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小田嶋 隆の価格ボム!  2005年5月15日号

イラスト・佐藤竹右衛門

小田嶋隆 PROFILE
1956年、東京・赤羽生まれ。早大卒。「噂の真相」の連載コラムを集めた最新刊『かくかく私価時価――無資本主義商品論1997-2003』(ビー・エヌ・ピー新社)好評発売中。

第15回

20万~40万円

連続4件。盗まれた神社の
こま犬の被害想定額

 大津市で神社のこま犬が盗まれる事件が続発しているんだそうで、ここ数日、午前中から昼の時間帯にかけての民放の情報番組は、こぞってこの話題を取り上げている。
 うん。たいした事件ではない。でもなんというのか、この種の「世相慨嘆ネタ」は、ワイドショー向けなのだな。だって、「世の中の乱れ」を嘆きたくってしょうがないわけだから、視聴者もスタジオも。
 で、世相の乱れを指摘し、慨嘆することで、自分たちの正しさを再確認する、と、まあ、気楽な人たちですよ。
 だから扱い方もカタにハマっている。
「犯人は、いったいどんな気持ちだったのでしょう」
 と、キャスターが憤慨して、
「心が寒くなるような事件ですね」
 と、コメンテーターが応じる。
 阿吽の呼吸。一対のこま犬みたいな手慣れた仕事ぶりだ。
 ……たぶん愉快犯だな。
 理由無き反抗。♪盗んだバイクで走り出す~式のティーンエイジャーの無軌道物語。海に向かってバカヤローの一バリエーション、というのか、ぶつけどころのない怒りをぶつける先に座っていたこま犬の身の不運、ってなところだ。10年後には懐かしい思い出になるテの、ほろ苦くも甘酸っぱい思春期の小爆発。まあ、アレだ。そこいらのスナックで、更生極道気取りの半端非行中年が自慢話に語るにふさわしいチキンな武勇伝ですね。
 とすれば、ワイドショーみたいなものが嘆いたり騒いだりすることが犯人にとっての唯一にして最大の収穫ということになるわけで、こんな事件は、無視黙殺放置するに如くはないのだが、どっこい、昼間のテレビは、校舎のガラス割り騒動だとか、墓石ひっくり返し事件みたいな、10代暴走モノの話題が大好きだ。というのも、昼間っからテレビを見ているお年寄りの皆さんは、若い連中に対して腹を立てる材料に飢えているからだ。
 夕刊紙の伝えるところでは、こま犬の値段(神社が制作者に支払った金額らしい)は、一対で20万~40万円程度ということで、神社側の被害額は、これでオッケーだ。
 が、この金額が、そのまま犯人の側の収益になるのかどうかはまだわからない。盗品であるこま犬をサバく市場の動向と、犯人の営業力次第だ。
 制作物の価格は、ふつう、製造原価に利益を乗せた形(現場的には、原料費+労賃)で算出される。
 が、こま犬は一種の美術品だ。
 と、値段は、一気にファンタジックになる。美術品の値段は「欲しいと思っている人間が出せる金額の上限」と、「売ろうとしている人間が欲している金額の下限」が一致した時にはじめて生じる魔法のごときもので、言い換えれば書画骨董および絵画彫刻の値段は「あって無いようなもの」だ。まあ、流通価格という一種の幻ですね。
 美術品でなくても、世に「マニア」と呼ばれる人々が関わっている商品の価格は、女子高生のパンツであれ、アニメのセル画であれ、ガンダムのプラモデルであれ、いずれも製造原価とはまったくかけはなれた水準で取引されることになっている。
 と、問題は、こま犬マニアといったようなものがこの世の中にいるのかということになるが、いるんだろうか? 私は知らない。
 ふつうに考えて、骨董屋は手を出しそうにないし、といって美術品としての価値ははなはだ疑わしい。それに、迷信深い人々の多いあの世界で、盗品の、しかも神社関連モノを好んで競り落とす人間がいるんだろうか?  いないよな。
 ということで結論。
 こま犬は、たぶん、ちょっとお茶目なタイプの青年のアパートの玄関で、来客を驚かせるべく鎮座している。
 私にも、遠い昔、そういう友人がいた。
 工事中の点滅コーンとか、「氷」のノボリとか、薬屋さんの店頭からやってきた(「歩いてきた」と言っていた)カエル君とかが、ところ狭しと展示されている酒癖の良くないその男の部屋で、私もずいぶんバカな酒を飲んだ。
 神社には謝っておく。
 犯人はオレじゃないけど。まあ、仲間みたいなものだから。
 こま犬は、じきに歩いて帰ると思う。
 きっと。