芹沢一也
せりざわ・かずや 1968年、東京都生まれ。92年、慶応大学文学部卒。98年、同大学大学院社会学研究科博士課程修了。著書に『〈法〉から解放される権力』『狂気と犯罪』『ホラーハウス社会』。
安原宏美
やすはら・ひろみ 大学卒業後、生活情報誌編集部、化粧品会社などに勤務。現在、フリー編集者・ライター、マーケティングプランナー。
「朝日新聞」の投書欄に先日、次の文章が寄せられた。佐賀県在住、69歳の男性からのものだ。
近くの公園を散歩していたら、桜の木のわきの細い道に、白い袋が転がっていた。小学校の通学路にあたり、児童の落とし物と思え、手に取ってみたら、確かに小学校の学校名が見てとれた。そこへ数人の児童が運よく通りかかった。「落とし物だよ」と差し出すやいなや、カタカタとランドセルを鳴らして逃げ出した。相次ぐ園児、児童殺害事件で、見知らぬ人の誘いには乗らないようにと、学校で口酸っぱく教え込まれているせいなのだろう。むなしくなった。人を信じてはいけないという悲しい現実。世の空虚さを覚えた。(中略)人を見たら疑え、寄り道をするな。人名擁護が大事とはいえ、小さいころに植え付けられた人間不信はたまらないと思う。警察やパトロール隊へ通報されなかったのが幸いだと思い、袋を桜の枝にぶら下げた。(2006年3月7日付)
最近、このような声をあちこちで耳にするようになった。「見知らぬ人を見たら不審者だと思え」というのが、地域に生活するすべての住民の合言葉になってしまったようだ。だが、私たちはなぜ、かくも人間不信を募らせてしまったのだろうか。
「治安共同体」と化す地域社会
1994年、警察庁に生活安全局が設置され、「地域安全活動」が推進されはじめた。それは地域の安全確保のために警察が地域社会に入り、住民、ボランティア団体、自治体などと協力しながら警察活動を行おうとするものだ。戦後、長いあいだ司法警察活動に限定されてきた警察が、このときはっきりと行政警察活動に舵を切り替えた。つまり、犯罪の捜査および被疑者の逮捕といった事後活動よりも、公共の安全と秩序の維持という予防活動に重心を移したのである。このような動向の背後には、次のような認識があった。
犯罪情勢の悪化の背景には、近年における都市化や国際化、ボーダレス化等の社会情勢の変化による住民の連帯意識の希薄化、匿名性の増大等が、地域社会の結び付きを脆弱化させ、これまで地域社会に内在していた犯罪抑止機能が働かなくなっている。(島田尚武「生活安全局の設置について」)
いわゆる「地域コミュニティー」の崩壊といわれる事態によって、日本社会は犯罪抑止力を失っている、そのために治安が悪化しているというのだ。すでに人口に膾炙しているロジックであるが、しかしながらそれは決して論証されたものではない。犯罪学研究者の検討によれば、日本の治安は統計上、悪化しているなどとはいえないし、そうであるなら犯罪発生の背後に地域コミュニティーの崩壊を読み込むのは、まったくのナンセンスだということになる。ところが、この根拠なきロジックが大きな社会的効力をもったのだ。一体なぜなのか。
治安は決して悪化していない。しかしながら、近年、人々の「体感治安」は悪化するばかりだ。体感治安とは客観的な治安情勢ではなく、あくまで主観的な治安イメージにすぎないのだが、あたかも頻繁に凶悪犯罪が起こっているかのようなメディアの報道などによって、犯罪不安はもはや抜き差しならないかたちで定着してしまっている。治安管理の強化を望む声が、重大事件が起こるたびに高まるばかりだ。
こうしたなか、2003年、東京都で「安全・安心まちづくり条例」が制定されると、生活安全条例が一気に全国に拡大することになった。そこでは、治安回復の解決の鍵は「地域社会の連帯の復活」だと謳われた。地域社会が犯罪抑止能力をなくした現在、警察だけでは治安を守りきることはできないから、自分たちの街は自分たちで守らねばならない、そのためには地域に防犯を担うリーダーをつくらねばならないというのだ。
犯罪不安に脅える住民たちも、警察のこの呼びかけに応えた。その結果、全国各地に続々と防犯ボランティア団体が結成され、地域をパトロールして歩いているのである。しかも、このような活動は活力を失った地域の結束や一体感を再生することで、住民たちのノスタルジーをも慰撫する効果をもった。このことは、防犯活動に従事する住民たちが、「大人が子どもたちに声をかけることで、街が元気になった」「治安を中心に地域がまとまった」と、口々に喜びの言葉を語っていることからも明らかだ。地域安全活動は、住民にとっての福音でもあったのだ。
