ここから本文エリア

フレンチのサムライ

(10)トロワグロでの日々

「シェ・トモ」オーナーシェフ

市川知志

Ichikawa Tomoji

「シェ・トモ」のホームページは、こちら。
http://www.chez-tomo.com/


 八〇年代後半、フランス全土に十八軒あった三つ星レストランのなかでも「トロワグロ」、「ポール・ボキューズ」、「アラン・シャペル」は別格で、三人のシェフは修行中の料理人にとって、ほとんど生き神のような存在だった。
 トロワグロは一九三〇年、ロアンヌ駅前に旅籠として創業した。二代目の兄弟シェフ、ジャンとピエールはヌーヴェル・キュイジーヌの旗手として名を上げ、六八年から今日まで三つ星を守っている。
 私が行ったときには「ソースの天才」と呼ばれた兄のジャンはすでに亡くなり、「肉の名人」の弟ピエールが総帥として君臨して、彼の息子のミッシェルが他店での修行から戻り、後を継ぐべく現場の指揮官として働いていた。
 日本との結びつきも強く、ピエールは六〇年代に銀座「マキシム」の料理長をつとめたこともある。八四年には小田急百貨店と業務提携し、新宿のデパ地下に高級デリカショップ「トロワグロブティック」を開いていた。
 トロワグロに興味を持てなかった理由のひとつに、小田急との密接な関係がある。常時、系列ホテルから派遣された日本人が研修しているため、企業外の者が入り込むのはほとんど不可能だった。運よく働けても、労働許可証もない一匹狼が認められるはずはないと思っていた。
 だが、三つ星の厳しさに打ちのめされた「ラ・コート・サンジャック」のトラウマは、一年間のバスク生活で完璧に消えていた。フランス人とのつき合い方も身につき、「どこでもやっていける」という確信も持てた。名もなき小さな村に乗り込みたかったが、次の修行申し込みの手紙を書くとき、「差出人の住所がトロワグロだったら、OKを貰える確率が高くなるかもしれない」という打算もあった。
 ゲタリーを出てリヨンでローカル線に乗り換え、ロアンヌまでは約一時間。改札を出てふり返ると、駅舎はオレンジ、屋根瓦はグリーンなのにまず驚いた。
 オレンジはサーモンの色、グリーンはオゼイユ(スカンポ)の色に違いない。トロワグロ兄弟が創作した最も有名な料理、店の代名詞にもなっている「サーモンのオゼイユ風味」の色に駅が塗られていたのである。
 まわりをぐるりと見回すと、オブジェが立っている場所があった。近寄ってみると、「ジャン・トロワグロ広場」と名前がついている。それを見たとき、ここは町ぐるみでトロワグロを誇りにしている土地であることを実感した。
 街並みも美しく、道路のいたるところに花が植えてある。町の財政が豊かなことも伝わってきた。
 店は駅のすぐ目の前だ。リュックをバタッと地面に落とし、建物を眺めながら煙草を一本吸い、思いを巡らせた。
「どんな店だろう。どうやって攻めてやろうか……」
 気楽にやって来たくせに、思わず武者震いがした。

