作家人生の節目となる一作
力の限りを尽くしました
塩田武士
衝撃の誘拐事件から始まる展開に
心拍数は上がったままだ
これは「至高の愛」の物語
久米宏
「事実」の先に霧笛のように響く「真実」がある。
圧倒的な終着に胸が震え、しばし言葉を失った
切なさが爆発しそうになった。
芸術と愛情の結晶に、涙が止まりませんでした
心揺さぶられる小説である。
単に泣かせる切なさではなく、「家族として育っていく」ことの尊さを、
胸に染み通るように静かに捉えてあるからやるせないのだ。
前代未聞「二児同時誘拐」の真相に至る「虚実」の迷宮!
真実を追求する記者、現実を描写する画家。
質感なき時代に「実」を見つめる者たち――
著者渾身の到達点、圧巻の結末に心打たれる最新作。
平成3(1991)年に神奈川県下で発生した「二児同時誘拐事件」から30年。当時警察担当だった大日新聞記者の門田は、令和3(2021)年の旧知の刑事の死をきっかけに、誘拐事件の被害男児の「今」を知る。彼は気鋭の画家・如月脩として脚光を浴びていたが、本事件最大の謎である「空白の三年」については固く口を閉ざしていた。
異様な展開を辿った事件の真実を求め、地を這うような取材を重ねた結果、ある写実画家の存在に行き当たるが――。
「週刊朝日」最後の連載にして、『罪の声』に並び立つ新たなる代表作。
装画・江副拓郎
大日新聞宇都宮支局長・54歳。
1991年、入社二年目だった大日新聞横浜支局時代に「二児同時誘拐」に遭遇、警察庁に詰めながら誘拐を担当する神奈川県警の刑事・中澤と出合う。
その30年後、中澤の死を契機に、未解決の誘拐事件に再び向き合い、再取材を始める決意をする。
神奈川県警刑事。1991年の「二児同時誘拐」の現場に関わり、被誘拐児の肉親に寄り添い身代金受け渡し時の現金持参人の指導役を担う。
事件は未解決のまま時効を迎え、中澤は定年を迎えた後も、ひとり捜査を続けていた。そして2021年、中澤は失意のうちに世を去る。
SNSで発表した「まるで写真のような」美少女の絵で人気の写実画家。その作品数の少なさから入手困難な画家としても有名であったが、30代の男性であること以外、その素性は謎に包まれていた。
しかし2021年、突如週刊誌に「イケメン」の素顔とともに、30年前の「二児同時誘拐」の被害者であったことを暴かれる。
画商。売れっ子の写実画家を大勢抱えた画廊「六花」を経営。
風景を描く才気溢れる写実画家。画商の朔之介の後押しによって機会を得るが、社交が苦手な不器用な性格から圧力に潰され、逼塞する。
かつて百貨店の美術画廊に勤務し、現在は父親の経営する新宿の「わかば画廊」を手伝う。如月脩こと内藤亮の高校時代の同級生。
装画・江副拓郎
装画にあしらわれたこの1本のロープから、あなたは何を感じ取るだろうか。
これは野田弘志氏の筆による〈THE-9〉(姫路市立美術館蔵)。
野田弘志氏は徹底したリアリズム描写で知られる写実絵画界の巨匠であり、対象を凝視することからその「存在」の本質を掴み取る鋭い筆致で、約半世紀にわたり日本の美術界を牽引してきた。北海道にアトリエを構え、大自然の中で日々、構想をめぐらせる。
本作品〈THE-9〉に描かれた一本のロープも、一見写真と見まがう緻密さである。
本書『存在のすべてを』の中には、野田氏との邂逅によって得られた知見とインスピレーションが存分に取り込まれている。
この物語の主人公の新聞記者・門田次郎の足跡は、事件現場の横浜はもちろん、
北海道から滋賀、さらに北九州まで、実に全国にわたっている。
それはそっくりそのまま著者の取材先と重なる。ここでは著者の取材写真を一部公開する。