地域コミュニティーの復活というスローガンは、警察と住民双方にとって掲げる甲斐のあるものだったわけだ。それは、警察が戦前のような行政警察活動を取り戻すことをも正当化するものだ。かつての防犯能力を取り戻すためにと、警察は地域住民との連携を強化しながら、自らの主導の下で地域再編を推し進めている。そして、それは住民たちのノスタルジーにも応えるものだった。治安管理に動員される住民たちは、かつての地域のつながりが再生されたかのような手応えを感じたからだ。
では、そこに「健全な」地域コミュニティーが再生され、事が理想的なかたちで進んだのかといえば、事態はまったく逆である。「普段着のときは、パトロール隊の格好をしているときのようには、子どもたちに声をかけられない」。これも今やよく聞く話である。皮肉なことに、地域の結びつきが復活するどころか、子どもに声をかけたら不審者扱いされるという、相互不信社会が生み出されているのだ。冒頭の男性は警察やパトロール隊に通報されなかっただけでも幸いだと述べていたが、これこそが「治安共同体」と化した現在の地域社会の姿にほかならない。
携帯メールに飛び交う注意報
このような不安と相互不信を、さらに加速させているのが「不審者情報配信メール」である。例えば、今年2月17日、次のような注意報が携帯電話にメール配信された。
子ども安全注意報 本日午前9時過ぎ、滋賀県長浜市の路上と川で、「子ども2人がナイフで刺されたような傷を負って倒れている」と通行人の男性から119番通報があった。刺されたのは幼稚園の男児と女児で、女児はまもなく死亡した、男児には数ケ所の刺し傷があったとの報道がありました。事件の詳細は不明ですが、犯人は逮捕されました。区では同様事案を防止するため、下校警戒等を強化します。子どもの下校、送り迎えに保護者の皆さんの付き添いを強化されるようお願いします。
断っておくが、このメールは「東京都内」で配信されたものだ。遠い滋賀県で起きた、しかもすでに犯人が逮捕された事件が、都内の親たちに下校警戒強化の告知とともにメール配信され、さらには付き添いの強化を訴えるのである。
こうした全国の重大事件の周知とともに、地域のどこそこに「変質者」や「露出狂」、「不審者」が出現したというメールが、子をもつ親の携帯には毎日のように飛び交っている。あたかも不審者という「怪物」がそこかしこを徘徊しているかのようだ。
だが、不審者情報の多くは地域住民の自己申告である。勘違いもだいぶ交じっているといわれている。例えばこんな「事件」があった。小学生が下校途中、見知らぬ男性に「車に乗らないか」と声をかけられ、児童らが「いや」と走り去ったというのだ。もちろん、不審者出没メールとして配信されたのだが、警察の捜査の結果、転倒しかけた子どもを心配して声をかけたというものであった。
こうした顛末を知ると、小学生が歩いていると黒い車がゆっくりとついてきた、振り返ると運転手が笑っており、怖くなって友人宅に駆け込んだなどといった、よく耳にする不審者情報なども、子どもが道を歩いているので車のスピードを落とし、たまたま目があった子どもにほほえみかけただけなのではないかと考えてしまう。だが、バイクを押して後ろをついてきた、それだけで不審者。「みかんをあげようか」「お菓子をあげようか」と声をかけただけで不審者だというのが現状だ。
日常的な住民同士の配慮やコミュニケーションの一コマが、不審者に異様に過敏となった治安共同体のなかでは、不審者情報メールとして親たちの携帯に出回ってしまう。かつてであれば牧歌的だったはずのコミュニケーションが、携帯メールというコミュニケーションツールを介して、不審者出没という出来事に変換されてしまうのだ。
地域コミュニティーが崩壊しているのが問題だとされながら、日常的なコミュニケーションの分断はますます深まっていくのである。
独り歩きする「数字」
06年2月6日、共同通信社から非常に興味深い記事が配信された。
何らかの危険な目に遭ったことがある子どもは12・7%ーー。不審者情報の配信システムを提供する「ドリームエリア」(東京)が、受信登録している保護者にアンケートしたところ、子どもの安全が予想以上に危険にされされている現状が浮かび上がった。
