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書棚と本棚 23 特別編

朝日ビジュアルシリーズ『週刊 池波正太郎の世界』

[書棚と本棚 23 特別編]

いつの時代にも変わらない男女の「優しさ」

重金敦之

Shigekage Atsuyuki 文芸ジャーナリスト。

 いくら野球の強打者と言っても、毎打席安打を打てるわけではない。世界のイチローを見ても四割は大きな壁で、三割を打てれば大打者だ。小説の世界も同じで、安打もあれば凡打もある。評論家から絶賛され文学賞を受賞しても営業的にはさっぱり、という作家もいる。芯に当たった打球が塀際まで飛んだのに好捕されたようなもので、アウトが増えただけということもある。
 そこへ行くと、池波正太郎は凡打が少ない作家だ。小説に限らずエッセイでも必ず出塁している。池波正太郎の文庫が一番多いのはS社だと思うが、ラインナップで、「版元品切れ、重版未定」はごく僅かのはずだ。せいぜい一、二点と聞いたことがある。こんな作家は珍しい。 
 その理由として、時代小説は、昔から男性の読者が多いのが通例だったが、池波正太郎には女性読者がしっかりと付いていることが挙げられるのではあるまいか。現代の女性は男がやることにはすべて後を追っていく。旅行、居酒屋、競馬などを見ればわかる。昔はすし屋と言えば女性はなかなか一人ではいかなかったものだが、最近は堂々と一人で「つけ場」に座る女性をみるし、「ひとり寿司」という言葉まである。そば屋に入ってそばを手繰りながら一人で酒を飲んでいる女性も増えた。これを池波効果というらしい。男が熱中する『鬼平犯科帳』や『剣客商売』という小説は、いったいどんな小説なのかしらという好奇心があったのかもしれない。そのうち読みだしてみると、意外に面白いことがわかってきた。 
 若い女性の時代小説作家も増えた。これも池波効果といえるのではあるまいか。女性作家が見た池波文学の魅力を挙げてみよう。
〈先生の方から「遊びにいらっしゃい」と誘ってくださったのを本気にしましてね。お電話したんですよ。そしたら「何で来るんだよ!? 一時間ぐらいだけだぞ」と、すごく不機嫌な声で怒られてしまって……。が、お目にかかると、お優しいんですね。一時間経って帰ろうとすると、「まだいいよ。もっとしゃべっていきなよ」と引き止めてくださったりして(笑)〉(北原亞以子・池波正太郎エッセイ・シリーズ巻末対談『東京の情景』朝日文庫) 
 水野忠邦を執筆する際に悩んでいた国家老の状況設定に、ちょっとした工夫を教示してもらったそうだ。 
 直木賞候補にしばしば挙げられながら、受賞に至らなかった落合恵子は、選考委員だった池波正太郎から励ましの言葉をずい分もらったという。昭和六十年下期の「A列車で行こう」の場合も、〈多少の欠点はあるにせよ、あざとさがなく、これまでの彼女の候補作の中では、もっともよかった、と私はおもう〉と、温かい選評だった。 
 そしてその「優しさ」について次のように語っている。
〈池波作品は江戸時代を舞台としながら、読んでいて、そこに生きる人間、特に女性の姿に違和感を感じることもないし、そのあり方がストンと胸に落ちてくる。そういう意味では、女性に「優しい」小説であり、本当の意味で、男性にも「優しい」作品と言えると思います。
「あからさま」なものや状態に対する羞恥心というんでしょうか。それは、池波さんの生きる姿勢にも、小説の登場人物にも表れていて、自分の苦悩や確執、屈辱や無念さなどを叫んだりしない。「誰だってそういう思いを抱えて生きているんだよ。それを言うか言わないかじゃないか」と、苦笑されているような気がします。〉(前出エッセイ・シリーズ巻末対談『ルノワールの家』朝日文庫)
 徳川綱吉と柳沢吉保の間に生きる女性を描いた『灼恋』から十返舎一九、清水次郎長まで実に守備範囲の広い諸田玲子は、池波正太郎が書く「悪党」が好きだという。 
〈池波正太郎さんの小説には匂いがある。風の匂い、土の匂い、闇の匂い、食物の匂い、人の匂い——わずか数行の描写で、登場人物の風貌や気性、暮らしぶり、背負ってきた過去、さらにそれらが混然一体となって醸しだす匂いまで感じさせる技は、まさに職人芸という他ない。〉(思い出の池波正太郎「オール讀物」平成十二年五月号、文藝春秋)
 作家に限らず、将棋の女流棋士、清水市代も池波ファンとして知られている。 
〈勝者は報われ、敗者はそのすべてを否定される。負けた時も辛いが、負けそうな時は、もっともっと辛く、苦しい。
 我、最大のピンチッ! という時に決まって登場するのが、池波ワールドの住人たちなのだ。彼らの言葉、生き様に、一体何度助けてもらったことか……。
 主人公は、決して、完全無欠のヒーロー、ヒロインなんかじゃない。滅茶苦茶人間臭くって、弱虫だったり、泣き虫だったり、イライラするほど、不器用な生き方しか出来なかったり。でも、だからこそかな、親近感をおぼえ、彼らと一緒に泣き、笑い、いつの間にか励まされてる自分に気付く。〉(前掲誌)
 芸名に「池波」を頂く女優の池波志乃は、新国劇の研究生当時に父親の先代古今亭馬生が付けて、池波正太郎の許可を得た。ドラマ「鬼平犯科帳」の忠吾役だった叔父の古今亭志ん朝は、生まれた子供に「忠吾」と名付けた。
〈「鬼平」を読んでいると、あまりにもおいしそうな食べ物の描写に、思わず真似して作ったことが何度かある。鍋の火加減からネギの切り方まで細かく描写してあるのに、(略)押しつけがましいところが少しもない。それはそのまま、先生のお人柄にも通じているように思う。〉(前掲誌)
 時代小説と言うと、女性は血なまぐさい斬り合いや合戦の描写を嫌うものだが、その中に生きるいつの時代にも変わらない男女の「優しさ」を池波正太郎は書く。小説に登場する人物は、そのまま現代の読者のすぐ近くに生きている。その親密な優しさを女性読者は感じ取るのだろう。
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 池波正太郎が大正十二年の一月に誕生した生家(旧東京市浅草区聖天町六一番地)は、その年の九月に起きた関東大震災で焼失した。平成十九年の十一月、生家跡から三〇メートルほどの台東区立待乳山公園に「生誕地碑」が建立された。『東京の情景』(朝日文庫)から採った、「私の生家は、むろんのことに跡形もないが、大川の水と待乳山聖天宮は、私の心のふるさとのようなものだ」という文章が碑に記されている。なにごとにつけ、「大げさが嫌い」だった池波正太郎に相応しい落ち着きのある小体な碑だ。ずっと以前からあるように大川と待乳山になじんでいる。
 池波正太郎が亡くなったのは平成二年だから、早くも二十年が経過する。これを節目に、朝日新聞出版の分冊百科編集部から、朝日ビジュアルシリーズの一環として『週刊 池波正太郎の世界』(全三〇冊)が十二月三日から発刊されることになった。
 編集者が作家のことについてあれこれ書くのは、非常に難儀な作業で、書いていても忸怩たる思いからなかなか抜けられないものだ。医者が患者のカルテを公表しないのと同じで、本来は発表すべきではないのかもしれない。今までに編集者が作家について書いた書物は、どのように工夫を凝らしたとしても、読者が知りえないことを自分だけが知っているという鼻もちならない「自慢話」か、あるいは「文壇秘話」といったゴシップの類と変わらない暴露記事に堕ちたものが多い。
 墓場まで持っていく、と言うほど大げさでないにしても、担当した作家については、「絶対に書かない」と自戒している友人の編集者もいる。しかしながら私も池波正太郎が亡くなった年齢を疾うに過ぎた。最近の読者の中には、生前の池波正太郎を全く知らない人も増えてきた。このあたりで、今なお読まれ続ける稀有な作家の「人がら」を記し残しておくのは、長い期間にわたり交誼を得た編集者の責務かもしれない、とも思うようになった。
 私が担当した『食卓の情景』や『真田太平記』を通して知り得た「人間、池波正太郎」の素顔を『小説仕事人・池波正太郎』として朝日新聞出版からまとめることになった。どれだけ「実像」に肉薄できたかわからないが、小説やエッセイを読む際に、いささかでも役に立つのではないかと自負している。

