2012/11/12
週刊朝日の橋下徹・大阪市長連載記事に関する「朝日新聞社報道と人権委員会」の見解等について(1)
週刊朝日記事に関する佐野眞一氏のコメント
※「朝日新聞社報道と人権委員会」の見解を受けて発表されたものを、同氏の依頼を受け、当社ホームページに掲載いたします。
橋下徹・大阪市長の連載は、今年4月、週刊朝日の河畠大四編集長(当時)がデスク会(編集長と副編集長6人で構成される編集会議)で提案した。維新の会の支持率が高まり、将来の総理候補とも言われ始めた橋下氏の人物像を掘り下げ、「人間・橋下徹」の全貌に迫りたいと編集長は考えた。デスク会の中では「今なら橋下市長が一番注目を集める」という話が出た。編集長は当初、編集部員に取材・執筆させようとしたが、ノンフィクション作家のほうがインパクトがあると考え、人物評伝で数々の作品がある佐野眞一氏が適任ではないかと思い、以前から親交のあるデスクを担当にあてた。しかし、編集部内で企画書やレジュメが作られることは最後までなく、企画の詳細な内容について本格的に議論されないまま進んだ。
5月8日、編集長、担当デスクら4人で佐野氏と会い、編集長が「佐野さんが『あんぽん 孫正義伝』で描いたように、(重層な内容で)橋下氏の本質に迫ってほしい。橋下氏の半生はもちろんのこと、その時代の空気や、社会が抱える問題なども描いてほしい」と橋下氏の評伝の執筆を正式に依頼し、了承を得た。
以後、担当デスクが佐野氏と何度か話し合い、橋下氏の成育環境や中学・高校・大学時代、弁護士になった頃、タレント弁護士時代、政治家になって以降を、多くの人の証言を得て人物像に迫り、それが彼の政治哲学や思想とどう関わるのかを探ること、その中でマスメディアの使い方や、ツイッターを多用する手法などにも触れるといった狙いが、取材チームで共有された。
このうち、橋下氏の成育環境については、昨年秋に週刊誌や月刊誌で父親のことが報じられ、橋下氏が報道を激しく批判したことがあった。編集長と担当デスクは、橋下氏は政界のキーマンとなる公人中の公人であり、プライバシーは一般の人より制限されると考えた。また彼の政治信条や人格に本人の出自が投影しているであろうと考え、書かなければならないと考えていた。さらに「他誌がどんどん報じており、自分の中で(書くことの)ハードルが下がっていた」(担当デスク)。
しかし、公人とはいえ、出自を書いていいのか、なぜ必要なのか、どういう文脈で書くのか、どこまで書くのか、それが政治姿勢とどう関わりがあるのかなどについて、デスク会はおろか、編集長と担当デスクの間でもきちんと議論されていない。企画立案の段階で、極めて重大な問題があった。
取材は6月下旬からスタートした。取材記者2人が基礎的な証言や資料を集め、それ らを基に佐野氏が再取材して原稿を書く方法だった。取材記者2人が取材予定を担当デスクに伝え、デスクが了承する形で進めた。取材した内容はメモにしてメールでデスクに送られ、それをデスクが佐野氏に転送して情報を共有した。9月初めまでに取材した人は、橋下氏の親族、幼少期を過ごした東京都渋谷区の店主、中学・高校・大学時代の友人、弁護士仲間、元テレビプロデューサー、維新の会議員、関西政界関係者ら約60人になった。佐野氏は9月中旬に関西に取材に入った。
この間、編集長は担当デスク任せで、どういう取材が進んでいるのか、連載の内容はどうなるのか、把握していなかった。雑誌統括兼コンプライアンス担当(以下、雑誌統括)には、8月初めまで連載を始めることも伝わっていなかった。
これだけの大型連載であれば、通常は各回のレジュメを作り、検討するのが通例だ。しかし、編集長がおおまかな企画の構成を知ったのは連載開始が近づいた時期だった。
連載のタイトルは担当デスクが9月23日に佐野氏宅に出向いた時に決まった。担当デスクは、橋下氏の親が姓の読み方を変えたいきさつについて8月初めの誌面で報じたことを思い出し、自らタイトル案を提案した。担当デスクは「『あんぽん』(のタイトルイメージ)が色濃くあった」と話している。
タイトル案について編集長は週明けに、担当デスクから伝えられた。編集長は特に違和感を持たなかった。
9月25日のデスク会で、担当デスクが連載のおおまかな流れを説明し、編集長がタイトルを伝えた。他のデスクからは特に異論は出なかった。
10月9日(火)に編集長は「今週号から連載を開始します」と社長室に伝え、同日午後6時前に佐野氏の原稿が届いた。通常の進行であれば、翌日にはゲラになる予定だったが、作業が遅れた。編集長は結局、校了前日の12日(金)午後になって初めて原稿を読んだ。編集長は原稿を一読して担当デスクの席に行き、「この表現はだめだ」として、「日本維新の会」旗揚げパーティー会場にいた男性の差別的な発言▽同和地区を特定している箇所▽橋下氏の父親に関する表記を指摘した。
