今月のおすすめ記事  2007年4月号

「小さなジャーナリズム」
としての存在価値

マスメディア型放送に対するオルタナティブ

武田 徹

ジャーナリスト・評論家
たけだ・とおる 1958年、東京都生まれ。国際基督教大学大学院比較文化研究科博士課程修了。BRC(放送と人権等権利に関する委員会)委員。著書に『流行人類学クロニクル』『戦争報道』『NHK問題』ほか多数。
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 「じゃ、JCキャスト3回目の放送を始めます」。マイクを前に話し始める。放送出演の経験はあるが、まさか自分がラジオ番組の司会を務めるとは少し前までは想像もしていなかった――。
 筆者は東京大学先端科学技術研究センターでこの3月までジャーナリスト養成コースの運営を担当していたが、2004年にコースを母体にしたWEBサイトhttp://www.journalism.jp/を立ち上げている。ジャーナリストを志しつつ、まだ発表の場を持てていない、そんな参加者のために、そして彼ら以外にも発言の機会獲得に苦労しているジャーナリストたちのために、作品公開のメディアがあれば良いと考えたからだ。
 そんなWEBサイトのメニューの中に今年初めから「JC(=Journalist Course)キャスト」というコーナーが加わった。科学ジャーナリストの粥川準二氏と、現役フリーターという独自のスタンスから最近は各紙誌に格差社会問題について寄稿している赤木智弘君(コースの出身者でもある)を出演者に迎え、月に1回、掛け合いで時事問題について論じてもらい、その内容を音声配信している。
 これは無線を介する放送ではない。インターネットが電波の代役を果たすネットラジオだ。再生ボタンをクリックすると音声ファイルが開かれ、パソコンを通じて聴ける。こうして音声(だけでなく映像も可)をネット配信する技術は、アップル社が05年に携帯音楽プレーヤーiPodとPCを連動させるソフトiTunesの中にそれを組み込んだことを契機に、急速に普及を果たした。今やこの技術を利用してネット配信を行う草の根ネットラジオ局が急増中だ。
 そんなネットラジオ局の末席に連なってまだ日も浅い筆者がネットラジオについて語るのはおこがましいが、無線を使った放送との隔たりの大きさはすぐに実感できた。なにしろとんでもなく参加障壁が低い。必要機材は取材メモ用に使うごく普通のちっぽけなICレコーダーだけ。録音データをパソコンで処理してWEBサーバーにアップし、クリックひとつで番組が聴けるように仕込むのは、ブログ作成に慣れている人ならたやすいだろう。
 加えて開局するのに許可を得る必要もない。電波を使わないので電波法は無関係だし、結果的に放送法の支配も受けない。この規制の不在はネットラジオの存在価値を考えるうえでとても重要だ。というのも、日本の戦後放送の「かたち」を決めてきたのは放送法と電波法だったからだ。放送法第3条の1には「放送番組は何人からも干渉され、又は規律されることがない」として放送における表現の自由を謳っているが、そこには留保が付く。同第3条2には「公安及び善良な風俗を害しないこと」「政治的に公平であること」「報道は事実をまげないですること」「意見が対立している問題は、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」と放送局が守るべき義務を数え上げている。
 ここで問題なのは、放送がこれらの義務に違反しているかを「誰が」判断するかだ。放送局に電波使用の免許を与えているのは総務省であり、電波法第76条で、「総務大臣は免許人が放送法に違反したときは、3箇月以内の期間を定めて無線局の運用の停止を命じ、又は期間を定めて運用許可時間、周波数若しくは空中線電力を制限することができる」と定めている。
 こうして電波を停められるという生殺与奪の権を握られている限り、放送局は総務省やその背後に連なる有力代議士の顔色をうかがいながらでしか放送ができない。これは日本の放送メディアが政治や行政から独立した第三者性を確保できない事情を物語る。
