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小田嶋 隆の価格ボム!  2005年6月15日号

イラスト・佐藤竹右衛門

小田嶋隆 PROFILE
1956年、東京・赤羽生まれ。早大卒。「噂の真相」の連載コラムを集めた最新刊『かくかく私価時価――無資本主義商品論1997-2003』(ビー・エヌ・ピー新社)好評発売中。

第17回

888億円

萌え市場の市場規模

 『もえたん』が売れているという話はなんとなく聞いていたが、まあ、ネタだろうと思っていた。
 ところがどっこい、売り上げの数字を見てみると、これは冗談ごとではない。私の本なんかとは比較にならない、とんでもなくデカい部数が出ている。しかも堂々のロングセラー。シリーズ化第2弾発売即ランキング入りの赤丸急上昇だ。
 ということは、こりゃ本物なわけだ。
 恐ろしい時代になってきた。
 『もえたん』を知らない人のために、ざっと説明しておく。
 ……といっても、事情を知らない人間には至極説明しにくい事柄の典型ですな。これは。
 だって、萌えない人々は、萌えの感覚がそもそもわからないわけで、とすると、この作業はたとえば鮒寿司を食べたことのない人にその味わいを解説することにも似て、もしかしたら、誤解を広げることにしかならないかもしれないわけだ。
 それに、私自身、「萌え」については、定義は知っていても、感覚は理解できずにいる。萌え音痴。アレですよ。ヒップホップがわからない中年の……まあ、解説してみよう。
 まず、『もえたん』という言い方は、『萌える英単語』の略である。
 つまり、「萌え」と「受験勉強」を両立した画期的参考書です。
 と、ここまできて、依然として謎なのが「萌え」だが、これについては、毎日小学生新聞の解説をそのまま引くことにする。「萌え」を小学生に説明しようとした、毎日新聞社の壮挙に拍手を送りたい。大丈夫か、毎日。
 《「萌(も)え」は芽生(めば)えを意味(いみ)する「萌(も)える」が語源(ごげん)です。アニメやまんが、ゲームの登場人物(とうじょうじんぶつ)に愛情(あいじょう)を覚(おぼ)えることをいいます。アニメなどに強(つよ)いこだわりを持(も)つ「おたく層(そう)」から生(う)まれました。そんな「萌(も)え」を意識(いしき)した書籍(しょせき)や映像(えいぞう)、ゲームの市場規模(しじょうきぼ)が2003年(ねん)で888億円(おくえん)になることが、浜銀総合研究所(はまぎんそうごうけんきゅうしょ)(横浜市=よこはまし)の調査(ちょうさ)でわかりました。―後略》毎日小学生新聞 2005年4月23日
 ……どうだろう。
 語尾がロリなだけで、全然意味がわからなかったという人が半分ぐらいいるんではなかろうか。
 というわけで、誤解を恐れずに短絡することにする。つまり、アレだ。思いっきり乱暴に定義するなら「萌え」というのは、「2次元性愛」ですよ。  子供の頃から漫画、アニメとともに育った人間が、性愛および恋愛の対象としてアニメの絵を選ぶという現象は、これは、実物の萌え青年を見てみないとなかなか理解しにくいことなのだが、事実ではある。
 「え~、不潔ぅー。変態だわ」
 などと、過剰反応しないでやってほしい。萌える青少年の大部分は、単に新種の趣味を持っているというだけで、無害かつ安全な人たちだ。それに、ある年齢段階を過ぎると、多くの萌え青年は、無事通常の助平に成長する(らしい)。
 昨今話題の児童ポルノ禁止法がアミをかけようとしている対象が「萌え」そのものなのかどうかも、実はわからない。というよりも、法案を作っている人たちが、一番理解していないはずなのだが、それはそれとして、「萌え」の周辺には、ロリコン(少女偏愛傾向)、ペドフィリア(小児性愛)、フィギュア萌え族(意味不明)といった近接概念が続々とあらわれていて、さらに事情をわかりにくくしている。
 ちなみに、「日本一萌えに詳しい精神科医」を自称する斎藤環先生は、「ロリとペドの違い」について「ハヤオとツトムの違いだよ(笑)」という、的確なんだか不謹慎なんだかネタなんだかわからない解説をしている。
 ん? 結局何もわからなかった? よろしい。オッケーだ。肝要なのは、理解することではない。「わからないことについては論評しない」ということが、21世紀の人間に残された、唯一の現実的な態度なのだからして。
 てなわけで、萌えについては、「なんだかよくわかんないけど、アニメ絵経由で現実とアクセスしてる連中がいるようだぜ」ぐらいに理解しておくことにしよう。自信はないけど。(笑)