特集 新世代の論客たち U―40 Part 2
いま、伝えたいこと
日本橋の首都高は醜いのか
――移設プロジェクトを疑う
五十嵐太郎 東北大学助教授
いがらし たろう 1967年、フランス・パリ生まれ。東京大学工学系大学院建築学専攻博士課程単位取得退学。博士(工学)。中部大学助教授などを経て現職。専門は近代建築、建築批評。著書に『過防備都市』『戦争と建築』『現代建築のパースペクティブ』など。
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日本橋を覆う首都高。下を流れるのは日本橋川
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耐震強度の「偽装」や東横インの「不正」改造など、世間を揺るがす建築絡みの事件が起きている。いずれも社会的な制度との関係をめぐって問題が顕在化したものだ。つまり、必要とされる強度、あるいはバリアフリー化の基準を破ったことに端を発する。もちろん、確信犯的な違反は批判されるべきことだが、メディアは犯人探しにやっきであり、ハードルそのものの意味はあまり問われていない(拙稿「見えない震災」『現代思想』2006年1月号参照)。われわれは一体何を恐れているのか。例えば、ヒューザーのマンションが基準の強度を確保していないことで、夜も眠れないほど不安だとしたら、なぜ1981年に建築基準法が改正される前の住宅に暮らす多くの人は平気で生活しているのだろう。おそらく日本の4分の1の住戸は、基準のハードルが上昇したことにより、事後的に違反建築となっている。とはいえ、現在の耐震基準を満たしても、想定外の大地震が起きれば壊れるわけだし、国が補償してくれるわけでもない。絶対に安全な建築は存在しないのだ。正確に言えば、リスクの相対的な差だけがある。
日本の建築学科は工学部に所属し、いわば工学的な存在だが、その意味は社会の状況によって変わる。ときには政治の道具にもなるし、芸術的な存在としてもみなされるだろう。建築は不純なジャンルである。が、それゆえに興味深い問題をはらむ。
「美しい景観」言説の
気持ち悪さ
現在、日本橋上の首都高速道路移設が話題になっている。以前から東京の景観破壊の元凶として首都高はしばしば槍玉にあげられていたが、それをどかすことはあくまでも理想論でしかなかった。しかし、昨年末、小泉純一郎首相が日本橋の首都高を移設する一大事業に号令を出し、私的な有識者懇談会が発足する。05年、清渓川(ルビ=チョンゲチョン)をおおう高速道路と暗渠をどかし、川の流れをとり戻したソウルのプロジェクトにも刺激を受けたようだ。韓国にできたのだから、日本でもできると述べたらしい。もっとも、こうした事態を見越してか、04年には日本橋まちづくりアイデアコンペが実施されている。小泉氏は首相を辞める9月までに報告書を出すことを求めているという。
戦後日本の道路や新幹線をひたすらつくる土木行政に対し、道路を見えなくするという意味では、彼らしい国家的なプロジェクトである。道路の建設から道路の消去へ。言い換えれば、機能から美観へ、という発想の転換である。その背景には、首相の「観光立国」宣言や、05年6月に景観法が全面施行されたことも挙げられるだろう。これまでは経済を優先したことで、仕方なく景観が犠牲になったと言われていたが、今度は景観をよくすれば、人が集まり経済振興につながるという意見さえまことしやかに語られている。また03年7月、国土交通省が発表した「美しい国づくり政策大綱」では、戦後のとりくみを否定する、コペルニクス的な方針転換を唱えていた。
「美しさは心のあり様とも深く結びついている。私達は、社会資本の整備を目的でなく手段であることをはっきり認識していたか?、量的充足を追求するあまり、質の面でおろそかな部分がなかったか?、等々率直に自らを省みる必要がある。……国土交通省は、この国を魅力ある国にするために、まず、自ら襟を正し、その上で官民挙げての取り組みのきっかけを作るよう努力すべきと認識するに至った。そして……行政の方向を美しい国づくりに向けて大きく舵を切ることとした」。