 実はかつては違っていた。1950年施行の、いわゆる電波三法には放送法、電波法と並んで電波監理委員会設置法が含まれており、電波使用の許認可は独立行政委員会である電波監理委員会が担当していた。ところがこの電波監理委員会は52年に廃止され、電波使用の許認可を郵政省(現総務省)が行うようになった。
 こうした経緯を問題視し、電波監理委員会の再設を望む声は少なくない。確かにそれは放送が独立性を回復するひとつの対症療法にはなるだろう。だが、問題をあまりに局所的に見ると大局を見誤る危険もあるのではないか。放送の自由や独立性の問題は、放送とは何か、あるいは放送ジャーナリズムとはそもそもどうあるべきかという原理的な位相にまで立ち返って検討する必要があるのだと思う。
「伝えるべき」内容とは
 1906年のクリスマスイブのこと。米マサチューセッツ州の沿岸を航行中の船の無線通信士は我が耳を疑った。モールス通信信号を聞いていたら突然、耳元で人が囁いたのだ。やがて女性が歌い始め、優雅なバイオリンソロも披露された――。
 モールス通信機が受信したのはピッツバーグ大教授のレジナルド・フェセンデンが行った世界初の音声送信実験の電波だった。フェセンデンは高速回転させた交流発電機から高周波を持続的に発生させ、音声を電波に乗せる技術を開発していた。実験の最後に彼は自らマイクに向かって「メリークリスマス」と挨拶、大晦日に同じ番組を流すと「公約」し、それが聴けた人は返事の葉書を送ってくれと依頼する。返信は遠く西インド諸島沖のバナナボートの乗組員からも寄せられたという(水越伸『メディアの生成』同文舘出版から)。
 こうして緒についた無線音声通信技術に特に魅了されたのはアメリカの若者たちだった。彼らは無線機を自作し、どれだけ遠くまで電波を飛ばせるかを競い合い始める。それは特定の相手を定めて情報を送る「通信」ではなく、不特定の潜在的聞き手に向けて電波を送信するという意味で「放送」の形式を備えていた。
 そんな活動で鍛えられた彼らの腕前は第一次大戦中の無線通信業務に大いに生かされる。終戦後、無線通信士たちは再び故郷でのアマチュア無線三昧に戻る。その中の一人、フランク・コンラッドが興したピッツバーグの無線局は、特に優れた音質の音楽放送で評判となる。それを聞きつけた大手電機メーカー、ウェスティングハウス社の重役がコンラッドに資金を提供、同社の工場内で強力な出力の無線局を開設させた。
 先行したアマチュア無線局ではなく、1920年11月2日にアメリカ大統領選挙の速報をもって放送開始したこのKDKA局が「世界最初のラジオ局」と紹介されることが多いのは、今のマスメディア型「放送」の原型がそこにあるからだ。ウェスティングハウスが出資したのは放送が広い範囲で聴取されれば、自社製無線機購入者が増えるだろうという目論見から。この時点でアメリカの放送はアマチュア無線愛好家の趣味の活動から、放送による情報提供を通じた利益獲得を期待する資本家をスポンサーとする商業的活動に変わった。これが広告収入で経営される民間放送の起源なのは言うまでもない。
 そしてアメリカでは法制度もそうした放送を守り、育てようとした。放送局増加の結果、深刻化する混信問題に対して政府は無線法を制定。27年には放送に使用できる周波数帯は公共の財産であり、公平に分配されるべきだという考え方を示した。そこでの「公平」とは、放送ビジネスに参加する機会が平等公正に与えられるという意味で、商業放送が前提となっていた。とはいえ、皆に電波ビジネスへの参加を認めると混信で共倒れになるので、「公衆の便益、利益、必要性」に資すると判断された放送局のみに免許が与えられるように決める。その判断を公正に下す組織として独立行政委員会のFRC(連邦無線委員会Federal Radio Commission)が設立される。このFRCが後にFCC(連邦コミュニケーション委員会Federal Communication Commission)と改称され、戦後、日本で設立される電波監理委員会のモデルにもなる。
 日本の電波監理委員会は消失したが、アメリカではまだこのFCC体制が健在だ。しかし、そんなアメリカの放送ジャーナリズムは十分に政府から独立していると言えるだろうか。戦後のアメリカは世界に先駆けてテレビ時代を迎えるが、テレビジャーナリズムは湾岸戦争以来、軍の提供する映像ばかりを流す政府の広報機関に堕した。