全国の受信者に1月中旬、アンケートフォームを送信、携帯電話のサイトを使って1000人が回答した。94・8%が小学生や園児の保護者だった。
住んでいる町を「安全だと思わない」と50・5%が感じ、「危険な場所」は「下校時の通学路」(41・1%)、「公園」(11・6%)など。
この記事が掲載された各メディアの論調は、「1割以上の子どもが危険に遭遇」していて、「保護者の5割がわが街を安全ではない」と感じている、といったものである。同社のサイトによれば、約30社ものメディアがこのアンケートの結果を掲載した。
このアンケートは、不審者情報配信システムを運営している企業が、(記事には掲載されていないが、3千人の登録者を対象に)1千人から得た回答をもとに作成したものだ。同社はインターネットサーバーの運営保守管理を行っているシステム会社。空いているサーバーを使って、このサービスを、「犯罪不安」対策に苦慮する学校やPTAに対する「社会貢献」のひとつとして位置付け、無料で提供している。
その「善意」はさておき、問題は数字の妥当性だ。注意すべきは、一般的な世論調査とは異なって、このアンケートが「不審者情報」を受け取っている保護者という、特殊な母集団へのアンケートである点だ。当然、データを世論の総意と受け取るわけにはいかない。「変質者」や「露出狂」などの不審者情報を日々、メールで配信されているという特性を考えると、「(回答した)保護者の5割がわが街を安全ではない」と感じているというのも当然の結果ではないだろうか。もしくは、属性のわりには低いのではないかともいえる。回答していない2千人の意向も定かではない。アンケート自体も1回目であることから、以前のものと比較するわけにもいかない。つまり何とでもいえるデータである。
さらに、「1割以上の子どもが危険に遭遇」という解釈も、その「危険」の定義は詳細には調査されていない。つまり、保護者が「危険と思ったら危険」という意味での(回答した人の中の)1割である。先に述べたような、勘違いや思い込みが多く紛れている可能性も高いだろう。
しかしながら、メディアの報道では、これが世論で事実であるかのような扱いである。そこでは、「子どもの安全が予想以上に危険にさらされている現状が浮かび上がった」と、あたかも地域の子どもたちが高い危険の下にあるかのような「現実」をかたちづくってしまう。取り出された数字が独り歩きし、デジタル化された不審者情報によって生み出された危機感と不安意識にすぎないものが、メディアの報道を通じて実体化されていってしまうのだ。
そして住民たちはますます、不安に駆られて、不審者情報を欲するようになる。まるでマッチポンプのようなからくりであるが、このようなからくりのなかで現在、セキュリティーマーケットが急激な勢いで拡大しつづけているのだ。先日もNEC(BIGLOBE)が不審者情報を最大100万人にメール配信できる新サービスを発表した。こちらは有料のサービスだが、アピールポイントがじつに興味深い。それは個人情報保護における「強固なセキュリティー」管理体制というものだ。
分断されるコミュニティーと情報管理ビジネスの興隆
不審者情報の需要を支えているのは、子どもを狙った犯罪への(多分に誇張された)不安であるのは確かだ。だが、それだけではない。このシステムが瞬く間に保護者にあいだに広まった背景には、、もっと別の理由もある。それこそがNECのサービスがアピールしているポイント、すなわち個人情報のセキュリティー管理体制だ。意外なことかもしれないが、ここには「個人情報保護」の問題が絡んでいるのだ。
個人情報の漏洩のみを取り上げて、あたかも重大な犯罪とするかのような報道が、法施行以前から繰り返しなされている。そうしたもののなかには、次のような記事がある。
県教委は14日、パチンコ店の駐車場で児童34人分の個人情報が入ったリュックサックを盗まれたとして、鹿本教育事務所管内の小学校に勤務する男性教諭(36)を戒告処分にした。県教委によると、教諭は6月10日午後8時ごろ、学校帰りに植木町内のパチンコ店を訪れ、車を駐車。店内でパチンコをして午後9時15分ごろ車に戻ったところ、助手席の窓ガラスが割られ、児童の電話番号が記入された名簿や学力検査の成績表などが入ったリュックサックがなくなっていた。(「毎日新聞」2005年7月15日付)
