもしれないっていう。だからお互い必死なんです。だからこそ2人で朝まで激論しちゃうんですよね」