なんと素晴らしいお題目だろうか! 真摯に反省しているならば、口を挟むつもりはない。だが、なんの恥じらいもなく、「美しい」と堂々と言い切ってしまう言説に、筆者は真っ先に気持ち悪さを感じてしまう。例えば、正義を掲げて戦争を続ける国家、健康を賞賛しながら病気の概念を拡大していく医療行政、あるいは安全な社会をめざして監視と排除に向かう社会と似ていないだろうか。筆者は、幾つかの理由から、一連の動きに疑問を抱いている。
まず第一に、これは隠れたハコモノ行政ではないかということ。つまり、無駄な公共事業をさんざん批判されてきたから、今度は美という名目のもとに日本改造を行うわけだ。モノが出現するのではなく、モノが消えるから、一見、お金がかかっていないような印象を受ける。だが、試算によれば、首都高移設の場合、総工費は3千億円から6500億円になるという。ただではないどころか、国民一人当たり数千円を負担する。道路の建設から消去への発想法の転換などではなく、消去という名のもとのれっきとした大工事なのだ。ちなみに、バブル建築として叩かれた東京国際フォーラムの建設費が1650億円だから、その数倍の規模である。国土交通省の存在意義を強調するために、頭のいい役人が作文をしたのではないかと勘ぐりたくもなる。
また景観の悪要素とされる電線の地中化が制度として予算化されるならば、日本全国で右にならえで遂行されるだろう。むろん、電線を地中化した方が良い場所もないわけではない。しかし、へたなデザインのビルや建売り住宅の悲惨な景観が余計に浮かびあがる街が圧倒的に多いのではないだろうか。それこそ美のために、同じ財源をほかに使う方法は幾らでもあるのではないか。電線さえなくなれば、街が美しくなるというのは、幻想だ。昨年末、ル・コルビュジエの住宅を見学するために、パリの郊外に出かけたとき、日本と同様、電線がはりめぐらされていた。が、普通の建築が一定のクオリティをもっていることによって、良好な街並みが出現していた。景観とは、ある記号的な存在だけを排除すればいいのではなく、総合的な環境の要素が決定するものではないか。ちなみに、日本では、欧米に比べ、電線を被覆する技術が発展したため、安全に空中に張ることができ、地中化が進まなかったという(松原隆一郎『失われた景観』PHP新書)。電線の張りめぐらされた日本の街並みも、皮肉な言い方をすれば、日本的なテクノロジーの発達がもたらした景観なのである。
スクラップ&ビルドの「伝統」
二番目の疑問である。首都高移設の推進論者は、お江戸日本橋の名所を復活させるという。ここが主要国道の基点であり、日本でもっとも有名で伝統のある橋だからだ。しかし、言うまでもなく現在の日本橋は、1603年に架けられた木造の橋ではない。1911年に竣工したヨーロッパの様式を模倣したデザインの橋である。一体いつの時代のどのような風景が本来の日本橋なのか? 江戸時代の商業人が行き交うにぎわいなのか、それとも明治末に出現する威風堂々とした洋風建築の街並みなのか。推進論者の言葉からは、こうしたヴィジョンを読みとれない。もともと首都高の撤去は、小泉首相よりも先に、石原慎太郎東京都知事がオリンピックの誘致を意識して提唱していた。1964年のオリンピックのための東京大改造のときに首都高が登場したから、来るべき21世紀のオリンピックではそれを消滅させる。一見、明快な意志表示だ。しかし、本腰を入れ始めた首相に対抗するかのように、都知事は今年1月の記者会見で、日本橋の方を移設すればよいというアイデアを披露した。これでは一貫した理念が感じられず、人を引きつけるネタとして、また個人名を記憶させるモニュメントとして首都高の話を持ち出しているかのようだ。