パチンコをしていたことが強調されているが、教員が学校の帰りや休日に何をしようが自由なはずだ。盗んだ人間が責められるべき話で、しかも犯人も果たして「情報」を狙っての犯行かといえば、十中八九そうではないだろう。にもかかわらず、情報漏洩をしたというだけで、被害に遭った教員が加害者扱いされるようなねじれた事態が生じている。このような教員の謝罪の記事も散見されるが、情報が悪用されたかどうかという実害の後追い記事はほとんど見かけない。
個人情報保護法の施行後、個人情報はあたかも「取り扱い危険物」のようなものとなってしまったことが分かるだろう。その結果、学校ではクラスの連絡網をつくらなくなり、あるいは緊急連絡網が回収されるようになった。教師の住所を明かさない学校も多く、滑稽なことに、生徒や卒業生が教師に年賀状、暑中見舞いも出せないといったことも起きている。
最近、急激に扱いが変わっているのは緊急連絡網などの名簿だ。“流出”を恐れ、本人の前後2、3人だけにしたり、作成や配布を取りやめたりしている。福岡市中央区の大名小は緊急連絡網は作るが、各クラスのPTA委員3人だけに渡し、児童には扱わせない。3人にも取り扱いに注意するよう念を押し、年度末に回収する。山口県立山口高は連絡網を廃止し、連絡事項は生徒が学校のホームページで確認する。パソコンや携帯電話を持たない生徒には、担任らが電話で連絡する。同県立山口中央高にも連絡網はなく、緊急の際は担任、副担任が直接電話する。学外に情報を発信するホームページや「学年だより」からも、子どもの顔や名前が消えている。(「読売新聞」西部本社発行版、2005年10月8日付)
学校は児童の情報に異様なまでに神経を尖らしている。教員が本来の仕事の時間を削って、各児童の家庭に電話をかけなくてはいけないような、きわめて不便で負担を強いる事態を招いている。ここに先のような民間のシステム会社がサービスを展開する余地が出てくるのだ。もちろん企業の側も、個人情報漏洩のリスク管理をしなければ処罰される可能性があると、学校関係者に含めるように諭している。
もし万一漏洩してしまえば、学校が処罰の対象になりうる可能性があります。これは、学校だけでなく学童を預かる責任あるお立場の方にとっては、大きなリスクになってしまいます。(ドリームエリアのサイトから。現在は掲載されていない)
児童の情報を握っている教員は管理を徹底しなくてはならない。そこに情報管理システムが解決案を提示する。「個人情報」のコントロール権は握りつつも、「個人情報」という危険なものは、民間企業など1カ所に集めて厳重に管理してもらい、自分たちは可能な限り扱わないという考え方である。
この方式はじつに学校、企業、そして警察といった複数の利害を同時に満たしてくれるのだ。そして、このような立場の違う者同士のメリットを束ねるネットワークを介して、不審者情報が現在、洪水のように配信されるようになっているのである。
学校側のメリットはといえば、個人情報を一括管理してもらうことで、情報漏洩のリスクと責任を分散させつつ、連絡のスピードアップもはかれるというものだ。このネットワークを使えば、運動会や修学旅行などの学校行事、あるいは従来、電話で行っていた緊急連絡など、学校から保護者へ一斉にメール配信ができる。技術的な利便性も高い。例えば、メールの送信先を簡単に振り分けることができる。「3年生の保護者に」「女児の保護者に」といった具合だ。手間も省け、整理もでき、配信履歴も残る。情報管理の責任を取りざたされる学校関係者にとって、セキュリティー管理体制を備えた連絡網として導入しない理由のほうが見つからない。
