HOME / 雑誌 / ASAHIパソコン / ASAHIパソコンフォーラム / 2006年3月15日号
ASAHIパソコンフォーラム 2006年3月15日号
確かに、パソコンを使いこなすために雑誌を購読する必要性は薄れたようにも思えます。ウィンドウズをはじめGUIを多用したOSの登場によってパソコンはかつてほど使いづらいものではなくなりました。インターネットの普及により情報を手軽に入手できるようにもなりました。
しかし、少なくとも私はそれでよいとは思えないのです。かつて貴誌の常連執筆者だった村瀬康治氏は「パソコンのオペレーターになってはいけない、パソコンユーザーにならなければならない」という趣旨のことを繰り返し主張しておられました。しかし、昨今巷にあふれているのはアプリケーション操作にたけただけのパソコンオペレーターであって、パソコンの本質を深く理解しているユーザーは皆無に近いのではないでしょうか。
その結果として、パソコンの本質や限界あるいは問題といったことを知らずに無理無体なことをする向きが横行しているように見受けられます。このような状況がこのまま続けば、ITは人間を苦しめるだけのものに成り下がってしまいます。それを避けるためには、人々の意識を変えることが必要でしょう。そのために、貴誌のような専門誌の果たす役割があったのではないでしょうか。
(東京都北区・砂押英文・37歳)
私が思い出すのは、記事の中に登場した「ブッパソマン」というキャラクターです。「ダイナブック」「98ノート」のようなブック型パソコンが登場したころですから、89年ごろでしょうか。当時のデスクトップ・パソコンはハードディスクが標準装備されておらず、フロッピーディスクドライブ(FDD)2基に「一太郎」のようなソフトのフロッピーを入れて使うのが一般的でした。ところが、ブック型パソコンはFDDが1基しかなく、1枚分のフロッピーをFDDからRAMディスクなるものにコピーし、FDDが2基「あるものとして」使用するという変則的な機構を採用していたため、うまく動作せず、とまどう人が続出しました。
それをわかりやすい解説で救ってくれたのが、「ブッパソマン」が活躍する記事でした。その姿はスーパーマンみたいな感じだったでしょうか。今となってはイラストの記憶もおぼろげです。最後ですから誌面で「ブッパソマン」のあの雄姿をもう一度、見せてくださいませ。
(東京都台東区・寺尾淳・46歳)
私のパソコン歴もエプソン製のPC-486SEを1993年に買って以来、ウィンドウズを4台、マック2台で10年以上となります。読んできたPC雑誌も「月刊アスキー」「EYE-COM」「マックパワー」、そのほか休刊したものも含め、かなり移り変わってきました。その中で「日経PC21」とともに貴誌を購読しはじめたのは3~5年前なのですが、低価格、手抜きなしのこだわり比較記事、個性的なコラム、一時期を除いて旬のアイドルを取り上げた朝日新聞らしからぬ表紙、どれも中級のPCユーザーを自任している私にはぴったりでした。パソコン関係のみならず、家電に関しても、毎号新しい発見がありました。空気清浄機やAMラジオを録音できる機器の記事は、私にとって「おっ!」と思えるものでした。
PC草創期からの歴史ある貴誌が休刊とは本当に残念です。お手軽に流したような雑誌を今更購読することは考えられないし、PCあり家電あり遊び心あり、こんな雑誌はほかになく、残念としかいいようがありません。再開される時があれば、またぜひ購読させてください。
(三重県四日市市・よしみでぃ・33歳)
パソコンはまだ全然一般的ではなく、会社で導入し始めたのをきっかけに、難解なパソコン用語を理解する目的で買ったのが、アサパソでした。最初は本当に何が書いてあるのかちんぷんかんぷんでしたが、読み続けることが大事……そう思って毎号買い続けました。あれから18年もたつんですね。
「噂の対決シリーズ」や「デジタルフォト脳内探検隊」、そして最近の「ニューフェースレビュー」は、とても楽しみにしていました。ベッド脇のマガジンラックにはいつも半年分ぐらいのアサパソが入っていて、眠る前に目を通したりしています。ある意味、自分の生活リズムの中にアサパソはすっかり入り込んでいて、休刊になってしまうということに、なにかまだ実感がわかないというか、そんな生活がまだ考えられません。
実は、私もこの3月で今の職場をやめることになっています。3月は出会いと別れの季節といいますが、くしくも同じ時期に区切りを迎えることにちょっと因縁めいたものを感じます。
(岩手県奥州市・オカP・45歳)
役割を終えたことによる休刊と知って、驚きました。定年後、幸い人に教える仕事に就き、創刊号から積み上げたアサパソから、IT時代の世界の流れ、新機種の情報、評価、基礎的な知識など、時機をとらえた月2回の速報はこの時代の流れに沿って常に新鮮なものでした。若い女の子の表紙には気が引けましたが、中身は「PC下流」にならない格好の編集でした。
私が戦争を体験した少年時代から読み続けた「科学朝日」は、今も貴重な記念品として持っていますが、相次ぐ科学雑誌の休刊に続き、この伝統誌もついに終わりを迎えました。理科離れの話題とおなじような寂しさでした。やさしい科学、計算やゲームもできるPDA「新アサパソ」が企画されての休刊? 向こうが見えてきた私が出合えるのか、案外それは近いかもしれないですね。
(長野県池田町・深尾哲夫・79歳)
|
|