 ところで朝日新聞の「分冊百科」の歴史は古い。さるパーティーで『池波正太郎の世界』の触れ太鼓を叩いていたら、ある出版社の幹部が、「朝日の分冊シリーズは日本百名山あたりからではないか」などと寝ぼけたことを言っていたが、とんでもない。 
 先駆けは昭和四十一年の「週刊朝日別冊」として、吉川英治の『新・平家物語』を毎月刊行したことに始まるのではないか。この年NHKテレビの大河ドラマの原作となったのに協力したのだ。脚本は平岩弓枝で、仲代達矢、新珠三千代が主演だった。「週刊朝日」に連載したときにさし絵を担当した杉本健吉がまだ健在で、別冊の全号にさし絵を新しく書き直していただいた記憶がある。
 今シリーズの『池波正太郎の世界』でも、九十八歳になる中一弥が、全三〇冊の表誌絵を新たに描き下ろす。高齢を押してのご苦労に頭が下がる。池波正太郎も泉下で喜んでいるに違いない。

 週刊朝日百科の企画は、昭和四十六年にフランスのラルース社と提携した『朝日=ラルース 世界動物百科』(一九二冊)を嚆矢として恒常化していった。五十年の『世界の植物』(一二〇冊)、五十五年の『世界の食べ物』(一四〇冊)などと順調に発展、継続し、「分冊百科」界のトップバッターとして、好打を打ち続けていることを付けくわえておきたい。(敬称略)