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Step ahead 日本女性としてさらに輝く先へ
Kyoko Koizumi 1966年、神奈川県生まれ。『風花』(2001年、相米慎二監督)『空中庭園』(05年、豊田利晃監督)と並ぶ映画の代表作『グーグーだって猫である』(犬童一心監督)『トウキョウソナタ』(黒沢清監督)を生み出した08年。その一方で5年半ぶりとなるニューアルバム「Nice Middle」を11月26日にリリース。そして09年は映画『ホノカアボーイ』の主題歌「虹が消えるまで」のリリースにはじまり、5月10日に東京・三軒茶屋のシアタートラムで初日を迎える舞台『楽屋』に出演。「先々を見越して戦略的に仕事をしてるわけではないんです。自分が飽きないよう、いろんなことをしてるという感覚ですね(笑)」
http://www.koizumix.com/
齋藤正弘(ジェイヌード) =インタビュー、文
河合克成(CORAZON LTD.)=写真
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小泉今日子 インタビュー
わたしはかもめ。いいえ、わたしは女優?
舞台は、たぶん苦手。
できればやりたくないから、やってる。
いまだに舞台上でカラダやこころが
自由だなって感じたこともないし。
ひょっとしたら、ちょっと口惜しいのかもね(笑)。
うたは誰でも歌えるし、
映画もエキストラで出演できるじゃない。
だけど舞台だけはプロじゃないと立てない。
わたしもプロになりたいのかな?
「どんなものって
いろいろと…なにしろ
蓄積が多いんだから」
─女優Bのセリフ
「うちの家族は三姉妹で女が多かったからか、いつまでたっても母親が女であることをやめようとしなかったのね。『そこ張りあってくんなよ! もう終わっているでしょ、ひととおり!』と思うようなことに、かならず首をつっこんでくる。家族でいちばんの問題児だったんです(笑)。だから『うちではお母さんが末っ子』と、10代後半に決めました。それがいちばん納得できるって。そういう女の蠢くようなことが、わたしにはまったくなくって、ぜんぜん理解できないのよね」
子どものころから、3つのケーキを4人で分けあうような状況になると、「はい、どうぞ」と身をひくタイプ。欲望や執着といったものが希薄なのだと、小泉今日子さんはいいます。
「役者の仕事をしてるという意識はあるけど、『この役やりたい!』という執着はないし、蠢くものがわからない。だからわたしは、女優じゃない。なりたいのは俳優かな(笑)」
そんな小泉さんがこれからとりくむのは、深くて濃い欲望と執着にかられた舞台女優を演じる『楽屋』というお芝居。タイトルが示すとおり、4人の出番待ちの女優が楽屋を舞台にくりひろげる物語です。
でも舞台女優なのに観客をまえにするシーンはいっさいないから、彼女たちには女優A、女優B、女優C、女優Dという役名しかあたえられていません。小泉さんが演じるのは、渡辺えりさんとコンビになる女優B。ふたりはいちども主役をはれなかった女優人生を嘆き、深い失意と情念にとらわれています。
楽屋。そこは舞台裏の女優の素顔がみえるところ。そしてそこは女優という生き物の愛憎が渦まき、夢と現実の境界線があいまいな異次元空間。
「わたし、何度も楽屋で幽霊みたよ。壁がグニャグニャになる楽屋もあったし。それでなくても隔絶された空間は怖いから、ドアは開けっ放しにして廊下を行き交う人のざわめきが聞こえるようにしてる。それとたいてい音楽をかけてますね。作品と向きあうのに気分がでる曲を家からもってきて。今回の『楽屋』だとパンクとか、べたべたなロックが気分かな」
でもこの公演中は、物語の設定とおなじく、控室になる楽屋も渡辺えりさんとの相部屋。「だから音楽を聴くとしたら、iPodにイヤホンをしてかな」と笑います。
「えりさんとは19歳のときにテレビドラマで初共演したのね。そのときの打ち上げのあいさつで『キョンキョンはおねえさんでした』なんていってくれて(笑)。当時えりさんは人気の劇団3○○を率いていて、わたしもよく公演を観にいきました。するとかならず終演後はえりさんたちと食事になって、出演者をまえに感想をいわされるのね。『きついな、この感じ。これは試練!』と思いながらも(笑)、ちゃんと自分の意見をいいましたよ。そんなふうにえりさんには、たくさんのことを教えてもらいました」
渡辺えりさんとの初共演になったドラマとは、久世光彦さん(1935~2006)演出の『おかあさん─たぬき屋の人々』。
「小学生のころ、土曜日の午後に学校から帰宅したら、家に誰もいなかったのね。なにげなくテレビをつけたら、トリュフォーの映画『黒衣の花嫁』がはじまって、2時間くらい、微動だにせず観つづけました。主演のジャンヌ・モローは終始無表情なんだけど、すべての感情がわたしに伝わってきたのね。それがすごく不思議で。ひとはうれしいときに笑い、悲しいときに泣く。そんな単純ではないんだなって。久世さんがよくコンビを組んだ向田邦子さんのドラマもそうだったじゃない。突然女のひとが笑い出すのを観て、『怖いよ、怖いよ』って思いをしたことがあるし、『絶対に怒っているはずなのに、この女性はなぜ笑ってるんだろう?』って。お芝居というものにはじめて興味をもったのは、そのころですね」
「女優になるためなら
この自然でも
どんなものでも
敢然と犠牲にするわ」
─女優Bのセリフ
小泉さんの主演映画『空中庭園』を評して、久世さんはこんな内容の言葉を贈ったそうです。「これ以上巧くなってはいけません。どこかイビツで間が抜けていて、ドジで子供っぽさが覗いて見える─そんな小泉らしさが、ぼくたちは楽しいのです。芝居も文章も〈巧さ〉の先には、あまり広い世界はありません(「キネマ旬報」05年11月上旬号より)」と。
「久世さんもわたしも、それから『風花』を遺して亡くなった相米慎二監督にも、死に対するあこがれみたいなものがあるなって。死をロマンティックなものととらえたいと思ってるのかな。それに対して『楽屋』の女優たちは、生と女優という仕事にものすごい執着をもっているのね。わたしはこの世を去るとき、思い残すことなんてなにひとつないと思っているけど(笑)、彼女たちはそれこそ情念のかたまり。でもね、ほんとうは彼女たちのように仕事すべきなんじゃないかって、あこがれや罪悪感があるのかもしれません。いつも感覚的に自由に生きてるわけだけど(笑)、こんなこといつまでも許されるわけないって、こころのどこかで感じてる。そんなことを『楽屋』で味わってみたいのかもね。ひょっとしたら、わたしのなかに存在しないはずの“蠢くもの”が出てくるかもしれない。『わっ、出てきた。いたんだ』とかね(笑)」
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