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小田嶋 隆の価格ボム!  2005年5月1日号

イラスト・佐藤竹右衛門

小田嶋隆 PROFILE
1956年、東京・赤羽生まれ。早大卒。「噂の真相」の連載コラムを集めた最新刊『かくかく私価時価――無資本主義商品論1997-2003』(ビー・エヌ・ピー新社)好評発売中。

第14回

1000円

愛・地球博会場内のあるレストランの
ビーフカレー1食分の値段

 愛・地球博でひとつ納得できないのは、万博協会が「食中毒の危険防止」を理由に、会場への弁当の持ち込みを禁止していることだ。
 問題は措置ではない。その理由だ。
 持ち込み禁止自体は、出店企業の立場を考えれば、ある意味、やむを得ないのかもしれない。
 でも、それならそれで、なぜ正直に「利益確保のため」と言わないのだ? 「食中毒の防止」などと、どうしてそういうおためごかしを言うのか、そこのところが欺瞞だと言うのだ。
 ってことはアレか? 協会は、オレらを、自分で持ち込んだ食べ物の安全も確保できないアホウだ、と、そういう目で見ているのか? ちなみに言えば、入場客が持ち込んだ飲食物による食中毒は、大阪万博で24件つくば万博の時に6件、それぞれ発生したが、1990年の大阪花博の際には1件も発生していない。にもかかわらず、協会は、入り口で持ち物検査を実施し、持ち込みが発覚した場合には、弁当の廃棄を要求している。 え? お弁当を捨てるの? それって、地球に優しいことなの?
 ……と、そっちがそういう態度で来るのなら、こっちだってブリっ子をキメずにはおられぬのであって……という原稿を書いていたら、開幕後数日を経て、いきなり弁当の持ち込みが手作り弁当に限って解禁されることになってしまった。
 寝耳に水。ま、みみずよりはマシだ。が、せっかく書き上がった原稿が水びたしになったことは確かなわけで、とすると、地球環境は、この予期せぬ全面改稿に取り組む私の体温上昇の分は、確実に温暖化が進行したわけなのである。
 弁当の持ち込み禁止を解除したということは、万博協会は、食中毒の危険についての自らの主張が誤りであったことを認めたのだろうか。
 否。協会は、非を認めていない。
「食中毒防止」の方針は不変。っていうか、あくまでも堅持している。その上で「包装や温度管理がしっかりしていれば」持ち込みを認めるということのようだ。偉そうだなあ。
 とすると、私の立場としては、このたびの協会の路線変更を、「実態に即した臨機応変な英断」として、積極的に評価するべきなのか、それとも「原理原則をないがしろにした朝令暮改」として、批判するべきなのか、それによってこの先の書き方が違ってくる―のだが、そんなことはどうでもよいのである。だって実態は右顧左眄というのか、日和見のご都合主義というやつで、要は小泉首相の鶴の一声で禁止解除が決まったということに過ぎないからだ。誰も何も考えちゃいないのだ。
 首相は「多くの人から不満が来ている。お弁当は作るのも食べるのも楽しいし、安上がりだし、みんな望んでいる。『来る人の身になってよく検討してくれ』と言っている」と述べた(2005年3月30付読売新聞ウエブサイト)のだそうだ。まあ、廃棄済みの弁当が山積みになっている映像とかを見て、本能的に危険を察知したこのヒトの政権環境保全能力の高さは認めてあげなければならないだろう。見事。
 かわいそうなのは、この先半年間にわたって、ハシゴを外された形で売れない商売を続行せねばならない飲食店関係者の皆さんたちだ。
 自業自得?
 そうかもしれない。でも、協会は、開幕前には、業者に対して一定の利益確保を約束していたはずなのだ。
 その約束を、開幕数日で反古にしたわけなのだから、本来なら誰かが責任を取らねばならないはずなのだ。が、おそらく、弁当解禁は、圧倒的な世論の歓迎を背景に「英断」と評価されるのだろう。
 ってことは、誰も謝罪せず、誰も責任を取らない状況の中で、これは、「お手柄」になるわけだ。失政の糊塗でしかないお座なりの弥縫策が、だ。  大地の塔(名古屋市パビリオンのモニュメント。藤井フミヤ氏のプロデュースによる地上47メートルの巨大建築物)をはじめとするハコモノ関係の設計施工にたずさわった人々は、既に利益を回収し終えて、高見の見物を決め込んでいる。
 夏場の書き入れ時に食中毒テロ(←具体的な手法については詳述を自粛しておく)が発生しないことを祈りたい。合掌。