今年の冬はひさびさに寒かったが、あまりの寒さに深夜12時ごろ炬燵(こたつ)に入っていると、よくドカン、バサバサといった怪音に驚かされた。そのたびについ「また来たな」と思ってしまう。この怪音の正体は、サイズ、重量ともに大きな本が、ときには複数、わが家のポストに投下される音だ。この家を設計してもらった建築家に、わが家では郵便物、それも比較的大きなものがよく来ると話したところ、それならというので、幅は40センチほどだが深さは――これが大事なことは、すぐに分かる――80センチはあるポストを、外まで郵便物をとりに出なくてもいいようにと建物本体につけてくれた。それが予想以上に大きな音に驚かされる原因になった。しかも、宅配便というものが出現したために深夜の怪音の数は一段とふえ、深夜に働いている人たちへの同情も誘う。
この騒音の増加には、私の年齢もたしかに関係している。友人知己が片端から人生の収穫期を迎えて、つぎつぎに本を出すのがいけない! しかも、今までに書いた文章を細大もらさず入れてしまうような人もいて、大冊になる例が少なくない。かくてわが家はいたるところ本の山、届いたばかりの本がすぐにどこかへ消えてしまい、礼状を書く段になって見つからずに慌てたりする。
だがこういう本の洪水状態こそ、子供のころの夢だったのだ。私の少年時代には、本しかなかったと言ってよい。今でも似たようなものだが。自分の本だけでは足りずに、本を持っていそうな友達のところをまわって借りた本を両腕一杯かかえて帰り、親に叱られて返しに行ったことがある。まだ読んでいない本がいつでもあったらどんなにいいだろう、と思っていた。自分のささやかな蔵書は、たえず変わる心のなかの評価にしたがって並べ変えては何度も読んだ。読むたびに印象が変わった。大倉桃郎著『中江藤樹』と海野十三著『怪鳥艇』がトップの座を争っていた。後者は今で言うSFである。豪華版の『小川未明童話集』は、りんご箱を活用した本箱に入れるには大きすぎた。そして今も屋根裏にある。
こうして本ばかり読んでいたときの私は、想像力の世界に埋没して現実の世界を忘れていた。外出する母親に何か頼まれて返事はしたのに何を頼まれたのか思い出せず、困ったことがある。これは自己逃避と言うより、むしろ自己解放と言うほうがあたっているだろう。それほど辛いこと悲しいことがあったわけではない。幼い意識は空白だったから、その空白を想像の世界で埋めずにはいられなかったのだろう。
本とのこういう付き合い方を批評の行為とまで言っては、大げさだろう。しかし、読む本、読みたい本を選別していた作業は、やはりささやかな批評活動だったと言えなくはない。また、読んだ本すべてに没入できたわけでもないのだ。だがこういう至福の没入状態の読書は、知識がふえるにつれ急速に困難になる。小学6年生のときに吉川英治の『宮本武蔵』と『太閤記』を、毎日それぞれ1巻ずつ計2冊、友人の父親の書庫から借り出すと、家へ帰る道々読みはじめて、全巻を巻数どおりの日数で読み終えた時、菊池寛の『真珠夫人』を徹夜同然で読んだ時、また蘆花の『思ひ出の記』に熱くなったあたりで終わった気がする。
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ジョージ・オーウェル |
「著者の息づかい」を引きだす
ここは、自分の読書の思い出などを語る場ではない。しかし、ひさびさに最初期の読書体験を思い出してみると、現在の自分の読書のありかたに索然となる。頻繁に書評を書くような人間は、依頼された本を「少しでも」読むこと、書ける材料を探すことを主な目的に頁をめくり、時には最後の頁から読むような曲芸さながらの真似まで迫られ、楽しむ暇などめったにない日常に飽き足らない思いを抱えているはずだ。
ジョージ・オーウェルに「一書評家の告白」というエッセーがある。話は、何者とも知れない中年にさしかかった男の、これ以上散らかしようがないほど散らかった貸間の描写ではじまる。彼は反故(ほご)やごみの隙間に、タイプライターを置く場所を探さなくてはならない。オーウェルは彼一流の自虐趣味で、細部にわたって、この男の生活の悲惨を描きだす。
虫食いだらけの部屋着を着た彼は35歳なのだが、50歳には見える。頭は禿げ、静脈瘤がうきだし、眼鏡をかけ――ときたところで、「言うまでもなく、この人物はもの書きである。詩人か小説家か脚本家か、文筆業者というものは似たりよったりだから分からないが、ここでは書評家ということにしておこう」と、オーウェルは彼が書評を数でこなして食べている男であることを明かす。そこへ、ばらばらな分野の本が5冊ひとまとめに、どさっと届く。