これは稀代の傑作ですね・・・震えが止まりません!デビューから追いかけている作家さんですが最高到達点に間違いないです。とんでもない頂に昇りつめて、そこから見せつける絶景が凄い!(とりわけ終盤からラスト、素晴らしすぎます!) 報道のあり方を問う、社会派の一面をしっかりと持ちつつ、物語の語り手としての矜持もヒシヒシと伝わり、まさに塩田さんにしか書くことのできない境地・・・こういう作家と同時代に生きている幸せを噛みしめています。 「30年という時の流れから炙り出された誘拐事件の真相。時代の臭いや空気の粒子までも再現した筆力に驚嘆。闇に隠されていた真実の愛に涙がとまらない・・・ この時代の空洞に血の通った息吹を吹きこんだこの一冊は、著者の揺るぎなき覚悟も伝わる令和の傑作だ!」
社会派ミステリーの新たな傑作が誕生しました。戦慄の同時誘拐事件と覆面写実画家がこんな風に繋がってくるとは、という驚きと空白の三年間がまさか、と驚きの連続でした。旅情ある記者の取材風景もさることながら質感なき時代に実を見つめる登場人物たちの人生がまるでそこに立ち上がってくるかのようなそんな読書体験でした。
「絆の意味を訊かれたら、私はこの作品を手渡すだろう」 ちょうど読み終わったとき、電車のドアが開き自分の降りる駅に着いたことに気が付いた。駅から自宅まで約15分程度だが、いつ玄関の扉を開けていたのかわからない。その間の記憶が全くない。いや、そんなことに気を配る余地などなかったのだ。この作品の凄さが!大切さが!さざ波のように繰り返し・繰り返し私に寄せてくるのだから。読了後背筋がゾワゾワしっぱなしで、真夏なのに腕には鳥肌が立つ。この作品は傑作どころの話しじゃないぞと。ここでハタと気が付いた。困った。今度の本屋大賞には『成瀬』を押そうと思っていたのに・・・どうすりゃいいんだ。どちらも傑作だが、趣のまったく違う作品なんだから、どうにもできないなぁ。 ただわかっているのはこの作品、『存在のすべてを』が発売されたら間違いなく大きな話題になる。そして今年のベスト5の作品に入るだろう。もちろん『罪の声』と同じくメディア化も決まりだ。家族3人が庭で戯れるシーンをぜひスクリーンで噛みしめたいと思うからだ。そう、この作品は家族の絆、人と人との絆を描いた作品だから。誰かが私に品格とは何か?と訊かれたら『日の名残り』を差し出し、親子の情は?と問われたら『そして父になる』を渡す。そして絆とはなんだ?の質問には、今なら迷わず『存在のすべて』を挙げるだろう。外堀から順に埋めていく作者の手法は、人によっては少々くどいと感じるかもしれない。だが!だからこそそれがエンディングで活きてくる。土台がしっかりしているから、登場人物たちの思いを支えられるのだ。その登場人物たちの中でひと際異彩を放っているのが、画商の岸さん。絶妙のタイミングで登場し、物語を進める役割をこなしながら、登場人物たちの不安な気持ちを和ませるトークをあえて披露する。ニクイぜ。少々読んでいてしんどくなる場面もある。しかし岸さんのナイスな心配りに登場人物たちも読者も救われた。この役だけは“笑福亭鶴瓶”さんに任せて欲しい。
出逢うべきして出逢った家族。本当の親子とは何なのか。生きるとはどういうことなのか。事実の中に隠されていた真実にたどり着いたとき、炎が燃え上がるような熱い涙が止まりませんでした。情報や報道など、目に見えているものだけが全てではない。現代の世論やメディアの闇に警鐘を鳴らす、真実の眼のような物語。この物語は救済のアイロニーであり、必然的な罪であり、そして真実の愛である。存在の意味と実在の意味を深く問われる。生命の鼓動のような作品。読み終えた今も、最後に見た奇跡の光景がずっと胸に残っています。 涙が溢れて止まりませんでした。
重厚でページ数も多かったが読めば読むほど先が気になり前のめりになりながら読み終えました。リアリティのある内容に登場人物へ感情移入し、ラストの一筋の光に救われる思いだった。塩田武士さんの作品は時代を切り取るのがうまく、平成という時代そのものについても考えさせられた。そして最後まで読みタイトルの意味を考えた時、涙が止まらなかった。
キャンバスに絵が描かれるようにそれぞれの人々の思いが、切なくも、優しくも美しく・・・ただもう美しく描かれている。時が流れてもなお想いが重なっていくばかりで、言葉では言い表すことができない。想いを絵にのせて。真実は色彩豊かに描かれる世界のその先にきっと見つけられるのだ。涙止まらぬ物語でした。
