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小田嶋 隆の価格ボム!  2005年2月15日号

イラスト・佐藤竹右衛門

小田嶋隆 PROFILE
1956年、東京・赤羽生まれ。早大卒。「噂の真相」の連載コラムを集めた最新刊『かくかく私価時価――無資本主義商品論1997-2003』(ビー・エヌ・ピー新社)好評発売中。

第9回

499ドル(国内5万8590円)

Mac miniの価格

 マックミニ。
 なんと500ドルだ。1年でオシャカになったオレの初期型iPodとほぼ同じ値段。安い―というより「二束三文」、ないしは「捨て値」と言うべき価格設定だと思う。こんなことをするのは、長らく幕藩体制を支えてきた御家人に対する裏切りではないのか?
 だってそうだろ? マックは特別な存在だったはずじゃないか。だからこそオレらは凡百の機械と区別する意味で、こいつをマックという愛称で呼んできた。
 それを、小さいからミニです……ってそういう問題かよ。
 ミニモニとかプッチモニみたいな、バラ売り商売のネタにして良い対象じゃないはずだろ? それともアレか? アップルにとって、マックはもはやカゴ扱いなのか? iPodの周辺機器、スクールメイツのポジションか?
 もちろん、買う身にとって、値段は安い方が良いに決まっている。私とて、相手がティッシュやTシャツなら、どこまでも安いものを珍重する。
 でも例えば、同じマンションの同じ間取りの部屋が、購入時期のちょっとした違いで2000万円も安くなってしまったような場合、分譲開始当初に5000万円で買った男が、2年後に3000万円で入居してきた若夫婦に意地悪な気持ちを抱いても、無理のない話とは思わないか?
 話が違う?
 いや、違わない。
 だって私は79万8000円で初期型のマッキントッシュを買った男だからだ。
 マックミニが1ダース買える値段だ。
 であるから、マックが安くなることは、私にとって、自分の青春が廉価版の2枚組DVDで出ているのを発見した時みたいな、ちょっといやーんな感じのする経験なのだ。実際、中学生のころ部屋にポスターを貼っていた往年のアイドルが、月曜売り週刊誌のグラビアにあられもないヘアヌードで登場していたら、誰だって、やっぱり複雑な気持ちがすると思う。
 ……ん? 話がズレている?
 ズレているものか。
 考えてみてくれ。オレの初期型マックは、メモリー増設だけで10万円以上かかる恐怖の金食い虫だった。金だけではない。あのマシンは私のかけがえのない独身時代を3年がとこフリーズさせた。ソーリー、システムエラーオカード。
 マクドナルドが銀座4丁目に初めて出店した時、ハンバーガー1個が80円だった。大卒の初任給が3~4万円の時代にこの代金を取っていたわけで、ということは、マックは高級品だったのである。
 北京やモスクワのマクドナルドも、出店当初はかなりとんでもない価格(ハンバーガー1個の価格が現地若手労働者の半月分の収入に相当、みたいな)で出発した。
 というのも、マクドナルドの値段は、アメリカンウェイオブライフの値段であり、ハンバーガーは自由と民主主義の味がする戦略食品だったからだ。
 とすれば、アメリカの夢は、絶対に安っぽくてはいけなかった。若者たちが一生懸命に働いてぎりぎり手が届く、あこがれの値段でなければならなかった。  私が1984年に買った初期型のマッキントッシュはカリフォルニアの夢そのものだった。
 だから私は、スキーをあきらめ、ドライブをあきらめ、そのほかのあらゆる娯楽を断念して、マックを買った。当時、1台のマッキントッシュには、それらすべてと引き換えにして余りある価値があった、ように見えた、からだ。
 ん? 初期マックユーザーの選民意識に過ぎないじゃないか、と?
 そう思われても仕方がないな。
 ともあれ私は、若くて、もっとほかに面白いカネの使い道がたくさんあった時代に、可処分所得の少なからぬ部分をマックに費やした。しかも、その出費の愚痴は、自慢話として受けとめられた。
 「ほー。79万8000円ですか(冷笑)」
 「………」
 パソコンの徹底的な価格低下は、パソコンの普及に貢献するだろう。が一方において、パソコンの相対的な地位低下を招かずにはおかないだろう。残念だが。
 2005年。マックはついに5万円余りの弁当箱マシンになった。
 ハンバーガーのマックは、塾帰りの小学生のロンリーフード供給ポイントになっている。で、私はといえば、決して無駄遣いをしない、いやな大人になった。  残念。