この辺からが、じつはオーウェルの真骨頂である。まず、この書評家は容易に頁をひらく気になれない。読まなければと思うと、紙の臭いを嗅いだだけでも気分が悪くなる始末だ。ところが、「じつに不思議なことに、原稿はちゃんと締め切りに間に合うのである」。ここがうまい! まさに、こういう綱渡りができるのがプロなのだ。だが、この自棄のような生活! わずかな喜びは多分に嗜虐(しぎゃく)的なそれでしかない。幼いころに味わった歓喜や興奮は、そのかけらもないのだ。オーウェルは言う。こういう書評家は、「いかなる感情も湧いてこないような本にたいして、むりやり反応を創り出さなければならないのだ」と。じつを言うと、オーウェルにはむしろこういう嗜虐趣味があるのだが、この際はふれずにおこう。
これほど荒れてしまった感覚で書く、ほとんど型のきまった、そして多くは長くもない「プロ書評家」の文章が読者の心を揺することは望めないと、人は思うだろう。ところがかならずしもそうとばかりは言えないところに、書評の秘密はある。追いつめられた書評家の心にも、どこかに幼いころのみずみずしい感性が生きのびていて、それが蠢(うごめ)きだすことがあるのだ。どんなに短い書評でも文学の一端につらなっていることを、書評家は忘れてはならない。むしろ、短いからこそ揮(ふる)わなくてはならない技があるのだ。むろんいちばん大事なのは根本的な感動だが、同時にしゃれっ気と、それを担う文体が必要なのである。
一冊の本が古典やベストセラーになるには、メッセージが重要なことは当然として、文体が大きくものを言う。その文体に、言葉では説明しえない親近感あるいはぬくもりといったものが感じられない本にはなじめない。これは広義の文芸書にかぎらず、学習参考書とか『家庭の医学』のような、一種の実用書のばあいでも同じなのだ。
私の世代の受験生のあいだで、英語の参考書では小野圭こと小野圭二郎氏のシリーズにばかり人気があったのはなぜか。これは興味ぶかい問題だ。英文和訳の参考書のばあい、訳例の日本語はけっして名訳ではなく、むしろぎこちないものが多かったのだ。ところがこの本には、他の参考書には感じられない温かみのようなものがどこかにあった。
その秘密こそ、理想的な書評に追求してもらいたい「或るモノ」なのではないか。つまり、言語によるメッセージの表面の下に隠れている、論理にとどまらないと言うか、論理を支えている、あるいは包んでいる――何でもよいが――「或るモノ」を、たくみに日の下にひきずりだせること、これが優れた書評の条件なのだ。それは、あえて言えば「著者の息づかい」とでも言うほかないものだ。あるいは著者の生理とでも言うほかないのかもしれない。この息づかいを捕捉してあきらかにしなければ、メッセージの本質はあきらかにならないが、それは文のつながりかたとか、文末の処理が死命を制する全体の文の流れから滲み出るもの――「思想」「論旨」「主張」などと呼ばれるものの底にひそんでいる、ときには著者自身さえ自覚していない意識であり、それを伝達するのは文体だと考えていいだろう。そしてこの意識を「趣味」と呼んでもいいだろう。この趣味のよくない思想や主張は、理屈では勝ったように見えても読者の心をうごかさない。これは言うまでもなく、書評自体にもあてはまるのである。
一片の書評が魅力をもてるかどうかを決めるのは、書評家の「趣味」である。広義の好みと言ってもよい。この趣味が洗練され、高尚なものになっていなければ、つまり書き手の「人間」に、知識の深さと広さにおいても、性格にも、厳しさに伴う大らかさと遊びの余裕といったものが備わり、表現にもそれを反映した個性がにじんでいなければ、なぜか味気ないものになる。その個性が温かければよいというものでもない。温かさも、氷のような厳しさも、徹底しているならば固有の魅力が備わるものだ。悪意というバリアーがないかぎり。
充分な長さを与える効用
これだけの条件を書評が満たすためには、どうしてもかなりの長さが必要になる。批評とかエッセーというものは観念だけでできている場合は少ない。ところが日本の書評の最大の弱点が、あまりにも短いことだというのは言われつくした事実である。新聞に載る書評は本紙の一部だから、最近はかなり改善されたものの、大部分が400字詰め原稿用紙で2枚から3枚程度、よくて5枚である。私はあるとき、国際的水準を抜く業績だと思った3巻ものの作家研究の書評をある新聞社から依頼された。そのときも3枚という条件だったので、その本はそんな枚数で書評を書けるようなものではないことを説明したら、では特例として4枚にするということになった。著者の超人的な努力と成果に感動していた私は極力言葉を倹約し熱情をかたむけて、少ないスペースに言いたいことをつめこんだ。
自慢話になるけれども、のちになって、この書評が大学から続巻出版のための助成金を受ける一助になったと著者から聞いたときは、ささやかな満足感を味わった。