現場に立って日本橋と首都高を眺めると、筆者にとっては、むしろまわりのビルの景観の方がはるかに罪深く思われる。なるほど、そうしたビルは民間の所有物だから批判すべきではないのかもしれない。だが、首都高移設を推進する伊藤滋(早稲田大学教授)の「美しい景観を創る会」のホームページでは、日本の「悪い景観」をリストアップし、マツモトキヨシや消費者金融などの企業について、実名を挙げて徹底的に罵倒している。すさまじい「景観狩り」だ。しかし、日本橋の風景に関しては、首都高のみを攻撃している。ちなみに、首都高を撤去した後の計画予想図では、日本橋川に親水公園や遊歩道が設置され、両岸に凡庸な高層ビルがぎっしりと並ぶ。もちろん、かつてここに公園が存在したことはない。地元の住民が首都高の撤去を悲願だと思う気持ちはわからないでもないが、首都高さえ取り除けば、後はどうなってもいいのか。日本橋移設計画は、こうした再開発と引き換え、いやセットの移設「工事」なのだ。
日本史の研究者、小林信也も指摘するように、日本橋をめぐるプロジェクトは本気で歴史を考えているとは思えない( http://skumbro.cocolog-nifty.com/edo/)。彼は、「日本橋再開発事業は、結果的に日本橋地区の地価や家賃を高騰させ、同地区に残る中小の商店・飲食店を駆逐することになるから。つまり、日本橋地区に大規模な不動産を所有する者に偏って恩恵を与える事業だから」といって批判する。また皮肉まじりに、「どうせ金を使うなら、今の日本橋を壊して、江戸時代みたいな木でできた日本橋を復元してみたら?……もちろん、車は進入禁止」と提案している。テーマパーク化だが、ある意味ではこちらの方が筋は通っているだろう。つまるところ、伝統的な景観を復活させるために首都高を移設すると言われているが、結局は日本のスクラップ・アンド・ビルドの伝統を継承しているだけである。首都高は日本橋を物理的に破壊していない。上部に重ねただけだ。しかし、今度は日本橋保護の美名に隠れて、建設して50年もたたない首都高が壊されようとしている。
最後の問題は、首都高が本当に醜いのかということだ。ほとんど無条件の前提として、首都高は悪い景観のシンボルとされている。日本橋のプロジェクトを税金の無駄使いとして批判する人も、負の遺産として残してはどうかと述べているくらいだ。しかし、筆者には、首都高さえどかせば、景観が自動的に良くなるとは思えない。もちろん、明治期の建築家・妻木頼黄(ルビ=つまきよりなか)がデザインした日本橋は重要な近代遺産だが、ヨーロッパに行けば、もっと壮麗な橋がたくさんある。その縮小コピーのような日本橋よりも、暴力的なスケールで挿入された首都高の方にダイナミックな都市の風景を感じる人もいるだろう。これは世代的な問題かもしれない。あるシンポジウムにおいて、30代から40代の建築家に質問したところ、彼らは筆者とかなり近い感覚をもっていたからだ。この世代は、首都高が覆いかぶさった日本橋の景観しか知らないからかもしれない。
ウンベルト・エーコが『美の歴史』(東洋書林)において論じたように、なにを美ととらえるかは時代や地域によって変化してきた。美は相対的な部分が大きく、しかもしばしば芸術によって発見される。例えば、18世紀に廃墟の美学が誕生するのは、絵画や文学を通して、新しい感性が育まれたからだ。江戸時代の日本橋を好む人は、浮世絵のイメージに触発されているだろう。しかし20世紀初頭、未来派の詩人マリネッティは、古典的な彫刻よりも、自動車のうなる爆音や機械に新しい美学を見出した。工場や倉庫を、無駄な装飾がない機能的な美をもつ存在として評価するようになったのは、モダニズムの建築家や写真家の眼を通してである。筆者もこうした価値観を共有している。それゆえ、土木構築物だからダメという発想はとらない。景観は単純に○×をつけられる記号ではない。
