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バリアフリー  2005年4月15日号

渡辺さんの写真

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ヘッドマスタープラス(HMP)をつけて、PCを操作する杉山さん。インターネット閲覧も音声認識ソフトを使った文章入力作業も、驚くほどスムーズ。画面を凝視していても、追いつけないほどカーソルの動きが速く、正確性も高い。HMPなどPC操作支援機器類は「チャレンジド・サービス」(http://www.phoenix-jp.info/)で販売している。
足でトラックボールを操作する写真

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苦労の末、構築したリナックスベースのサーバー。騒音対策には特に気を配り、インターネットでショップを探しあてて部品を購入。CPU冷却に電動ファンでなく放熱板(ヒートシンク)を使ったマシンで、さらに内側を吸音材で覆い、静音電源に変更するなど、ハード系に強い福本さんの知識と経験も生かされている。杉山さんいわく、「福祉関係ばかりでなく、別の畑出身の介護士さんがいるのはありがたい」。自宅サーバーの立ち上げ作業の顛末は「Linux構築戦記」(http://www.phoenix-jp.info/linux/)で詳しく公開する。
足でトラックボールを操作する写真

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「映画を迫力ある画面で見たいから」と購入したテレビは、配送員から「個室に置くんですか」と驚かれたほど大型の42インチ。野茂英雄投手のファンで、衛星放送で野球中継や映画などを楽しむ。パソコン台は必要な時に簡単にベッド上まで移動できるよう可動式テーブルを利用する。
足でトラックボールを操作する写真

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面ファスナーでリモコンを脱着できるように工夫した介護士の福本潤也さん(左)。「杉山さんはバイタリティーがあってとても勉強家。インターネットに関するソフト系の知識では、とっくの昔に追い抜かれています。杉山さんの『こうしたい』という要望にこたえるのはやりがいがあるし、あれこれ工夫を考えるのは楽しい」と話す。障害者向けの生活支援機器や福祉情報サイトなどを紹介する「障害者の情報局」(http://www.phoenix-jp.info/jouhoukyoku/)にも杉山さんの意欲がうかがえる。

文・写真 星野恭子

自宅サーバーを構築し支援機器を販売
自室を実験工房にする身体障害者

 「僕の部屋はラボ。ハイテクもローテクも駆使して、可能性に挑戦する工房なんです」
 こう話すのは四肢麻痺の障害を負う杉山貴康さん(43)。2002年春にホームページ(HP)「障害者の情報局」を開設したのを皮切りに、昨秋から福祉関連機器専門のオンラインストア「Challenged Service(チャレンジド・サービス)」の運営も始めた。現在は、自宅サーバー立ち上げ作業の顛末を公開した「Linux構築戦記」も加えた、3サイトのウエブマスターだ。
 褥創予防のマットのほか、特製マウスなど障害者向けのパソコン支援機器もそろえるチャレンジド・サービスは、開店して約4カ月。売り上げ実績はまだ少なく販売戦略を見直し中だが、「軌道に乗せるのはこれから。とりあえず1歩ずつ」と笑顔を見せる。