真実と事実。人は事実を知り、それを勝手な批判で埋め尽くしてしまう。そこには隠された 優しく美しい愛があったかもしれないのに。何のために空白のものを知りたいのか。心を持った人が自らの足を運んで調べ、気持ちに寄り添い辿り着いた真実に心が震え涙が止まらなかった。感情が尋常じゃなく揺さぶられた。事件のハラハラドキドキ感と、捨てたものじゃない人間の温かさが心に染み込んだ。こんな小説が読みたかった。最高でした。 優しい笑顔いっぱいのあの絵が私には見えました。事実を曲げて思い込んでいたり、事実を表面しか見なかったりせず事実を見つめていきたいと心から思いました。
読み終えてすぐは放心したようになってしまい、体が現実に対応できませんでした。この本のエネルギーみたいなものにすっかり当たってしまいました。何人もの人生を辿り、考え込んでしまいました。人生とは。存在とは。なんて壮大な、息が苦しくなるほど圧倒される物語。
久々に大作読んだーって満足感がスゴい!!あまり馴染みのない 美術界の仕組みも書かれていてやりたいことを自由に出来ない人生を歩まざるを得ない苦悩もリアルに感じられました。事実が全て正義なのではなく、時には事実よりも真実に正義があるということ。
全てが緻密に組み立てられた、美しい作品でした。物語そのものが「写実画」。 事件の真相が明らかになった時、私は思わず涙していました 地元北九州から黒崎と門司港の商店街が登場していて描写がとてもリアルでした。ほかの地域もリアルなのでしょう。聖地巡礼ができそうだと感じました。
30年前の二児誘拐事件によって運命を狂わされた人々の、良心と罪深さ、人間の心の複雑さを見事に描き切っている。 そして今なお真実を追い求める人たちの姿に胸が熱くなった。 結末にあるだろう答えを求めて夢中でページをめくる。しかし、この物語をずっと読み続けていたい、終わってほしくないという相反する気持ちもあり、それは塩田先生の美しい文章と物語の面白さが そういう気持ちを空かせたのでしょう。素晴らしい小説を読ませていただきました。傑作です。
読みはじめたときの印象と読み終わった時の印象が良い意味で全く異なりまして 親子の間に血の繋がりは関係ない。そこに必要なのは愛情であるとつくづく思われます ラストを迎えた後の余韻にいつまでも浸っていたいと思える作品でした。
インターネットが普及して情報の速度が速くなった。画面を開けば様々なニュースが上がっている。そんなニュースも最近は見出しだけみて終わっている。この本はそんな私に対する警告のように思える。事件には「なぜ」がある。そのことを忘れてはいけない、そう言われた気がした
緊迫感のある誘拐事件から始まり、謎だった空白の三年間にたどり着けるのか先が気になってページをめくる手が止められませんでした。そして知った真相が切なくてとても見ごたえのある一冊でした。
不可解な事件のうちにあったのは愛。次第に明らかになっていく真相はもちろん、小さな手がかりから真実を手繰り寄せる記者や刑事の執念、事件に関わった人々の決意に胸を打たれた。頑固で短気だけど孫への愛を守り通したじい様が最高です。
誘拐され行方不明だった少年が3年ぶりに帰ってきた。空白の三年間どこで誰と暮らしていたのか、この謎に惹かれ読み進めた。30年かけて事件を追い続けた刑事と新聞記者は一人の写実画家を見つける。彼を探してたくさんの人に話を聞き事実を積み重ねていく。そして空白の3年間を埋める真実にたどり着く。この途方もない作業は画家が対象を長い時間観察し内面を書いていく様子と重なり物語を貫く芯となった。真実から浮かび上がっては悲しく美しい、刑事が追い続けた「人間」記者が書きたかった「人間」が確かに存在している。