 たとえば湾岸戦争で初めて実戦投入された精密誘導ミサイルがいかに目標物を破壊するか、その弾頭部に設置したモニターカメラから送られた映像を軍が提供すると放送局は、特に軍や政府が圧力を加えなくても喜んでそれを流した。なぜならそれが多くの視聴者が間違いなく見たがる映像だからだ。視聴率が取れる魅力的な映像をメディアの独自取材に先んじて政府や軍が用意してふんだんに提供することで放送局を強制なしに意のままに動かす。そんなメディア操作法は、それを発案した広告代理店出身のレーガン大統領補佐官マイケル・ディーバーの名を取って“ディーバーシステム"と呼ばれる。
 特にテレビ放送時代になって放送局は巨大組織に成長した。番組作りに巨額の資金が動くようにもなり、民間放送局の場合、広告収入の浮沈がその経営を大きく左右するようになった。そうなると広告主の評価に直接繋がる視聴率競争は熾烈を極め、視聴者が飛びつく刺激的で魅力に満ちた映像を放送しなければならない要請がより強くなる。そんな事情が背景にあって、テレビメディアがディーバーシステムに容易に操作される構図が用意された。
 そう考えると、放送ジャーナリズムの自立は、単に電波使用の許認可を独立行政委員会に委ねれば実現するわけではないと分かる。KDKA以後の放送は組織を大きく育てていく軌跡をたどった。放送局が巨大な組織になるにつれ「伝えるべき」内容が変わってゆく。組織を防衛するために「伝えるべき」内容が決まるようになる。こうした事情は広告収入依存の民間放送によりシビアに現れるが、放送局組織を守るために「伝えるべき」放送内容を勘案しがちな点では、受信料経営による公共放送も無縁ではありえない。
ジャーナリズムの初志に
 鶴見俊輔は65年刊行の編著『ジャーナリズムの思想』(筑摩書房)で、早くも報道機関の巨大化が「ジャーナリズムの思想とジャーナリストの思想をきりはなした」と書いていたが、こうした乖離はテレビメディアの時代に一段と深刻になった。乖離から逃れたければジャーナリズムの初志に戻れと鶴見は言う。ジャーナリズムの語源にはジャーナル=日記が含まれる。自分が日々感じる違和感を吐露し、記録する日記にこそジャーナリズムの初志がある。そして、そんな異議申し立てを公開するうえで「表現形態の最後の部分まで自分の責任のもとにおきたいと考えるジャーナリストは、マス・コミュニケーションとは違うジャーナリズムの形式を工夫せざるを得なくなった」と鶴見は書き、その実践例として戦時下に正木ひろしにより刊行されていた『近きより』や桐生悠々『他山の石』といった自費出版ミニコミを挙げる。
 放送でもこうした「小さなジャーナリズム」活動は可能だろう。たとえば『聴かせてやんない!』(くまざさ出版)は痛快な一冊だ。著者・種田守倖は小学生だった76年に送信機を自作、自宅周辺にAM電波を流すミニラジオ放送を始めている。熊本県大江3丁目の放送局だから「大江放送」と自分で局名をつけて名乗っていたという。
 「放送」を少数の巨大な放送局が多くの視聴者に番組を送る「形式」だと信じて疑わない人が多いが、それは「習い性」以外の何ものでもない。既に書いたように、初期の放送はもっと自由に誰もが参入できるものだったのだ。「大江放送」に始まり現在に至る自主ラジオ活動を綴った種田の著書には、マスメディアになる前の「放送」の自由が息づいている。
 だが、そんなミニラジオ放送も電波法の縛りからは自由であり得なかった。たとえば80年代前半にはミニFM局開設が一種のブームになったことがあったが、長続きしなかった。というのも、電波法に抵触せずに発信できる微弱電波はせいぜい半径100メートルの範囲しか届かず、その狭い範囲にいるリスナーはあまりにも少ない。前出・種田はこう書いている。「最初のうちは友達同士の会話や、スタッフが目の前にいることで『サブうけ(一種の内輪うけ)』などに助けられて何とか放送枠を維持することが出来ても、そのうちメンバーのスケジュールが合わないとか何とかで、たった1人で番組を維持しなければならない時が来る、そのとき初めて『来る当ての無いリアクションに対する焦燥感』や『番組を進行していく上での失望感』が襲って来る」