HPは自分と社会をつなぐ扉、
ネットは世界の隅々まで続く道

 杉山さんは銀行に勤務していた1989年6月、趣味だったパラグライダーの落下事故で頸髄を損傷。現在は肩から上部と、肘・手首の一部関節だけがかろうじて動く。事故直後に入院した病院や岐阜市内の自宅での療養を続け、寝たきり生活は15年を超える。
「障害者の生活にとって読書用のページめくり機のように、便利な道具や支援機はたくさんあるのに、気づかずに苦労している人は多い。自分もそうだったので、持っている情報は全部公開したい。それに重度障害者でもサーバー構築までできると知ってもらい、励ましになるならうれしい」と語る。彼にとってHPは自分と社会をつなぐ扉、インターネットは世界に続く道なのだ。
 今では自分でサーバーまで構築するほどPCを使いこなすが、利用歴はまだ約5年。障害を負って10年以上たった2000年春のある日、超音波を利用したPC入力支援機器「Head Master Plus(ヘッドマスタープラス、以下HMP)」と出合ったことから始まった。HMPはヘッドセットを装着し、頭部を動かすことでマウス操作を代替するもの。
 それまでインターネットには強い興味があったものの、操作の煩わしさからPC導入に二の足を踏んでいた。入院中のリハビリでワープロ講習を受けたが、手に棒をつけての操作は労力のわりに入力速度も快適性も不満で、苦痛を伴ってまで使う意味はないと思っていたからだ。だが偶然つけたテレビ番組で、寝たきりの米国人障害者がHMPを使い、PCを自在に操る姿を見て、「これだ」とHMP購入を即断。
 直後にPCも入手し、左右クリックやドラッグなどの基本操作から学び始め、徐々にHMPの操作にも慣れ、音声認識ソフト「IBM ViaVoice」による文章作成なども習得。半年ほどでスピード・快適性・正確性とも満足できるレベルになったという。
 インターネットを通じて情報収集から電子メールでの交流や買い物と、それまであきらめていたことも可能になり、生活は一変。ほぼ理想通りのPC環境ができあがったと、杉山さんは当時を振り返る。
 障害の重さを医師に説明されたときは、終身刑を宣告されたと感じた彼だったが、日々パソコンを操作しネットを活用するようになってから、「障害者として社会とどうかかわっていくか」を考えるようになったという。
 PCの操作講習や快適なPC環境づくりを支援したのは、出張サポートサービス会社オフィス・クローバー(岐阜市)の北條孝さん(49)だ。PCに果敢に挑戦する杉山さんの印象をこう話す。「障害という事実を受け止め、前向きに努力している。とても熱心で理解も早い。少しの助言だけで、独りでどんどん学んでいった」
 同じ姿勢をとり続けると負担になったり、風邪を引きやすい杉山さんの体調には配慮したものの、指導には何の苦労もなかったと振り返る。
 同じ年の秋、10年に及ぶ在宅介護による母の負担を減らそうと、身体障害者療護施設「飛騨うりす苑」(岐阜県国府町)に入居する。個室にADSLを引き、ネット環境はしっかり確保した。入居1年ほどのある日、ふと「情報を受けるだけでなく発信してみよう。発信してこそネットを活用したことになる」とHP開設を思い立つ。
 電動ページめくり機を使ってHP制作のガイド本を読み、HMPを使ってさまざまな作成ソフトの試用を重ね、挑戦から半年で開設したのが、「障害者の情報局」だった。医療情報や障害者関連の法律ページなど、障害者の立場から障害者に役立つ情報を厳選。使用中の福祉機器の感想コーナーにはユーザーから機器購入に助言を求めるメールが届くなど、反応は上々だった。

ネットでの出会いが商売につながる
障害を負った「空」にも挑戦

「さて、次は何をしよう?」
 相談された北條さんが勧めたのはサーバーの構築だった。「PCの操作技術はすでに高い。次はマシンを使って何をすべきかを考える段階だと判断したのです」(北條さん)
 だが、サーバー構築はHP作成より、はるかにハードルが高かった。ネットで専門書を買い集めることから始めた作業は完了までに1年以上を要した。本を読むにも知らない専門用語ばかりで、そのたび意味や関連情報をネットで検索しなければならなかった。OSもしばらく迷った末にリナックスを選択、ドメインやグローバルIPの取得、リモートコントロールなどでも悪戦苦闘。もうだめだと何度も挫折しかけたが、リナックスサーバー構築者の交流サイトなどを閲覧し、ここでやめたらいままでの苦労がフイになると、意地を頼りに作業を繰り返した。
 完成を目前に最大の難局を迎えた。自室に独自に組んでいるLAN内では通ったサーバーが、外部からではアクセスできないのだ。杉山さんはセキュリティー対策のためにルーターを介しネットワークを構築していた。解説書を読み返したが紹介事例と異なり参考にならなかった。放ったまま数カ月が経過した。
 ある晩の消灯後、ふいに解決の糸口を思いつく。「DNS(ドメインネームシステム)の設定が原因ではないか」。翌朝、設定ファイルを変更してみると、すっと開通した。「うれしかった。エンドユーザーでしかなかった自分が、やっとインターネットの世界に入れたと思った」
 サーバー構築が一段落したころ、思いがけないメールが届く。「障害者の情報局」で紹介していた褥創予防効果のあるエアマットのメーカーから、新製品のモニター依頼だった。体位交換不要やむれ防止機能などの品質に満足した杉山さんは、「販売させてほしい」と打診し快諾を得る。すぐに「チャレンジド・サービス」の立ち上げに着手。同じころ、HMPの代理店が販売中止を発表したため、「じゃあ、僕が売ろう」とこちらにも手を挙げた。「ちょうどサーバーを使って何をしようかと考えていたところ。偶然とはいえタイミングがよかった」
 実はうりす苑に来てから、“ラボ"の設備環境は格段に進化した。支えるのは同苑職員で担当介護士の福本潤也さん(36)。大学で電子工学を学び、電子機器メーカーの開発担当から福祉の世界への転身組だ。
 ベッドわきに置かれたPCやテレビのリモコンやスピーカーは、杉山さんの要望を福本さんが実現した“合作"の一例。どちらも医師の診察時や介護作業時を考慮して、面ファスナーやネジを使うなど着脱方法に工夫がある。
 最近杉山さんは、ラジコン模型も始めた。モーターパラグライダー型を改造して、福本さんと屋外で遊ぶ。気流の影響を受けやすく操縦は難しいが、挑戦しがいがあるという。「パラグライダーの事故で障害を負ったのに?」と問うと、「やっぱり空が好きだから。いつかまた飛んでみたい気持ちもある」とさらりと答えてくれた。その目はまっすぐ前を見つめていた。