私と昭和 第五回




 漫才ブームの核だったテレビ番組「THE MANZAI」の放送が始まったのは昭和55年。あの番組は、お年寄りや通のものだった漫才を、若者が楽しめるエンターテインメントショーに変えたんだと思います。舞台をディスコのようにゴージャスなものにし、ネタにも制作者の演出を加え始めた。そんなテレビ的な手法で、幅広い層の支持を得ました。その後、お笑い芸人がタレント化し、若者のあこがれの職業になっていくわけですが、そのきっかけをつくったのも、あの番組だったのではないでしょうか。
 漫才ブームのもう一つの功績が、「俺たちひょうきん族」を生んだこと。若手芸人による合同コントや、出演者がアイデアを出して新コーナーを作っていく手法などは、その後のバラエティーに大きな影響を与えました。今のテレビ界やお笑いを支えている人のほとんどが、「ひょうきん族」を見て育っています。何といっても、ビートたけしさん、明石家さんまさん、島田紳助さんらが毎週一緒に出演していたのですから、ぜいたくですよね。当時は景気も良かったし、規制も今ほど厳しくなかったので、芸人さんやスタッフがやりたいことを自由にやれた。そんな時代です。
 僕自身が多感な時期を過ごしたせいもあるけれど、昭和の文化にはすごいパワーを感じます。脚本を担当した映画『ハンサム★スーツ』に昭和50〜60年代の音楽やギャグを取り入れたのも、そんなパワーを感じて欲しかったから。今のお笑いは、間違いなく昭和のカルチャーという遺産のうえにあるんですよね。(談)

『週刊昭和』36号で、「漫才ブーム」を特集します。

 僕にとってのお笑いの原点は、ドリフターズの「8時だヨ!全員集合」です。子供のころは毎週土曜日の8時が待ち遠しかったですね。学校でも「東村山音頭」とか、志村けんさんのまねばかりしていました。あの番組は16年間も続き、一時期は視聴率が50%近くありました。あれほど庶民の生活に溶け込んだ番組もないですよね。あの番組の中には、今のバラエティーやコント、お笑いの素がすべてあります。当時の人にとっては、あの番組こそがお笑いの世界への入り口だった。あの番組があったからこそ、その後の漫才ブームやバラエティーの発展もあったんだと思います。