編集長は雑誌統括に原稿をメールで転送した。雑誌統括は、すぐに編集長に「この原稿を載せることはできない」と言って編集長を呼び、「朝日新聞と違うコードで誌面を作っているわけではない」と削除や再考するように厳しく指摘した。法務担当や他の社長室メンバーからも「出自を材料に人を攻撃する文章は許されない」などの声があり、雑誌統括は編集長に約10カ所の指摘をした。
神徳英雄社長は、雑誌の記事作成には関わっておらず、編集長らに任せているのが実態だ。この記事については、12日(金)夕、雑誌統括から原稿を渡され、さっと目を通したものの、次の予定が詰まっており、雑誌統括に「問題表現が多い。直るね」と概括的な指摘にとどまった。
校了は翌13日(土)夜に迫っていた。12日夜は佐野氏がテレビの報道番組に出演していたため、作業は翌日に行うことになった。編集長は、雑誌統括から指摘された点をまとめて担当デスクに伝え、直しを検討するよう指示した。編集長は橋下氏の写真を使った表紙がすでに校了していたことなどから、掲載を延期して原稿を根本的に検討する措置は頭になかった。
翌13日、担当デスクは編集長から指摘された点について佐野氏に電話で伝えて相談し、差別的な表現の一部を削除したり、表現を変えたりした。編集長からは指摘されていない表現を直した箇所もあった。しかし、橋下氏の父親のことについては、担当デスクが「原稿のどこかに書かなければいけない」と思っていたため、削らなかった。場所を特定した箇所についても、表現を一部変えたものの削らなかった。担当デスクは「作家のオリジナリティー表現を最大限認めよう、記者が書くものと作家が書くものは性質が違うと思っていた」。編集長は担当デスクが入れた直しを見て、それ以上の指摘はしなかった。他のデスクがゲラを見ることはなかった。
雑誌統括は13日も編集長を呼んで、前日に指摘した箇所について繰り返し修正を指示した。最終ゲラが出たのは午後8時半ごろ。雑誌統括は、場所を特定した箇所と、父親に関する表記だけは削るように指示した。しかし、編集長は「これは佐野さんの原稿ですから」「これで行かせてください」と譲らず、校了した。 編集長は「ぎりぎりの表現をすることが、読者が興味を持つものになる。記事のインパクトを弱めてはいけない」と考えていた。表紙がすでに降版していて電車の中吊り広告も校了しており、刷り直すか、この号の発行をやめない限り、掲載がストップできない状況にあった。
校閲は橋下氏に関する8月初旬の記事で、差別表現について指摘したことがあった。今回の原稿でも当然気づいていたが、編集部はそれも踏まえたうえでやっているのだろうと思っていたことや、外部筆者の原稿であえてそうした表現を使っているのだろうと思い込み、指摘を怠った。
雑誌統括は「発行停止を社長に上申できなかったのは私の決断のミスだと思う」としている。編集長は「差別を助長する不適切な表現を削除できなかったことは、編集長として痛恨の極み。佐野眞一さんに対し、直してきた原稿をさらに直すよう要請することに遠慮が働いたことが潜在意識にあったかもしれない。しかし、多くの人を傷つけ、佐野氏の名誉をも傷つけたことは慙愧の念に堪えない」と言っている。
16日(火)の発売後、橋下徹・大阪市長が17日(水)朝、報道各社のぶら下がり取材で、この記事を批判し、「朝日新聞社やABC放送を含めて、朝日新聞社関連の質問には、答えることは控えさせてもらいたい」との考えを表明した。メディア各社からも取材が相次いだ結果、発行の責任は朝日新聞出版にあり、朝日新聞出版が対応すべき問題であることを明確にすることに注力することになった。
そのため、同日午後7時に発表したコメントでは、「週刊朝日は、当社が発行する週刊誌であり、朝日新聞とは別媒体です。同誌を含め、当社の刊行物は当社が責任を持って独自に編集しています。今回の記事は、公人である橋下徹氏の人物像を描くのが目的です」と、「別媒体」であることを強調することに意識が集中してしまい、「おわび」の具体的な検討にまで至らなかった。
雑誌統括は「原稿を止めきれずに、出してはいけないものが出た、おわびしなければならないと思った。ただ、朝日グループの取材拒否という事態に対し、市長や各メディアに『別媒体』であることをわかってもらうことを急いだ。それが結局、おわびの遅れにつながった」と話している。
17日午後9時前、市長に面談をお願いする編集長名のファクスを大阪市報道課に送った。
