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小田嶋 隆の価格ボム!  2005年3月1日号

イラスト・佐藤竹右衛門

小田嶋隆 PROFILE
1956年、東京・赤羽生まれ。早大卒。「噂の真相」の連載コラムを集めた最新刊『かくかく私価時価――無資本主義商品論1997-2003』(ビー・エヌ・ピー新社)好評発売中。

第10回

0円

別れ話の腹いせに、元カレが
オンラインRPGで集めたアイテムを
元彼女が捨てた事件の被害額

 なになに?
「逆恨み女、元カレになりすましてゲーム上で“最後っぺ”」(「夕刊フジ」1月21日付)?
 ひどいタイトルだなあ。下品であるのみならず意味不明。最低だ。
 見出しは、記事の要約になってないといけない……というのは、しかし建前で、タブロイド紙において、見出しは第一に「客引き」だったりする。つまり立ち売りスタンドでタイトルを見た読者に、
「ん? どういう意味だ?」
 と、違和感を感じさせなければならない。その意味ではあんまりわかりやすいタイトルはむしろ失敗なのだな。
 記事を読んでみよう。
「元カレになりすましてネットのオンラインゲームに参加し、元カレが苦心して集めたゲームのアイテム約100点を捨てたとして、福島県警福島署は21日までに、30代の女を不正アクセス禁止法違反の疑いで書類送検した」
 ……って、記事本文を読んでも、違和感が消えないぞ。
 捜査関係の常套句で言えば、当件はいわゆる「痴情のもつれ」だ。
 が、このケースでは、加害女性がおのれの痴情のもつれをぶつけた対象が、バーチャルかつデジタルな物件だったところにユニークさがあるわけで、われわれが感じた違和感の源泉もそこにある。
 逆に言えば「痴情のもつれはアナログであるはずだ」という決め付けないし先入主がこちらにあるということだ。だからこそ「デジタルな痴情のもつれ」に遭遇して、われわれは意表を突かれている。
 しかし、だ。
「痴情のもつれ」という言い方がそもそもヘンなのである。
 だって、痴情というのは、元来がもつれたもので、「まっすぐな痴情」であるとか「公明正大な痴情」だとかいったものは、想定不能だからだ。
 とすれば「痴情」とは、根源的な意味において人間性の闇であり不条理そのものであるわけで、その周辺で何が起きたとておかしくはない。というより痴情一般について言うなら、それはデジタルとかアナログとかの事情を超えて、天地開闢以来終始一貫、未来永劫にわたって、もつれにもつれているものなのである。 記事によれば、男女は2年ほど前にオンラインRPGの「リネージュ」で知り合い、現実世界でも交際するようになった。しばらくして別れた後、女が元カレのIDとパスワードを無断で使ってゲームにアクセスし、元カレが大切にしていたアイテムを捨て去る挙に出たという。
 で、驚いた男性が警察に被害届を出し……と、ここのところで、違和感を感じる向きもおありだろうと思う。
「おい、ゲームの中のアイテムがなくなったのが被害かよ?」
「しょせんは架空のデータだろ?」
「じゃあ、アレか? 初恋の少女がデブになっていた姿に遭遇したオレは、大切な思い出を破壊されたとかいって被害届を出してもいいのか?」  落ち着いてくれ。
「被害」は、必ずしも物理的な財産のみを対象にしたものではない。初恋の思い出は極端だとしても、判例は、形見の人形や古い写真のような経済的な価値のない物品にも固有の価値を認めている。同様に「架空のデータ」でも、回復不能な損傷が生じれば、当然被害とみなされる。ましてオンラインRPGのアイテムは、市場で現金取引されるほどの物件だ。
 とはいえ容疑は、「不正アクセス禁止法違反」だったりする。
 警察も腰が引けてるわけだ。
 どうして窃盗なり器物損壊に問わないのか、と……ん? そんな問題じゃない?
 そもそもオンラインで知り合って、オンラインで復讐する関係が不自然だと?
 そうかもしれない。
 でも人間関係とは……あるいは思いっきり意訳して「痴情とは」でもかまわないが、いずれにしろ男女の関係というのは多かれ少なかれバーチャルなものだ。 手紙、電話、あるいは生身の言葉でもネット上の文字でも同じことだ。われわれは、そうした抽象的な媒介物なしに、十全な関係を構築することができない。 とすれば、ネットラヴァーも、遠距離恋愛も、家庭内別居も似たようなもの
……じゃないですね。すんません。
 ということで、記事の見出しは、
「痴情より永遠に」
 で、いかがでしょうか。