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小田嶋 隆の価格ボム!  1月1・15日合併号

イラスト・佐藤竹右衛門

小田嶋隆 PROFILE
ホームページ、ブログに掲載中の日記をまとめた単行本『イン・ヒズ・オウン・サイト』(朝日新聞社)が好評発売中。http://takoashi.air-nifty.com/diary/

第29回

62億円

松井秀喜選手の契約金(推定)

 松井秀喜選手の契約が更改された。
 4年契約で、年俸総額は約62億円。換算すると1年あたり約15億円強。ちなみに金額は推定。
 ん? 推定?
 そう。払う側にも、受け取る側にも、正確な金額を明かしたくない事情があるからね。税務署とか国税局とか、そういう人たちがうるさいし。第一、テキの調査が入る前に、こっちから手の内を開けっぴろげにするなんて、愚の骨頂だろ? でなくても、プロ野球は企業の脱税機関……じゃなかった、マネーロンダリング装置……でもなくて、いや、つまり、球団というのは、アレは宣伝費で落とせる赤字なわけで……わかるだろ? 魚心あれば水心。な。初球からド真ん中に投げるのは、そりゃ戦術の放棄ってやつであって、誰がいったい相手の待ってるストレートなんか投げるものかってことだよ。うん。
 といって、新聞を読む側の人々は、せめておおまかな金額ぐらいは知りたいと思っている。で推定。めでたしめでたし。
 ……って、誰が推定したんだ?
 いや、ここは突っ込んではいけないところ。野球選手の年俸は、昔から「推定」というお約束になっている。
 なぜかって?
「夢」だからだよ。ヤボなこと聞くなよ。野球選手は少年たちの夢に応えるためにボールを追っている。断じてカネを追っているのではない。
 だから、更改の席では、
「こんな金額では、野球選手を夢見る子供たちの夢を壊してしまう」
 と宣言してから交渉に入るのが一種の作法になっている。始球式のボールは空振りしておくのが礼儀。阿吽の呼吸。な、そういうものなんだよ、坊や。
 で、その子供たちの夢というのが具体的にどういうものなのかというと、要するにカネなわけだが、ここも突っ込まない。見て見ぬふりをするのが大人。成熟という名の現実。
 さてしかし、引退した選手の本などを読むと、スポーツ新聞による年俸の「推定額」は、「当たっていたりハズれていたり」であるらしい。つまり、非常にいいかげんである、と。
 実際、年俸というのは、一概に○○万円と言い切ってしまえるようなものではない。特に、一流というグレードに分類される選手の報酬は、さまざまなインセンティブ(出来高契約による報奨金)を含んでいて、複雑だ。トレードや引退、故障や不祥事にからむ違約金のたぐいも細かく決められているし、うわさでは、税金を逃れるために(もとい、効率的な納税のために)裏金として支出される部分の金額もあるらしい。
 とすれば、ストーブリーグの定番である、契約更改の話題は、前提からして怪しいわけなのだからして、そもそも論ずるに値しないのではないか?
 ん? 誰も論じちゃいないよ。ネタにしているだけだ。ネタ。寝た子を起こさないための子守歌。
 だから、年俸をめぐる報道も、ネタ元が夢である以上、夢落ちの落語ぐらいなものにしかならない。
 そんなわけで、スポーツ新聞の結論は、
「松井、イチロー超え」
 といったあたりに落ち着く。
 03年、マリナーズと契約更改したイチロー選手の年俸が、4年契約で総額52億円(←推定)であったことにからめているわけだが、っていうか、イチロー以外に比較の対象が見つからないのである。
 ところで、松井秀喜選手の帰国記者会見はなかなかすてきな見物だった。
 さる女優さんとの結婚が取りざたされているなか、松ゴジは少しもあわてず、落ち着いて受け答えをしていた。
 記者もあえて松井を追い込むタイプの質問はせず、会見は、和気あいあいのうちに終了した。予定調和。阿吽の呼吸。始球式の空振りみたいなぬるーいやりとり。
 これは、ジャーナリズムの死だろうか? それとも、現場の信頼感と考えるべきなのだろうか。
 サッカーの中田英寿選手を囲む寒々とした空気と比べて、いずれがより望ましい取材現場であるのか、一度、しっかり考えてみるべきだと思う。
 松井番の記者が中田を取材して、中田担当の記者が松井のぶら下がりをやるとちょうどいいと思うのだが、どうだろう。
 ん? 全員が不幸になる?
 だろうな。
 でも、読者は楽しいかも。(笑)