「本件記事に関するご批判やご意見などは、弊社で真摯に受け止め、責任をもって対応させていただきます。週刊朝日の記事に関する編集権は株式会社朝日新聞出版にあり、朝日新聞社や朝日放送は本件記事には関係ありませんので、その点はご理解賜りたく存じます。つきましては、本件記事に関しまして、直接お会いしてご説明をさせていただく時間を頂戴できれば幸いです。ご都合のよろしい日時をご指定いただけませんでしょうか」
18日(木)朝には、編集長が市報道課に電話し、口頭でも面会をお願いした。しかし、同日は多忙で時間が取れないとの打ち返しがあり、同日午後の定例会見で市長は「人格を否定する根拠として先祖や縁戚を徹底的に暴いていく。その考え方自体を問題視している」「どこどこ地域が被差別かどうかを明らかにするのは日本の社会においては認められていない」と批判した。この会見を受け、朝日新聞出版は同日午後7時に、「おわび」コメントを発表。
「同和地区を特定するような表現など、不適切な記述が複数ありました。橋下市長はじめ、多くのみなさまにご不快な思いをさせ、ご迷惑をおかけしたことを深くおわびします。私どもは差別を是認したり、助長したりする意図は毛頭ありませんが、不適切な記述をしたことについて、深刻に受け止めています」
19日午後、朝日新聞出版の顧問弁護士と相談した。同弁護士から「決定的な問題は、地区を特定していること。その地域の住民に対する差別を助長するもので、重大な人権侵害だ。タイトルからして問題があり、連載中止の判断もありうるのではないか。もし中止を決めるなら、いますぐ早急に対応すべきだ」との見解が示された。社外の関係者の抗議や、読者からの批判の声も届いた。
朝日新聞出版の発行物で表記する場合は、「差別や偏見などの人権侵害をなくすために努力する」ことを「基本姿勢」に掲げている記者行動基準(朝日新聞出版の基準は、朝日新聞と同じ内容)等の社内の規定が基準になる。今回の記事はそれに反して決定的に人権意識に欠けるもので、「連載中止」が妥当と判断した。同日午後7時に「連載中止」のコメントを発表。
「記事中で同和地区などに関する不適切な記述が複数あり、このまま連載の継続はできないとの最終判断に至りました。橋下市長をはじめとした関係者の皆様に、改めて深くおわび申し上げます。不適切な記述を掲載した全責任は当編集部にあり、再発防止に努めます」
23日(火)発売の週刊朝日11月2日号に、編集長名の「おわびします」を掲載した。上記と同趣旨のおわびとともに、「今回の反省を踏まえ、編集部として、記事チェックのあり方を見直します。さらに、社として、今回の企画立案や記事作成の経緯などについて、徹底的に検証を進めます」と表明した。
橋下市長をはじめ、多くの人々に多大な苦痛を与えた今回の記事について、迅速に検証して公表し、同時に再発防止策も明らかにする必要があった。検討の結果、常設機関で中立性が担保されている第三者機関「朝日新聞社報道と人権委員会」に見解の表明を要請することになり、24日に申し立てを行った。
以上
株式会社朝日新聞出版
代表取締役 篠崎充
(しのざき・みつる)
2012年11月12日
弊社発行の「週刊朝日」10月26日号の連載記事により、橋下徹・大阪市長とそのご家族、さらには多くのみなさまを傷つけることとなり、深くおわびいたします。
弊社は第三者機関「朝日新聞社報道と人権委員会」に、弊社がまとめた報告書「週刊朝日記事についての経緯」を提出し、関係者からのヒアリングなどの調査をしていただきました。その上で委員会に「見解」を出していただきました。
今回の記事について、「出自を根拠にその人格を否定するという誤った考えを基調としている」「差別や偏見など不当な人権抑圧と闘うことを使命の一つとし、正確で偏りのない報道に努めなければならない報道機関として、あってはならない過ち」と根幹に関わる指摘を受けました。
代表取締役社長・神徳英雄は今回の深刻な事態を重大に受け止め、「報道と人権委員会」の見解を機に、週刊朝日及び朝日新聞出版が再スタートを切らせていただくためにも、自らの判断により本日付ですべての経営責任を負って辞任しました。また、弊社は河畠大四・週刊朝日前編集長を停職3カ月および降格としたほか、担当デスクを停職3カ月および降格、雑誌統括兼コンプライアンス担当を停職20日とする懲戒処分を行いました。
週刊朝日編集部と朝日新聞出版は今回の反省の上に立ち、人心を一新して社員の人権教育を徹底し、報道機関として二度と過ちを繰り返さないために再出発すべく社員の意識改革を図っていきたいと存じます。
今回の記事について、「報道と人権委員会」から「出自と人格を強く関連づける考えは、人間の主体的な尊厳性を見失っており、人間理解として誤っているばかりか、危険な考えでもある」などと報道機関としての根幹を否定されるに等しい指摘を受けました。指摘のとおり、今回の記事に関して、週刊朝日編集部と弊社には、人権意識が極めて希薄でした。