これはもう、いまさら持ち出すのも気がひける常識だが、1914年に英国の「タイムズ」本紙から独立した書評紙「タイムズ文芸付録(リテラリー・サプリメント)」(TLS)の巻頭書評をはじめ、いくつかの重要な書評の長さは、うかうかすると一冊の本に匹敵するほどのものである。事実、こうした書評は、梗概を書いたら、あとは1、2行まとめの褒め言葉か、小さなまちがいを指摘してしめくくるものという日本の書評の常識とはちがって、いずれは一冊の評論集にまとめられるのを予測した、本格的な批評である。読み棄てられる紹介記事ではない。スクラップしておくに値するれっきとした批評である。
日本にも、歴史のある書評新聞が数紙はある。日刊紙も週に一度は3、4頁の書評欄をもうけている。週刊誌はさらに力を入れている。風土はたしかに少しずつ変わっている。
だが、個々の書評の長さに関するかぎり、依然としてTLSなどとでは比較にならない。いきおい、梗概の紹介とその知識の分野で占めると考えられる位置、その視野から見た価値といった点を、最低限の分量で紹介するのがやっとということになり、エッセーの高尚な「遊び」を楽しむ余裕など、ほとんど考えていないかに見える。例外的に「遊び」だけに終わっているものもあるが。しかし、この「遊び」こそ、とりあげる本のテーマに直接かかわっていなくても、広大な知識教養の領域に複雑微妙な道筋をとおして関わっている事実を筆者本人も知らずに示唆し、その本のあつかっている問題の大きさや意義を照らし出す役割を果たしている場合が少なくないのだ。力量のある書評者によるそういう種類の書評は、さまざまに異なる分野、異なる立場の読者が、それぞれの必要に応じて活かせる情報をふくんでいるものなのだ。それは、この本が広範多様な文化の諸領域のなかでもつ意味をあきらかにすることであって、この種の書評こそ優れた書評の名に値するのだ。そういう書評はいずれ単行本にする予想に沿って書かれている。そこで書評子も、すぐに棄てられてしまう程度の紹介記事とは異質の、広い文化史的視野に立った本格的なエッセーを目指す。これが、大きなスペースをあたえたときの効用なのだ。
英米系にかぎっても、TLSはもとより、「ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス」「ロンドン・レビュー・オブ・ブックス」、さらには「サンデー・タイムズ」「オブザーバー」のような高級一般紙、あるいはこれも見識の高さで有名な「エコノミスト」「ニュー・ステイツマン」「スペクテイター」といった週刊誌の優れた書評は、当然のこととして、対象となる一冊の本の枠に縛られない、独立した本格的エッセーを目指している。
だが英国の書評も、18世紀初めに現れたときから、こういう風に長く本格的なものだったわけではなく、初めはやはり梗概の紹介程度のものだったのだ。それが多少とも批評の名にふさわしいものになってきたのは同じ世紀も半ばになってからで、さらに本格的なものになるには、次の世紀を待たねばならなかった。TLSにしても、1902年に誕生したときには、文字どおりタイムズ本紙の「付録」にすぎなかったのである。それが1914年には本紙から独立し、その後は経営危機に陥ることもあったが、まずは順調な成長をとげて、いまなお定評のある高水準を維持しているのである。
「議論」「散文」の伝統の欠如
では、日本で同じような書評が育たない原因は、充分なスペースをあたえられないということだけだろうか。私は、他にも少なくとも二つの原因があると思っている。
一つは「議論」または「論争」の伝統の欠如。もう一つは「散文」の伝統の欠如――もう少し具体的に言えば、理論と遊びが融合したエッセーの伝統が手薄だということだ。
メディアの形態が変わって本が読まれなくなったというが、現実には――かなりの部分は実用書にせよ――この国では、小説にしても、その性質が大きく変わった今も想像以上に読まれているようだし、さまざまな局面での社会の大きな変化に応じて、高度な研究書から啓蒙的な解説書まで大量の本が出版されているではないか。これだけ大量の本が出まわっているからには、選書の参考となる書評の必要が非常に大きいことはあきらかである。ところが、数紙はある「書評新聞」がつねに不振――らしい――理由の一つは、どうやら、第1面に言葉づかいがむずかしくて「高級そうな論文」を載せたがる慣習ではないかと思う。
スキャンダルを載せろとは言わない。ただ、誰もが抱いている、今の社会や文化についての疑問や不安を、現実の生活に即して具体的に分かりやすく解説する本の紹介をかねた具体性または実用性のある文章を載せたらどうだろう。楽しければさらによい。その点は、もっと週刊誌に学べばよいのだ。週刊誌の記事とそれに関係がある本の紹介を結びつけるのだ。政治、経済、犯罪、道徳、健康、どれもみな人気の話題である。そういう問題を敬遠して、高邁な教養主義的文化論にこだわっているのは、いかにも文化観が古い。
