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今月のおすすめ記事 2008年3月号
象徴天皇制の持つフィクション性
日本社会における天皇の役割を考え直す時期
後藤致人 愛知学院大学准教授
ごとう・むねと 1968年、神奈川県生まれ。東北大学大学院国際文化研究科博士課程後期修了。専門は日本近現代史。著書に『昭和天皇と近現代日本』。
明治憲法体制は、天皇大権を広く認めているが、そこにはフィクション性があり、必ずしも天皇個人が権力を運用するわけではなかった。薩長藩閥政府は、たとえ衆議院が自由民権派に占拠されようとも政府と軍隊は独占できるように、天皇大権という名分を広く用意し、この運用によって権力の維持を図ろうとしていた。
日本国憲法で規定された象徴天皇制も、逆の意味でフィクション性を持っていた。戦後保守体制の下、必ずしも天皇の国政不関与が徹底していたわけではなかった。
戦前昭和天皇は、宮中側近からも「英邁」と評され、内閣からの上奏・内奏に対して発せられる御下問は鋭かった。昭和戦前期の内閣が、国家諸機関や政治勢力の統合に腐心するなかで、天皇による政治的調整を求める声も大きくなり、最終的に終戦の聖断につながっている。
敗戦後、天皇の戦争責任を回避する論理として、宮中周辺には、二つの論理があったと思われる。一つは内大臣木戸幸一に代表される「ありのまま」の宮中を伝えることにより、ファッショに対峙してきた天皇・宮中を明らかにしようとするもの、もう一つは岡田啓介・米内光政に代表される、天皇は何も知らなかったし、決定権もなかったとして回避する論理である。アメリカは、日本進駐後比較的早い時期に戦前の天皇の役割を認識したと思われるが、最終的に保守体制を維持するためには天皇の権威が必要と判断、後者の論理を採用し、東京裁判では戦争責任を軍部に押し付けた。
天皇の戦争責任回避と軍部への戦争責任の押し付けは、結果として保守政党や官僚機構などの温存につながり、戦後保守体制の基盤となった。そして、戦前からの天皇が二つの異質な憲法をまたいで在位しつづけるのも、戦前何も知らず決定権もない天皇ならば象徴天皇制下の天皇になっても論理的に矛盾しないのである。しかし昭和天皇は、『芦田均日記』『佐藤栄作日記』などによれば、戦後になっても立憲君主意識を持ち続けていた。国事行為を逸脱して、内閣に対して国政に関する御下問を繰り返し、日米同盟の重要性や沖縄を含む駐留米軍の撤退の不可、台湾政府への配慮の重要性を伝えている。
これに対し明仁天皇は、象徴天皇制を常に意識して行動しようとしている。天皇誕生日にあたっての記者会見などでも繰り返し日本国憲法における象徴天皇制の規定に言及している。
立憲君主意識を持ち、カリスマ的な昭和天皇から象徴天皇制を意識する明仁天皇への代替わりは、少なくとも二つの点で大きな意味を持つと思われる。第一に戦争責任論からの天皇の解放である。戦後、昭和天皇が在位していたころ、戦争責任論の本丸とでもいうべきものは天皇であった。今日国際情勢の激変のなかで再び戦争責任論が浮上しているが、その論争の中心は靖国神社や従軍慰安婦問題などであり、天皇ではない。
そしてこのこととも関係しているが、第二としてナショナリズムや改革の論理と天皇が遊離したことである。19世紀半ば、ヨーロッパを中心に言語を基準に「民族」を創出し、その「民族」を単位にして国民国家が形成されるが、日本において「民族」創出の結集原理として大きな意味を持ったのは天皇であった。また20世紀、第一次世界大戦を契機として国民国家システムや世界システムの激変があったが、日本の大正デモクラシーからファシズム期にかけて改革の論理として重要性を持ったのはやはり天皇であった。
しかし世界のグローバル化が進み、同じような激変期に突入した今日、天皇に改革のための結集原理を求める声は、おそらくない。天皇から離れた改革の論理が構築できるのか、現代を生きる日本人の知恵が試されているのかもしれない。ただ、平成の憲法調査会でも象徴天皇制について踏み込んだ議論がなされていないように、天皇から離れた国体・国政のあり方を強く意識したところまではきていない。
各種世論調査で、象徴天皇制支持が8割を超えて久しいが、その中身は大きく変動している。天皇代替わり以降、旧来の天皇像を支持する確固とした層が減少し、一方天皇制について本質的な批判者であった革新勢力は大幅に後退した。保守政治が天皇論の争点化を避ける姿勢もあいまって、民衆意識のなかで天皇に対する無関心が広がっている。
象徴天皇制は天皇の戦争責任回避の論理と結びついている部分があり、それだけに天皇の役割について抑制ばかりが目立つ。しかし天皇は、主体的に行動してはいけないのだろうか。明仁天皇の日程記録を概観すると、昭和天皇とは違う主体的な取り組みが浮かび上がってくる。それは災害に対する取り組みである。阪神・淡路大震災や新潟県中越地震など災害が起きると、当該閣僚や知事が内奏・報告に行き、時には首相よりも早く天皇が現地に飛び、被災者を励ましている。明仁天皇は象徴天皇制を強く意識する一方、時代に合った天皇の取り組みも模索しているようである。
現在、象徴天皇制の抑圧から、天皇家は閉塞状態にある。根本に立ち返って日本社会における天皇の役割を考え直す時期にきているのではないか。たとえば、国体・国政から天皇を分離し、文化・福祉を中心とする天皇家の主体的役割を認めることができないだろうか。天皇の継嗣問題でも、国体から分離できれば、無責任な人々が議論するのではなく、天皇家内部でさまざまな工夫をしていくと思われる。皇太子妃の苦悩は、象徴天皇制の矛盾、特に天皇家の人々に対する非人間性の側面を表しているのではないか。
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