警察の視点で誘拐事件を序章から引き込まれる展開で、その後掘り下げられていく事件の背景と真実を知るほどにやるせなさが募っていく。そして事件のカギを握る貴彦と優美の決断と行動、その行く末に現代美術の世界と家族という繋がりの理不尽さを思う。そして事件の空白が明らかになったとき、そこに存在する現実の重さを知る。誘拐事件の真相を追うハラハラや職業人としての矜持、親と子のつながりや大人としての責任。たくさんのことを想いいろんなことが感じることができる一冊でした。
圧倒された。塩田武士による渾身の力を込めた真っ向勝負だ。「二児同時誘拐」という事件 を、細い糸をたどるように証言をつなぎ合わせて真実を追う姿にページをめくる手が止まらなかった。内藤亮/如月修の過去をたどる門田と失われた過去をここから再び始めようとする里穂が出会う場面が、過去から未来へとつながる瞬間を目撃したような心地がして胸が熱くなった。
誘拐という卑劣な犯罪の陰に犯人の愛情を見た? 事実を積み重ねて真実を炙り出す、細い糸を手繰り寄せるような新聞記者の取材。 被害者を遠く近く取り巻く人間関係。それぞれの立場から見える真実とは? 塩田武士さんの真骨頂というような美しく切ない物語でした。
ラストですべてが救われたように思いました。謎が一つずつ解かれていって、後半は一気に読んでしまいました。もう一度ゆっくり読みたいと思います。
心をわしづかみにされるほどの衝撃に打ちのめされ、涙を流さずにはいられなかった。出会うべくして出会ったこの“家族”にこの上ない幸せが、いつまでも続くことはなかった。真実は運命を引き裂き、深い悲しみを呼び寄せた。「罪の声」のあの暗い闇を打ち破る衝撃が再び。予想もしない 展開に引き込まれてしまった。
大切に守られてきた真実に触れた時、その静かで強い愛に涙がこぼれた。たどり着くことを形にすることは難しい。私たちは諦めるのではなく誰かに託すことで前へ進むことができるのだ。塩田武士先生から多くのものを受け取ることができる一冊でした
「二次同時誘拐事件」という未解決事件が時を経て一人の記者の執念によってまた時を刻み始める。抽象的なものがあふれる今写実的な絵がもつ意味とは?スケールの大きい社会派ミステリー!令和版「砂の器」といってもいいのでは。
30年前の誘拐事件を調べ直す新聞記者の門田。その地道な取材ぶりは読んでいると一緒に真実を探しているような気持ちになった。だからこそ自分にも突き刺さる。なぜ調べるのか?なぜ書くのか?彼は答えにたどりつきその答えが真実へと運んでいく。すごい物語だった。
こんなに厚い(500ページ超)本なのに一晩で読み切ってしまった。まさに無我夢中。すぐ役に立つことはすぐに役に立たなくなる。わかりやすいものはすぐに忘れ去られていく。門田の格言「情熱と非効率は親和性が高い」、これはその対極にあるものだ。ひとりの人間が長く培ってきた存在の証(経験・技術・感性・記録)血縁や 遺伝子に関係なく誰かに託すこと。それを咀嚼し引き継いでくれる者がいること。それがどんなに素晴らしく、大切なことかをこの作品は読者に伝えてくれる。
生きている、生きてきた証。それはその人にしかわからない。でもこの本はとても、 人というものの生きてきた証、人生を大切にしてくれると思った。
30年経っても辿り着かない真実。当時中心担当だった旧知の刑事の死で老記者門田の魂に火がつく。毛羽立った細い糸先をたぐっては消えまたたぐる。そして些細なヒントを集めその汗が見えるように南から北から取材をする。マスコミとは何なのか。門田は何を書きたいのか。美術の世界の中で解けないからまるパズルのように。「二児同時誘拐」という犯罪以上に被害者も加害者もその家族も言葉では伝えられない人生がある。
最後の最後で背筋が凍った。全くの無関係だと思っていた事柄の点と点がつながるたび鳥肌が立つ。門田が「人間を書きたい」といったように。事件の真相は一言では語りつくせないほど、人の“人間”の部分と切っても切れないものだと思った。中澤の「結局門ちゃんはなんでブンヤやってるの?」という問いかけが自分の心にも刺さる。自分も満足に応えられる自信がないからだろう。読後タイトルの重みが増した。この驚きと感動を早く多くの人に伝えたい