だが、書評不振の原因、あるいはスペースをあたえられないこと自体の原因は、もっと深いと思う。一つは英語で言う「アーギュメント」つまり「論争」の伝統が希薄なことだ。その動詞の「アーギュー」には「文句を言う」という意味もあるが、これも「理路整然と反論する」といった意味であって、素朴な喧嘩とは別物である。根拠を示して意見を述べたり、反論したり、ときにはからかったりするのだ。これはかなりしつこくて長いやりとりだと覚悟しなければならない。ところが、いまなお多分に封建的感覚が根づよいこの国では、議論や論争と言うとほとんど喧嘩同様にとられ、年齢や地位が上の人の意見を批判したり、論争を挑んだりすれば「反抗した」と見られ、「生意気な奴」と、口には出さなくても思われて、以後疎外されてしまいやすい。最近はかなり変わってきた気配もあるが。
そういう心理的伝統が表れる例に、講演のあとで質問をもとめても質問が出ないという現象がある。これが英米なら、質問がないのは講演の内容がお粗末だった証拠ととられるので質問しなければ失礼になるというのは常識である。私は英国で、巨人と言ってもよい批評家F・R・リーヴィスが大学で講演したときに、聴衆との激越なやりとりに唖然とした。これが日本だったら、聴講する学生たちは静粛に拝聴して丁重に送り出しただろうが、まず床に半分寝転んでいる学生もいる行儀のわるさに驚き、講演後の質問の仕方に腹の中で仰天した。リーヴィス大先生に指を突きつけて喧嘩口調で非難するのだから。そしてリーヴィスのほうも真っ赤な顔でやり返す。だが、彼らにすればこれは常識なのだ。相手が名うての毒舌家で敵の多い巨人だった分だけ、平均以上に過激になった傾きはあったろうが、思想についての彼らの姿勢は、ギリシャ以来こういうものだったのである。
同じことは書評についても言えるのだ。日本では依然として、長老と呼ばれるような相手を批判するのは例外的で、その場合もきわめて慇懃丁重を心がける伝統は、執拗に生きのびている。そしてこの問題の土台には、さらに「高級な意識」の問題が潜んでいるのではないかと思う。それが「散文」の伝統である。
「読者がいない」現象の根には
周知のように英国では18世紀から、伝統的に詩が主流だった文学界で散文がさかんになり、ジャーナリズムが発達した。日本ではこの散文、英語のプロウズを、随筆とかエッセーと訳すことが多いけれども、英国で書かれた英文学史ではエッセーという言葉を使わずにプロウズが使われている場合が少なくない。ちなみにCOD(コンサイス・オックスフォード辞典)では、「エッセー」は、主題は何であれ、ふつうは散文で書かれた短い文章と説明されている。そしてこれは叙情的な文章よりも叙事的あるいは論争的な文章を連想させる場合が多い。短いという定義には合わないものの、『ガリバー旅行記』などは、18世紀の優れた散文の典型と言ってよい。その意味では、日本ではエッセーと言うと作家やタレント、学者などの余技としての身辺雑記的な文章を思い浮かべるのとはちがって、むしろ硬派が主流なのである。ときにビター・ユーモアを交えながら、論旨はあくまでも整然と理性的な論争向きの「散文」の伝統は、さらに歴史の古い「パンフレット」と呼ばれる政治的文書でも鍛えられていたのだ。
こういう文章の伝統こそ書評にふさわしいのである。とにかく彼らは論争が好きで上手である。そしておとなしい日本人を、「何を考えているか分からない」と言って恐れる。
さいごに、日本での書評不振のいちばん手ごわい障害――読者がいないという現象の根について考えておきたい。「いない」理由についてはいろいろ考えてきたが、この問題の根はきわめて深いのである。この場合の読者とは、多分に排他的・閉鎖的な知的集団を意味するからだ。かつての文壇のような集団を、さまざまな知的分野に想定してみよう。英国にはそういう閉鎖的集団が存在して、彼らはTLSに自分の、あるいはそれ以上に他人の著書が取り上げられるか、どんな評価を受けたかに想像以上に関心をもち、話題にする。この現象は英国社会の差別的階層性とむすびついていて、知的集団には排他的、閉鎖的エリート意識がつよい。こういう社会で生きのびていくには、仲間の業績や評価に通じていなければならない。書評はその情報源の役目も果たすのである。だが日本では、こういう集団と書評の関係が希薄なのだ。問題は社会学的な性質を帯びてくる。つまり書評の隆盛を支えているのは人間関係の濃密な社会だということであって、その排他性までふくめ、知的階層制を全面的に受容できるかという問題に逢着するのである。