日本橋から江戸橋にかけての首都高の複雑な分岐と曲線は、魅力的な造形でさえある。ちなみに、日本橋周辺の首都高は、どこにでもある高架の道路とは違い、NHKの人気番組『プロジェクトX』第168回「首都高速 東京五輪への空中作戦」でもとりあげられた重要な工事区間だった。東京都庁の技官たちが立ち上がり、日本各地の精鋼所、水道管メーカー、造船界などが協力し、戦後日本の復活を担うプロジェクトであり、「世界の道路技術者をうならせた奇跡の道路」だったという(番組紹介のホームページより)。こうした名もなき日本人技術者のモニュメントは、今や全面否定されるべきものなのだろうか。首都高は、すでに90年に、表面に付加する装飾によって橋の雰囲気にあわせた修景工事が施されている。しかし、いまだに、もとのヴォリュームが圧倒的な迫力をもっているのも確かである。
首都高に新しい美を見る
かつてアンドレイ・タルコフスキーやヴィム・ヴェンダースの映画は、わざわざ首都高を撮影していた。異国の眼からのオリエンタリズムとはいえ、それが東京のひとつのイメージともなっている。逆に現在の日本橋は、日本の近代史にとっては意味をもつが、西洋人にとってはモノマネに見えるだろう。とすれば、海外からのツーリストの増加を唱えながら、首都高を除去することは矛盾していないか。いや、それは正しくない日本の姿であると反論する人がいるかもしれない。だが、首都高に都市のダイナミズムを見出すようなまなざしを内在化している日本人も少なくない。前述した「美しい景観を創る会」は、電線や自販機、看板や広告など、わかりやすいカオス的な環境を「悪い景観」として挙げていた。しかし、ネット上では、そうした決めつけに同意できないという反響が起きている。サイバーパンクの世界や映画「ブレードランナー」に共感を寄せる人にとっては、首都高のある東京は、「悪い景観」どころか、カッコいい物語の舞台になりうる。アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」で知られる庵野秀明の作品には、電線のある風景が頻出する。こうした作品では、電線にこそ新しい美が発見されている。
美術史や建築史の素養があれば、美と醜の関係がそれほど単純なものではないことは周知の事実である。にもかかわらず、首都高移設の推進者や「美しい景観を創る会」は、美は絶対的なものであり、自明のことであるかのように、ふるまう。彼らは、あえて議論を喚起するために、わざと単純化しているのかもしれない。だが、美を掲げながら、悪を排除するという態度が過激になれば、セキュリティーの徹底化や健康に名を借りた身体管理と同じ道を歩むだろう。昨年、愛知万博が開催された名古屋では、白川公園からダンボールハウス村が一掃された。外国からの来訪者に美しい都市を体験してもらうためだという。跡地には花が植えられていた。国家的なイベントを控えての都市美化運動は過去に何度も繰り返されている。例えば、東京オリンピックの前には「首都美化審議会」が設置されたり、「変質者取り締まりキャンペーン」が行われた。1940年の幻の万博とオリンピックの前にも、「大東京を美化しよう」というキャッチフレーズのもと、不良住宅や部落の排除が唱えられた(友常勉「1940年 東京万国博・オリンピックと被差別部落へのまなざし」 http://www.asahi-net.or.jp/~ls9r-situ/tomoar1.html)。
現地でいろいろと想像してみたが、やはり首都高を取り除けば、美しい景観が実現するとはどうしても思えなかった。景観に配慮しながら川辺を整備し、両側の建築を建て直し、そのうえで首都高をどかすべきだと判断する考え方もあるだろう。首都高という屋根が川をおおうことを空間の条件として活用する改修方法もあるかもしれない。むろん、筆者の感性はあくまでも個人的な体験に根ざしており、それをすべての人間が共有することはないだろう。しかし、首都高移設のプロジェクトは、一部の人間の思いつきや誘導によって実行されるべきではない。莫大な費用のかかる巨大工事なのだから、最初から移設ありきで考えるのではなく、意見の複数性を確認し、十分な議論を行うことが必要だろう。
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