未解決の連続誘拐事件。30年近く経てある元刑事の死をきっかけに事実が塗り重ねられていく。事実には裏表などなく事実の連綿であることを逆算的に証明しているかのよう。関係者、追跡者の想いを背負いながら積み重ねられる事実は細部に拘るかのように現実的で、見る側に善悪の可否、意味の有無を無言で問いかけてくる。様々な判断を飛び越えたところに一種の清涼感、安堵感を覚える作品。
厚さを感じさせない読みやすさと緊迫の展開に読む手が止まらない。誘拐事件に秘められた真実に心震え、永遠を願う人生の切なさに涙が溢れた。圧巻のヒューマンドラマを描く塩田作品は映画で見たくなるのだ。
点と点が結びつき線となる。その線が描くのは人間の罪と悲しみ。 塩田武士、渾身の一冊。慟哭は最後に訪れる。 久しぶりの塩田小説にしびれました。 芸術と犯罪。その線と線を結ぶ人間模様は塩田さんにしか描けない世界。 深みとすごみを増した筆にほれぼれしました。
物語の残酷さ、温かさ、静謐さ、すごさに、ただただ圧倒された。 序盤は誘拐事件のヒリつき、未解決というミステリ要素に読まされ、終盤は空白の三年間の真実に、家族の愛に胸がいっぱいになった。 物事の見方、存在のすべてをきちんと見るということの難しさを感じるとともに、その姿勢を忘れたくないと思った。
二児同時誘拐事件は単なる序章に過ぎなかった。姿の見えない犯人を追う新聞記者の執念、事件の裏で血の繋がりを超えた親子の愛、ささやかな幸せと悲しい別れがあったなんて・・。圧倒的な写実画が引き寄せる出会い、そして才能は引き継がれていく。深い愛情に満ちた美しいラストシーンでした。
ひとたび読み出せばあっという間にその世界に引き込まれる。あとはもう素直にその流れに身を任せるだけだ。骨太のこの物語の世界を堪能してほしい。読み終えて、ふとタイトルに思いを馳せた時、溢れ出る感情が止まらなかった。
誘拐小説の中でも天下一品の作品。30年後、当時担当記者だった門田のしつこいぐらいの調査は圧巻の一言に尽きます。そして内藤亮の切なくて悲しいシーンでは震えてしまいました。読み出したら止まらない感動作をあなたも読んでみてください。
ごめんなさい。よくある刑事もの、そんなふうに誤解していました。読み進むうちに、優しく愛あふれる物語にどんどん引き込まれ、没頭しました。人が人を想う、相手の幸せを願う、その尊さ美しさ。こんなにも胸を打つとは・・・。この感動をたくさんの読者にお届けしたい、切に切に願います。
不幸な事件の影に見え隠れする真実を、知りたい確かめたいという強い思いが探し当てた深い愛に涙なくしては読めませんでした。
「知りたい」という気持ちは何と罪深い感情なんだろうと胸が苦しくなりました。ラストで救われるのはきっと私だけじゃないと思います。
じっくり登場人物の心情や思惑を想像しながら読み、自分の想像と答え合わせをして行くのが楽しいと思える作品だった。そして記者はそこにやりがいを感じる仕事なのかなとも思った。私も子供の写真、風景の写真もたくさんとるが、“目の前”にあることも大切にしていこうと思った。作中に出てくる風景の描写が細かくて想像もしやすかったが、いつか本物の風景を見てみたいと思った。“目の前”にあるということの大切さについて深く考えさせられた作品だった。
何度驚愕させられたことか。誘拐事件の真相、空白の三年間。こんな展開が待っていようと は・・・思いもよらなかった結末は、驚愕と共にせつなさと万感の思い溢れる涙を誘う。 今期イチオシの感動巨編。
展開がとても面白くドキドキさせられました。
本質を見極めんとする写実画家の眼差しと記者の眼差しが重なる。「空白の三年」という外部の人間には見えなかったものの中に確かに実在した光と愛。一人の人間を新しい世界へ導き、その生を確立させた尊さに胸が震えた。ジョージ・ウィストンが時代を感じさせてくれてとても良かった。
感動と一言では言い表せないほどさまざまな人たちのさまざまな思いに胸が熱くなりました。傑作を読んだ満足感に満たされています!