 受信者の立場に甘んじず、放送初期の無線家たちと同じ送信者の立場に踏み出してゆく果敢な挑戦をした人の多くが孤独に耐えきれずに脱落していった。ところが――。インターネットの登場が状況を激変させた。ネットを通じた配信であれば、視聴可能範囲に物理的な制約はなくなるのだ。
「内容」が「形式」を選ぶ
 もちろん、それは聴取の可能性が形式的に広がったというだけであり、聴取に値する内容がネットラジオに必要なことは言うまでもない。いかに自分たちのネットラジオを価値づけてゆくか――。そこには様々な考え方があろうが、JCキャストを始めた時に筆者が考えたことは、マスメディア型放送ジャーナリズムに対するオルタナティブ=別の選択肢を提示できないかということだ。
 テレビジャーナリズムの場合、良い「絵」が撮れないと番組が成立しない。照明や録音の専門スタッフを引き連れたクルー体制で取材に出かけて、確実に「絵」が押さえられる対象しか報道できないという制限が生じる。つまりテレビという「形式」が報道の「内容」を決めてしまっているのだ。
 それに対してJCキャストではあくまでも「内容」が先にあってそれにふさわしい「形式」を選んでゆく順序にこだわりたい。その点、ラジオというメディアは、実はなかなか優れものなのだ。筆者の担当してきた東大のジャーナリスト養成コースでは、それぞれのメディアの特性を実際に経験を通じて知ったうえで、自分の追求するテーマにふさわしい発信メディアを能動的に選べるようにする「多メディア経験」を特徴のひとつとしていたので、ラジオ番組制作もカリキュラムに加えていたが、現物がなくても言葉で説明できればラジオでは番組が成立すると分かると、テレビ世代の若いコース参加者はその自由度の高さに改めて感心する。取材に出かけるにも音声だけを収録するのなら機材は少なくて済み、記者1人がフットワーク良く動ける。こうした特性をうまく生かせば、ラジオは特に調査報道型のジャーナリズムのメディアとしての適性を持っているのだと思う。
 ただ、現実のメディア史においてはラジオも、より広い範囲に放送するために設備投資をし、放送時間を増やしてゆく過程でメディア組織としての規模を拡大してきた。その過程で鶴見の言う「ジャーナリズムの思想とジャーナリストの思想の乖離」をラジオもまた経験するが、ネットラジオはそうした歴史を再びゼロにリセットして「小さなジャーナリズム」の場に戻せるのだ。
 JCキャストでの粥川、赤木両氏の話し方はたどたどしい。2人とも放送メディアは慣れていないのだから当然だ。しかし、世間に異議申し立てしたい論点をたくさん持ち合わせている点では人後に落ちない。だから資料を大量に準備してマイクの前で読み上げる。つっかえることもあるが、それでも良いと思っている。内容のない流暢な語りより、内容があれば朴訥な語りを選ぶことに躊躇しないのがうちの個性なのだ。JCキャストはあくまでもネットラジオのあり方を確かめてゆく実験という位置づけであり、出演者にギャラも出せない手弁当の活動なので、そう長くは続けられないだろうが、しばらくはコース履修生や若手ジャーナリストなどに発言の場を提供していきたい。ちなみにネットラジオの場合、語りだけでは不十分で、映像で示すほうが一目瞭然で望ましい場合はリンクで参照するなどネットの特性を生かした補完も可能だ。ただ、そこでもあくまでも「内容」が「形式」を選んでゆく順番にこだわりつつマルチメディア化を模索したい。
 ちなみに、筆者はインターネットが世界中の問題をすべて解決してくれると考える楽観論者ではない。参加障壁の低さゆえに急増するネットラジオも、このままだと局数が増え過ぎてうまく番組を選べない混信(的)状況にすぐにでも立ち至るだろう。ただその時にも、組織の後ろ盾を持たない無力さゆえに、かえって伝えるべきことが伝えられ、身内を守るのではなく公共的な立場から問題に鋭く切り込める、そんな「小さなジャーナリズム」としてのネットラジオが、その逆説的な個性において存在価値を評価され、一定の活動の場をネット社会の中に持ち続けていてほしいとは思っている。

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