タイトルや、「橋下徹のDNAをさかのぼり本性をあぶり出す」との表紙文字をはじめ、出自に関して橋下市長を攻撃する材料に使った本記事は、一貫して人権意識が決定的に欠如した差別記事でした。橋下市長を深く傷つけるばかりか、出自が人格のすべてを規定しているかのような趣旨は、人権抑圧と闘っている人々の気持ちを踏みにじるものであり、ジャーナリズムの仕事からかけ離れたものでした。被差別部落の地区を特定する表現は、関係する人々への差別を助長する記述でした。
連載をスタートするに当たり、父親のことをなぜ書く必要があるのか、それが政治姿勢とどう関わるのかといった記事の根幹に関わる重要な項目について検討されておらず、企画立案当初から致命的な欠陥がありました。その結果、公人の全体像を描くという当初の趣旨とはかけ離れてしまいました。
記事の掲載は中止すべきでした。しかし、編集長、担当デスクは、父親のことについてはすでに他の雑誌で報じられていたこと、代表的なノンフィクション作家の原稿であるという思いがあったことが致命的な甘さにつながり、掲載中止の決断に至りませんでした。雑誌統括は記事の問題点を強く指摘したものの、結果として掲載を止められませんでした。
企画から記事作成、校了という一連の経過の中で、人権意識を欠いていたことが最後まで尾を引くことになりました。社全体の人権意識の欠如が、社全体の危機意識の薄さを生み、そのことが発行の停止という決断に至らず、「連載中止」の決定の遅れにも影響しました。
背景には、発行人と編集人を兼ね、週刊朝日について大きな責任と権限を持っている編集長が、強いリーダーシップを発揮できずに、個々のデスクが自分の判断で動いたりするなど、編集長が部全体を統率できなくなっていたことがあります。
会社は記事の掲載中止、本誌発行後の回収など根本的な措置をとることを判断すべきでしたが、タイトルや表現の「おわび」にとどまり、対応の決定的な遅れを招きました。
出版社として発行を止める損害・混乱と、人権を侵害する深刻さを考えたとき、すべてを犠牲にしても人権を守らなければなりませんでした。ジャーナリズムの使命で最も大事にしなければいけない人権を守る、差別をなくすという基本を踏みにじり、差別を助長してしまいました。
「報道と人権委員会」による指摘に、編集部のチェック体制の欠陥がありました。「見解」で明らかなように、編集部は企画書もないまま取材をスタートさせ、編集部全体で検討していません。編集長、複数のデスクでの企画内容の検討が致命的に不足していました。原稿を貫く危険な考えが、最後までチェックされることはありませんでした。
原稿が届いた後、担当デスクは「秘匿すべき情報提供者の名前が入っていた」として、編集長に渡したのは校了日の前日でした。編集長にデスクが情報源を伝えないことはあり得ず、基本的な動作もできていませんでした。デスク間での原稿の相互チェックなどは行われず、編集長と担当デスクの二人だけで編集作業は進められました。原稿を読んだ雑誌統括は、社内でも多くの指摘があった点を編集長に対して修正を命じたにもかかわらず、担当デスクが作家の原稿であることで問題箇所を残したまま編集作業を進め、最終的に編集長も「これは佐野さんの原稿です。行かしてください」と押し切りました。編集長とデスクは作家のオリジナリティーを大切にするということばかりに気を取られ、人格攻撃の差別記事という自覚がなく、表現の問題との考えにとどまっていました。橋下市長の出自に関して、ほかの雑誌がすでに書いていることを理由に問題にはならないだろうと思い込み、自らチェックできませんでした。結果的に掲載を止められなかったことは、社としてチェック体制が機能しなかったためです。
人権意識の決定的欠如、チェック体制の欠陥が週刊朝日編集部のみならず社全体にも及んでいたことを深く認識しています。二度と過ちを繰り返さないために、再発防止への考えとその対策を述べます。
創刊して90年の長い歴史を持つ週刊朝日は、今回の記事で社会からの信頼を失い、読者を裏切りました。なぜ今回のようなことが起きたのか、なぜ止められなかったのか、その原因を徹底的に探り、その問題点を排除、克服することから始めなければ、読者の信頼は回復できないと考えています。
報道と人権委員会からの「報道機関としてあってはならない過ち」との指摘は、雑誌の根幹に関わることであり、心に刻まなければなりません。
週刊朝日の原点は、「家庭で安心して読めるニュース週刊誌」でした。私たちは、編集部のみならず、全社員が危機感を共有し、社をあげて失墜した信頼の回復に全力で努めていく所存です。
以上