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小田嶋 隆の価格ボム!  2005年11月1日号

イラスト・佐藤竹右衛門

小田嶋隆 PROFILE
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第25回

2323億円(注)

ウォームビズの経済効果予測

 クールビズについて、当初、私は、懐疑的だった。というよりも、はっきり申し上げて、失敗を確信していた。
 かつての「省エネルック」と比べて、ネーミングの点ではずいぶんマシになっているとは思ったし、「半そでスーツ」などという不気味な定番を提示しなかった点で、数層倍進歩していると思った。でも、それはそれとして、最終的にはコケるだろうと判断していた。
 根拠は……ない。
「ファッションという最も個人の自由が尊重されてしかるべき分野において、お役人が指導力を発揮しようとするのは、権力の横暴だ」
 ぐらいに考えていた、ということだ。ええ、青くさい反発です。
 しかしながら、夏が過ぎてみると、クールビズは、どうやら一定の成果をおさめている。
 うむ。私の予断は間違っていた。
 おそらく、「ファッションという最も個人の自由が尊重されてしかるべき分野」という前提の立て方が、そもそも教条的だったのだろう。落ち着いて考えてみれば、ファッションが自由だなんていうのは建前、ないしは願望にすぎない。
 ビジネスファッションに限って言うなら、それは不自由の極みだ。というのも、ビジネスとは、個人の自由を制限することではじめて成立している、ひとつの約束事だからだ。
 個人の自由だのといった半可くさい寝言は、わが日本の職場では職務遂行の邪魔にしかならない。個性もしかりだ。そういうものは5時過ぎにスナックのカウンターにでも座って表現してくれたまえ、というのが部長の立場だ。な、そういうことだ、田中君。わかったら髪を染め直せ。
 つまり、「ビジネスシーンにおけるファッションの不文律は、個人の自由とは最も縁遠い場所で決定されている」のだよ。
 背広、ワイシャツ、革靴、ネクタイという、日本の気候風土とはまったく相いれない暑苦しくも窮屈な服装をわれわれがあえて着用していたのは、それが「軍服」だったからだ。
 逆に言えば、そういう「不自由」かつ「画一的」な外面を獲得することによってはじめて、オレたちは「勤め人」という内面を確定できたのであり、軍服という心理的担保があればこそ、サービス残業に甘んじることや、上司の理不尽な説教に耐えることも含めて、あらゆる職場の苦難を受け止めることができたのである。
 それゆえ、
「ネクタイを外す」
 という、クールビズの提言は、お上がどういう意図で言い出したのかにかかわらず、革命だった。
 少なくとも、「規制」なんかでは全然ない。ズバリ「規制緩和」。っていうか無礼講だ。だって、「失礼ながら、お上が外せということですので」と、堂々と脱ネクタイ宣言ができてしまったわけなのだからして。
 そう。クールビズは、ネクタイという、この国の勤め人を長らく縛り付けてきた魔法の首輪を無力化した、実に画期的な労働運動であったのだ。
 おかげで、この夏、日本の職場には、ノーネクタイのだらしない姿が、なし崩しに広まっていった。
 省エネとか、地球温暖化防止効果については、私は知らない。でも、ネクタイをしていない勤め人が醸し出すノターッとした空気が、霞が関あたりから、虎ノ門新橋渋谷新宿にいたる都心全体を雲のように覆っていたことは確認している。それは素晴らしい眺めだった。
 環境省は、このほど、クールビズの成功に気をよくして、「ウォームビズ」という新施策を打ち出した。より暖かい服装で働くことで、職場の暖房を低めに設定することが狙いなんだそうだ。
 なるほど。気持ちはわかる。
 が、ウォームビズが、単なる重ね着推進運動である限りにおいて、それは必ず失敗する。クールビズでノーネクタイに目覚めたおじさんたちは、二度とネクタイ方向には戻れないはずだからだ。
 成功させるためには、クールビズが推進した「ノーネクタイ」方向、すなわち弛緩化→「ジャンパー出社オッケー」→「カーディガン勤務容認」→「ボアスリッパ執務容認」→「ドテラ着用OK」→「ガウン重役登場」→「こたつデスク導入」に向けて展開することが不可欠だと思う。
 もちろん、日本経済にとって、それ(←オフィスの貧乏下宿化)がどう作用するのかは、また別の問題だが。