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ジュリアン・ムーア

Julianne Moore 1960年、アメリカ・ノースカロライナ生まれ。ボストン大学卒業後、ニューヨークでの舞台出演を皮切りに、88年には映画デビューをはたす。『ブギーナイツ』『めぐりあう時間たち』でアカデミー賞助演女優賞にノミネート、『ことの終わり』『エデンより彼方に』でアカデミー賞主演女優賞にノミネート。最新作『ブラインドネス』はカンヌ映画祭オープニング作品、東京国際映画祭の特別招待作品に選ばれる。私生活では2児の母。

齋藤正弘(ジェイヌード)
=文
枦木 功=写真


ジュリアン・ムーア インタビュー
コンニチハ。アリガトウ

『ブラインドネス』では
周囲のひとたちが好感のもてる
よそおいやふるまいがしっかりした
富裕層の主婦を演じるために
赤毛をブロンドに染めました。
仕上がった映像にも溶けこんでいて
うまくいったと思っているわ。


男のひとたちって
やっぱり甘いわよね


 日本語と英語が行ったり来たりする、日本人記者たちとの質疑応答のキャッチボールを、ジュリアン・ムーアさんはほんとうに楽しんでいるみたい。言葉がわからなくても、相手の顔の表情やあいづちを打つ姿を観察して、「yeah(そう、そう)!」と言ってみたり、記者たちがどっとわくと、いっしょに笑い声をあげてみたり。
 そしてついにがまんできなくなったのか、通訳さんにこうたずねました。「さっきからよく耳にするけど、いったいどういう意味なの。ニンニェンナァ(人間が)って?」
 人間が、人間らしく生きるのって、じつは規律やモラルといった重しをシーソーのいっぽうに乗せたうえで成り立っている。そのバランスが崩れてしまうと、欲望や絶望に歯止めをかけることも、他人の目をはばかることも知らない動物やモンスターに化してしまう……。
 そんな人間のもろさやあやうさが、そこかしこに映像で描かれているのが、ジュリアンさんの最新作『ブラインドネス』です。
「実際に人間が起こしうる行動や感情の極限」。ジュリアンさんがそう説明する『ブラインドネス』のさまざまなエピソードには、目をそむけたくなるような光景がいくつもあります。たとえば、集団レイプのシーン。
「こんなことは実社会ではありえない。そう言ったひとがいると聞いて、わたしはものすごくショックでした。『ほんとうに新聞を読んでいるのかしら?』って。集団レイプは戦争犯罪のひとつと規定されているけど、エチオピアやクロアチア、セルビアでは、このおぞましい犯罪が実際におこなわれたのよ。アクション映画やSF映画によくある、フィクションのなかだけで成立する“ムービーバイオレント”には疑問を感じないのに、現実の暴力に目を向けないなんて」
 ほかには、夫がほかの女性と肉体を交わらせているのを、ジュリアンさん演じる妻が目撃してしまうという場面も。
「このシーンでわたしが演じる妻は夫をなじったり、怒鳴り声をあげたりしません。その姿を見て、女性の包容力や寛大さに胸を打たれたという感想が、とくに男性から寄せられました。でもそれはおおきなまちがい。それ以降、妻は夫に話しかけようとしないし、目を向けようともしません。一生のパートナーだと信じていたひとが、実はそうではなかった。その喪失感が、無言という受け身の攻撃へと彼女を向かわせたのです。“非難しない=許した”と思ったとしたら、やっぱり男のひとたちって甘いわよね(笑)」


メンタル・ブラインドネスに
おちいらないために


 10月中旬に開催された東京国際映画祭で、『ブラインドネス』は特別招待作品に選ばれました。その舞台あいさつや記者会見のために、今回はじめて日本にやってきたジュリアンさん。
「たくさんの知人から、それこそ死ぬほどトーキョーの話をきいてたから、ほんとうに楽しみだったわ。実際にきてみると、ものすごい歓迎でほんとうに驚いているの。昨夜もカメのスープ(スッポン鍋)の食事のあとに、お店のひとがきれいな甲羅をプレゼントしてくれたの。わたし、カメが大好きなの(笑)」
「それと日本語の響きが不思議で、とても気になる。ひとつでも多くの言葉を覚えて帰りたいわ」といいながら、ニンニェンナァ(人間が)を繰り返します。
 ブラインドネスとは盲目。この作品では登場人物が感染性の失明という謎の病におかされていくことで、人間の本能にひそむ、さまざまな感情や行動をむきだしにさせます。
「そうでなくても、ひとはメンタル・ブラインドネスにおちいりがち。だってあらゆることに目を開いたままでいるのはたいへんな痛みをともなうし、その痛みに耐えることはできません。つらいから見ないようにする、存在していないものと思い込む。それが生きのびるための自己防衛手段ともいえるわね」
「でもね」とジュリアンさんはつづけます。
「いまアメリカ発の金融危機が世界中に広がっているけど、この事態を受けて『いつ起きてもおかしくなかった』と評した専門家がいるわよね。でもそんな知恵があるんだったら、この現実を招かずにすむよう使うべきだったんじゃない? それは夫婦や恋人の関係にもいえます。もうとっくにダメになっているのに、問題を直視せず、まるで大丈夫のようにふるまったり。一人ひとりが責任を自覚して、解決を考えていく姿勢、こころの目を開くことは、やっぱりあきらめてはいけないわ」