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ジネディーヌ・ジダンの魅力は、サプライズだった。 思いもつかない身のこなしでバックを振り切った。右足と左足の間で、ボールをこね回し、相手を翻弄した。ボールを何度も浮かした後、左足の甲で球を払うようにパスを出した。左足からの急角度のボレーでキーパーの裏を衝(つ)いた。 ドリブル、シュート、ヘディング、パス、どれをとっても完成度が高かったが、ずぬけていたのは、ボール・コントロールだった。ジダンに球を奪われたら、まず、取り戻せない。 そのジダンが、フランス代表選手としての(そして、プロ選手としての)最後をあのようなサプライズで終えるとは、誰が想像しただろうか。 W杯ドイツ大会の決勝。延長戦110分の大詰めで、イタリアのバック、マルコ・マテラッツィに頭突きを食らわせ、レッドカード退場となった。PK戦で、フランスはイタリアに敗れた。 1998年、W杯フランス大会の決勝戦。ジダンは2得点をヘディングで挙げ、フランスはブラジルを破って、優勝した。 ジダンを国民的英雄にのしあげたのは、ヘディング(heading)だった。何度も映される頭突き(headbutting)のシーンを見ながら、私は8年前のあの誇り高い、歓喜に満ちたヘディングを思い出していた。 何が、ジダンをして、あのような行動に駆り立てたのか。ジダンはしばし沈黙を守った後、「母と姉に対する耐え難い侮辱だった」と記者会見で語った。 マテラッツィがその直前、ジダンに吐いた言葉を読唇術の専門家が判読したところでは、 「おまえなんか、テロリストの淫売のせがれじゃねえか」 といった言葉だったようだ。それを何度もピッチで投げつけられたらしい。 ジダンは、スペインのレアル・マドリードの前はイタリアのユベントスでプレーしていたから、イタリア語はわかる。 ボールは絶妙にコントロールできるが、感情はそうはいかない。 ジダンは、アルジェリアから移民した両親を持つ。マルセイユの貧しい移民ゲットーに生まれた 父親は清掃作業員をして6人家族を養った。一家はみな、ムスリムである。 1998年W杯のフランス代表チームは、多民族混成チームだった。彼らの優勝は、フランスの人種的、文化的な「同化と統合」の勝利と喧伝された。 ジダンの活躍は、「同化と統合」の劇的なゴールだったのだ。 ジダンは今回も、「フランス人の代表」として振る舞うように期待された。 しかし、本人は「自分は、まずラ・カステラン(注1)出のカビール、それからマルセイユ出のアルジェリア人、そしてフランス人」と自らのアイデンティティーを語ったことがある。アイデンティティーの芯は、アラブではなくあくまでベルベル(注2)なのである。 ジダンのアイデンティティーには、そうした陰影が宿る。 ジダンの大ファンであるロック歌手のジャン・ルイ・ミュラは、かつてジダンについてこんなふうに言ったことがある。 「彼は、マザー・テレサ(注3)のように微笑む、そして、連続殺人鬼のように顔をしかめる」 ジダンは座るとき、女の子のように両足をぴったりくっつけ、とても居心地悪そうに座る。生来の恥ずかしがり屋とも言われてきた。 しかし、彼には別の面がある。 ジダンは、マルセイユの町の裏通りやコンクリの上でボールを蹴っていたときから、何度も、人種的、階級的な差別の言葉を投げつけられ、そのたびにやり返し、戦ってきた。 はじめて所属したプロ・チーム、カンヌでは、「ゲットー野郎」と罵った相手に手を出し、退場させられた。 1998年のW杯でも、口汚く罵ったサウジアラビアの選手を馬乗りになって踏みつけ、レッドカードを食らった。ベルベル人のアラブ人への根深い不信感と憎悪が彼の心の底だまりにあると言われた。ジダンは「人生は戦いで、つねに戦わねば、という思いは、子どものときに体にしみこんだ」と告白したこともある。 郊外のサッカー・クラブの優等生上がりではない。ストリート・アスリートの塊なのである。 そのジダンに、フランスは「フランス代表」にとどまらず「フランス人の代表」の役割を課した。 フランス文化の恵みによって、多民族の同化統合を成し遂げることで、フランスは普遍的存在であり続ける、そのようなフランスの夢を託した。 実際、ほかに誰がいるだろうか。 1998年の優勝の後、あるフランス人作家は、フランス史は、 〈デカルト、ダントン(注4)、ドゴール、ジダン〉 の英雄列伝で書かれるべきである、と喝破した。 それらはいずれもフランスの普遍性という一点で共通項を持つのだろう。 啓蒙主義、共産主義、共和制、文化統合……。 だが、ジダンに投影したグローバリゼーションの時代の多民族の同化統合の夢は、虚構にすぎなかった。 文化的には同化し、政治的に統合しても、人種、宗教、階級の偏見や差別、「においや騒音」への違和感と非寛容によって、それはガラスの城のように壊れていく。ムスリム少数民族の暴動にさらされるフランスの現在史は、それを物語ってはいないだろうか。 フランス代表チームだけが、その例外ではありえない。イタリア代表チームは、フランス代表のその虚構ともろさを衝いたのである。 フランスの教育相は、「ジダンよ、あなたがやったことを、子どもたちにどのように説明したらいいのか、考えてほしい」とコメントした。 だが、フランス国民はジダンを温かく迎えた。彼らはジダンをこんなふうに失いたくないのだ。 そのあたりの心理の機微には敏感なシラク大統領は、ジダンをvirtuoso(注5)と呼び、フランスの誇りとたたえ、ジダンをエリゼ宮(大統領府)に招いた。 ジダンは、バルコニーから、両手を高く掲げ、両手を軽く合わせ、微笑んだ。いいパスやセンタリングをもらいながら、シュートを外した選手がやるあのしぐさだ。 〈ベストは尽くした、くよくよしない〉 あのメッセージだ。 私はジダンを責める気にはならない。 頭突きの瞬間、ジダンは、マルセイユの貧民街ラ・カステランのストリート・ジャングルでボールを蹴った少年時代に戻っていたのだろう。 勝敗や責任感より、母親と家族の名誉を守るためにからだごとぶつかっていった一人の男の子に帰っていたのだろう。 注1 フランス南部の港湾都市マルセイユで、北アフリカ系移民が多く住む一角。 注2 アルジェリアなど北アフリカの先住民族。多数派のアラブ人と対立している。 注3 世界の貧者救済に生涯を捧げ、ノーベル平和賞を受けたカトリック修道女。97年死去。 注4 フランス革命期の政治家。恐怖政治を敷くロベスピエール派により処刑された。 注5 名人、巨匠。もともとイタリア語で「徳の高い」の意。 |
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