警察のメリットは、治安意識に敏感になり、防犯こそが街づくりであると考えている地域住民への行政サービスの迅速化だ。住民たちはリアルタイムの不審者情報提供を求めている。メールサービスを導入する以前、不審者情報はプリントで配布されていたが、デジタル情報にすることで、地域や警察、学校から寄せられた不審者情報を、スピーディーにメール配信することができるのだ。防犯のために住民との情報の共有を積極的に推進している警察にとって、それはきわめて有効なツールとなるのはいうまでもないだろう(付言しておくと、学校や教育委員会を経由しない警察のメール配信サービスも大人気で、話題となっている。大阪府警のはじめた住民向けサービス「安まちメール」はサービス開始後2週間で12万人が登録した。配信数があまりに多すぎてNTTドコモの配信規制にひっかかってしまい、「迷惑メール」と認識され、登録者の一部になかなかメールが届かなくなったほどだ。サービス開始後、大阪府全地域の情報を希望した人には5日間で166件もの情報が届き、2万人がエリアを限定するなど登録をやり直した。報道によると「自分の身を守るため府内全域を選択していましたが、あまりに多すぎて怖くなりました」といった意見が府警に寄せられた。このサービスは90万人までの配信数が確保できるスペックだ)。
企業のメリットは無論、プロフィット(利益)だ。それはさまざまな意味でのプロフィットである。NECなどのように収益という意味でのプロフィット、ドリームエリアのような「社会貢献」という意味でのプロフィット。使われていないサーバーの稼働率をあげるというプロフィットもある。メールの情報配信のシステムは既存の同報配信のシステムを基盤にすることができ、開発コストもほとんどかからない。
個人情報保護法の影響は皮肉なものだ。連絡網などの従来的なコミュニケーションが、個人情報の「保護」を謳う法律によって分断される。そして、学校の情報漏洩リスクを救済すべく民間企業が介入するのだが、そこに築かれるネットワーク上にデジタル化された不審者情報が飛び交うことで、ウイルスのように速やかに不安が拡散されるシステムが出現してしまうのだ。
ドリームエリアのウェブサイトには、「コミュニティ全体の活性化!!」などというのどかなキャッチコピーが躍っている。だが、現に起こっていることはコミュニケーションの分断であり、住民たちが不審者の影に日々脅え、相互に不信なまなざしを差し向けあう、そうした治安共同体の出現なのである。
「不審者」排除のシステム
冒頭の男性の投書を読んだ女性の保育士が、後日、次の意見を新聞に寄せている。
子どもたちを人が信じられない子に育てたくはないが、事件が起こる度、やはり私も子どもたちに「知らない人がお菓子をあげるっていっても、ついていっちゃダメよ」と話をしてしまう。先日、散歩にでかけた時、手をポケットに入れたまま、子どもたちを乗せた乳母車に近づいて来るおじさんと出会った。おじさんは手を出し「かわいいねぇ」となでようとしただけだったが、その頃、刃物をポケットに隠し持ち、いきなり子どもを切りつけるという事件を聞いた直後だったので、血の気が引いた。(「朝日新聞」名古屋本社発行版、06年3月18日付)
ここに書かれているのは、子どもに差し向けられたきわめて自然な愛情の発露だ。かつてであれば地域コミュニティーが生成し、住民同士を結びつけていたはずの日常生活の一コマが、「殺されるかも知れない」という恐怖の瞬間と化している。
体感治安の悪化という実態なき不安が流布するなかで、地域コミュニティーの再生こそが治安回復の鍵だと唱えられる。警察は治安を軸に地域の再編を主導するが、そのような動向に住民たちのノスタルジーが絡み合う。そして、個人情報保護法の呪縛が個人情報を危険物にすることで、従来的なコミュニケーションを破壊する。そこに民間のシステム会社が代替ネットワークを構築し、学校の連絡事項とともに不審者の出没情報をばらまいている。
相乗効果で不安は肥大化し、住民たちが生活する日常の風景は一変する。地域コミュニティーの再生どこではない。そこには決して、牧歌的な風景などは現れず、まったく反対に、見知らぬ人が不審者の仮面をかぶって現れるこの共同体では、住民たちは相互によそよそしい、ときには恐怖すべき存在と化すのである。
私たちは「監視国家」の住人だというのは、よく言われることだ。個人情報保護法反対の大合唱が起こったときも、批判の論点は監視国家化というものだった。だが、現在、目にしている光景は、国家権力が住民の一挙手一投足を監視しているという事態ではない。
不審者というカテゴリーを介して排除すべき対象を発見する、そうした行動が集積していくような仕組みが増殖しているのが、私たちの社会の姿なのである。そしてそれこそが、きわめて危険が病理にほかならないのだ。
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