読み進めるたびに「あ、私犯罪小説好きなんだ」と思い至りました。被害者・警察・記者と視点が切り替わるごとに緊迫した状況がやってきて、読んでいるこちらも心臓がバクバクするほど緊張してしまいました。好きという割にはほかの作品を読んでいるわけではないのですがこれまでに読んだことがないような感覚の物語だなと思いました。空白の三年間、まさに渦中の親子のやり取りがとてつもなく尊くて穏やかで、ずっと続けばいいのにと思わざるをえませんでした。終わりが見えてきた終盤、ものすごく胸が締め付けられてとても辛かったです。辿り着いた結末にこれだったかと読み終わって涙が止まらず放心したことを告白致します。
暑さも蝉の声も忘れてのめり込んで拝読しました。誘拐事件からどうしても想起してしまう「罪の声」。一言で言えば「いや、それ以上!」 警察・記者・画商・友人、様々な方向からの線が交わった時の 瞠目感はお母上から松本清張作品の読み聞かせを受けていた塩田さんならではのもの。ただ 罰せられるべき人が罰を受けていないもどかしさはあります・・・。 終章の「再会」では誰と誰がどのような再会を果たせるのだろうと文字を追う目が気持ちに追いつかないほどでした。プルーフをお送りいただき本当にありがとうございました!
空白に描き出されている事実は、想いが何層も重なり合って、真実を切なく彩る。そこにある現実を、偽りのない事実を、その存在のすべてを描き切った、胸に迫る社会派ミステリ。 ページを重ねるほどに塗り重ねた年月が色を変えていき、心眼が切り開く未来が光彩を放ち、心が満ちるようでした。塩田武士さんの「罪の声」を読んだ時は本当に衝撃的で今も特別な作品ですが、こちらの新刊も目に焼き付いていつまでも記憶に残る作品になると感じています。読ませていただきありがとうございました
なんとも小説に飲み込まれた。丁寧な描写に人々の気持ちが伝わってくる、人間味にあふれた一冊だった。お見事ですありがとうございました。
冒頭から物語はフルスロットル!誘拐犯と警察の緊迫した駆け引きからの思わぬ展開。陳腐で内容のないニュースや情報があふれる時代に本当に存在した事実は何なのか。誘拐という凶悪な犯罪の裏にある人間の物語が一つずつ見えてきて、全てが繋がった時、泣かずにはいられなかった。
この作品も真に塩田さんというような、リアルで緻密な描写で目の前で、事件を追っているようにドキドキしました。この先どうなっていくのか早く知りたい、でもこの事件をいつまでもっていきたい、ずっと読んでいたい、という心の天秤がグラグラとして困ってしまう面白さでした。
「結局門ちゃんはなんで文屋やってるの?」中澤から門田に問いかけられたこの言葉が印象的であった。もちろんこのセリフは彼に対する問いではあるけれども、亮や野本が絵を書くことに対しても筆者自身に対しても通じる問いであると思った 塩田さんはこの長編を通して生きて行くことはどういうことなのかを考えて一つの答えを教えてくれたように感じた。今存在するすべての人に彼らの物語を読んで欲しい。そしてなぜ今生きているのか考えてほしい。
緻密な捜査や事件の点が線になっていく過程に思わず感嘆のため息が出ました。緊張の展開が続く中でも一切の無駄がなく見事なストーリーは圧巻!真実は切なくやるせなく、それでも読後に光を残す素晴らしい作品でした。ご発刊を心より楽しみにしております!
読み終えてからしばらくして思い浮かんだのは「なぜ書くのか?」「なぜ〇〇なのか?」という問いかけだった。一言でまとまるような簡単な答えはない。でも考えることが必要な気がした。途中、この広がっていく物語はどこに着地するのかと 気になる時もあったけれど、皆の思いが多少は届いたり、報われいてよかった。結末は切なさがあった。
「事件の当事者にしかわからない価値観がある。 ひも解いて理解するための緻密なエピソードを知ることで、 1人の男の素性が少しずつ暴かれていくにつれて、 物語はより魅力的に、より重厚な読み応えがここにある。 普段小説を読まない方へもおすすめできる、実話に限りなく近い最高の物語だった」
針穴に糸を通すかのような、蜘蛛の糸をつかむかのような、緻密で繊細で粘り強い取材のおかげで一つの家族がすくわれた。家族も関係者も誰かにこの愛の物語を聞いてほしかったのではないだろうか。血のつながりだけが親子じゃない。では何をもって親子とするのか。愛情の量を測れたらいいのに。