アミューズ・ブッシュのポジションに

 店の門をくぐると例によってすぐに着がえて仕事である。調理場に入った瞬間、三つ星特有のピーンと張り詰めた緊張感に包まれた。雰囲気にのまれ、すくんでしまっては終わりなのはわかっていた。最初にしっかり威圧を跳ね返せば、自分のペースでやっていける。力も出せるはずだ。
 まず、料理人全員に挨拶に行くことから始めた。日本のレストランの場合、新人が入るときは最初にシェフが全員の前で紹介してくれた後、「よろしくお願いします」となるのが普通。ところがフランスにはこのような習慣はない。
 必ず一人ずつに近寄って「僕の名前はトモです」と、自己紹介をしなくてはいけない。これが結構、根性がいる。みな忙しく働いている最中に、ぱっと見て一番偉そうな料理人から挨拶をしてまわる。もしかしたら無視されるかもしれない。不安がよぎるが、手を差し出す。
 握手を拒否するのは彼らにとって失礼な行為なので、愛想がいいか悪いかは別として、必ず応えてくれる。
 この挨拶を欠かすと、彼らからコンタクトをとってくることは永遠にない。ごく普通の礼儀を知らない人間に、やさしくする義理はないというわけだ。ラ・コート・サンジャックでは、それができなかった。
 無事、挨拶をすませてほっとする間もなく即、実戦に入った。私に割り当てられたのは、アミューズ・ブッシュのポジションだった。
 アミューズ・ブッシュとは、オードヴルの前に出す小さなおつまみである。ベニエ(揚げ物の一種)と貝のマリネ、トマトのタルトレットの三品を仕込みから皿に盛りつけるまでをひとりで行う。ひとつずつが少量とはいえ、昼夜ともコンスタントに百三十人分と膨大な量だ。しかも客が最初に口に入れるものだから、責任は重い。三つ星でポジションを得るのがどんなに大変かは身に染みている。一品でも失敗したら、研修といえども許されないだろう。朝から晩まで、三品を完璧に仕上げることだけに集中した。
 いまでも忘れないのは、初日に見たピエール・トロワグロのオーラである。
 いかにも人のよさそうな丸顔のピエールが調理場に入ってきた。みながいっせいに「ボンジュール、ムッシュ」と声をかける。すると彼は挨拶を返しながら、ガルドマンジェ(下ごしらえのセクション)のところに来ておもむろに仔牛の肋肉をポンポンと、鉈のように大きな包丁で切りはじめた。ガルドマンジェは、私のいる場所のすぐ前だ。
 音に聞くフランス料理の生き神様が、すぐそばにいるのである。ぞくっと、鳥肌が立った。体が震えて「ボ、ボ、ボンジュール」と、なかなか声が出なかった。いままで会ったシェフたちとは段違いの、すごいオーラだった。
 トロワグロでの私の身分は、研修生(スタジエ)である。給料は出ない。トロワグロのような有名店になると、お金を払って研修させてもらう料理人も世界中から来る。寮も提供されないので、近くに家賃三万円程度の下宿を借りた。賄いを店で食べられるので食費は少なくてすむが、やはり月に五、六万はないと生きていけない。ゲタリーで蓄えた貯金で、なんとか六カ月は生活できる算段だ。
 小田急からの研修生は、技術的には申し分なくても、やっぱり語学力の問題だろう、一連の調理の流れからは外されて、デザート用の仕込みセクションを担当していた。一日中ひたすらフルーツの皮をむいて切っては、シャーベットとアイスクリームなどの氷菓を作り続ける。フルーツの酸で傷んだ爪は、見るからに痛々しかった。
 それでも彼らは首になる心配はなく、トロワグロで研修したという輝かしい実績を持って帰国できるが、私はそうはいかない。後ろ盾のない研修生のかわりはいくらでもいる。三つ星のシェフの机の上は、履歴書の山なのである。

ナショナルとミッシェルと

 ひとりで最初から最後まで仕上げるアミューズ・ブッシュはチームワークの輪に交じる必要はないかわり、まわりの視線が必要以上に気になった。「みな、俺の包丁さばきを観察している……」。焦って浮き足立たないよう、段取りよく仕込みをし、手を早く動かすことに専念した。
 しばらくすると、休憩時間に私のアクセントを聞きつけて、部門シェフが声をかけてきた。
「おまえ、すごいバスクなまりだな。どこの村にいたんだ? 俺、実はバスク生まれなんだよ」
 これをきっかけに同僚たちとも少しずつ打ち解けられるようになった。
 研修をはじめて間もないときに歯が痛くなり、こっそりアスピリンを飲んでいると、それに気がついたメートル・ドテール(給仕長)が労働許可書がないのを承知で歯医者に連れて行ってくれ、治療代まで払ってくれたりもした。
 なんとなく、この店特有のあたたかくて家族的な雰囲気は肌に感じていたが、口答えをして首になったパリの「ル・ディヴェレック」の轍を踏むまいと、仕事中はいっさい口をきかずに「ウイ、シェフ!」だけで黙々と働き続けた。
 そんなふうに一カ月が過ぎた頃、事件は起こった。息子シェフのミッシェルが私のそばにやって来た。アミューズ・ブッシュの指示を出すためだろう。直接、話しかけられるのは初めてだ。ミッシェルはあろうことか「おい、ナショナル」と声をかけてきた。
 そのとき、プチッと私のなかでなにかが切れた。名前を覚えていないのはよいが、日本人だからナショナルやソニーと呼ぶのはいかがなものか。逆に極力冷静になり、できうる限りていねいな言葉を選び、ゆっくりと言い返した。
「よろしいですか、僕の名前はトモジ・イチカワです」
「ん?」という表情のミッシェルに続けた。
「イチカワは姓なので覚えなくて結構です。トモジのジはあなた方には発音しづらいので、僕のフランスでの名前はトモです。今後、僕のことはトモと呼んでください」
 ミッシェルは押し黙り、ただでさえ大きな目がどんどん大きくなり、ついには真ん丸になった。
 これは絶対に怒っている。ああ、また口答えしてしまった。また首だ。
「おまえいま、なんて言った」
「だから、僕の名前はトモなんです。ちなみにナショナルというのは、エレクトロニックの会社です」
 ところが、この先からがトロワグロはぜんぜん違った。いきなりゲラゲラ笑いだし、私の肩をパンパン叩いた。
「なーんだ、フランス語ができるんなら、どうして一言も喋らなかったんだ。はじめから喋ってくれよ」
 ミッシェルは怒らなかった。すぐにピエールのところにとんでいって「パパ、あいつフランス語を喋れるよ!」と報告。その息子に、「ああそうなのか」と父親も鷹揚に頷いているのが見えた。トロワグロ親子の心の広さにふれた瞬間だった。そして私自身もまた、トロワグロの空気のなかに溶け込んだのだ。明るい先ぶれが胸に拡がっていった。

構成・畑中三応子