船橋洋一の世界ブリーフィング

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No.759 [ 週刊朝日2005年10月28日号 ]

米最高裁判事指名に共和党右派が一斉攻撃。ブッシュは父親同様、石もて追われる身になる

 先週、ソウルで朝食をともにした韓国ハンナラ党の有力議員、朴振氏は、The Right Nation(Penguin Press)というタイトルの本を韓国語に翻訳しているところだと言った。

 この本は、英「エコノミスト」誌の米国担当記者2人の共著。昨年の米大統領選挙に合わせるように出版された。右傾化する米国の政治力学、政治文化、政治生理を鋭利に分析しただけでなく、ブッシュ再選を予言した形ともなり評判を呼んだ。

 ハンナラ党は過去2回(1997年、2002年)、立て続けに大統領選挙に敗れている。次の07年選挙に負ければ、もう「三球三振、ストラックアウトになってしまう」。せっぱ詰まった気持ちで、保守政党の再生構想を考えていたとき、この本に出合った。

「とくに宗教などの価値や信念、それらのシンボルをどのように政治に取り込むか、しかも、市民をどのように政治プロセスに組み込むか、大いに参考になる」

 そう言った後で、朴振氏は「もっとも、9・11テロとイラクとカトリーナがブッシュ共和党を激しくきしませている。翻訳本が書店に並んだとたんに共和党危機というようなことにならないとも限らないけど……」と言って、笑った。

 米共和党はまだ危機までには至っていないかもしれない。しかし、ブッシュ政権2期目になって、亀裂があらわになってきた。

 ブッシュ米大統領がホワイトハウスの法律顧問、ハリエット・マイヤーズを最高裁判事に指名すると発表したことに対して、共和党右派が一斉に攻撃している。

「縁故主義と弱腰の表れとしか言いようがない」(ネオコンの雑誌、ウイークリー・スタンダード編集長、ビル・クリストル)

「共和党大統領が日和見票を付け加えるだけの最高裁判事人事はもういい加減やめてほしい」(保守派のロビー団体、アメリカン・バリューのゲアリー・バワー代表)

 いずれも、共和党右派の論客として著名であり、影響力も大きい。加えて、ブッシュ政権を熱烈に支持してきたウォールストリート・ジャーナル紙とナショナル・レビュー誌も今度は、批判に回った。まるで、共和党右派の反乱といった様相を呈している。

 マイヤーズはいまや無能の代名詞となったFEMA(連邦緊急事態管理庁)の前長官、マイケル・ブラウンとは違う。

 彼女は、女性として初めてテキサスの大手法律事務所のトップになり、テキサス州弁護士協会の会長もつとめた。この間、知事だったブッシュに認められ、ブッシュの個人弁護士を経てホワイトハウスの法律顧問となった。ブッシュの信頼はきわめて厚く、仲間内では「ブッシュの仕事上の妻」などと呼ばれてきた。

 彼女は、ブッシュと同じ敬虔なキリスト教徒である。ブッシュも「彼女の心の中は私がよく知っている」と太鼓判を押している。戦後もっとも保守的な大統領と言われるブッシュがそう言うのだから、よほど保守的に違いない。

 ところが、共和党右派は納得しない。

 彼女が妊娠中絶に対する考え方を明確にしていないためである。

 妊娠中絶反対(プロ・ライフ)こそが、共和党右派のなかの有力基盤である宗教右翼にとって最大の関心事である。それが彼らを政治に駆り立てている。

 妊娠中絶については、1973年、最高裁が合憲判決(Roe vs Wade=注)を下している。

 プロ・ライフの共和党右派もプロ・チョイス(妊娠中絶容認派)の民主党左派も、最高裁判事の指名に当たって、この問題で踏み絵を踏ませようとしてきた。

 共和党の右派イデオローグが最高裁判事に推挙したい人々はたくさんいる。その多くが巡回判事経験者である。彼らの場合、判決も見解もわかっている。しかし、彼女が判決に加わった過去の判例はない。彼女もまた、レーガンが指名したサンドラ・オコーナーのように「日和見票」になってしまう危険性を彼らは感じている。

 まさにそれゆえに、ブッシュ・ホワイトハウスは彼女を最高裁判事に指名したのではないか、これはホワイトハウスのステルス(隠匿)作戦なのではないか……と彼らは疑っている。

 共和党右派としては過去40年間、保守再生のための知的枠組みづくりを築いてきたという自負がある。ブッシュ家の執事のような弁護士を最高裁判事に起用したことは、彼らと彼らの信じる価値体系を小ばかにしたと受け止めたのである。

 共和党右派はまた、政治的にじり貧状態にあるブッシュが今回、「弱さゆえに安易に(実務中道の人選で)妥協した」(ビル・クリストル)と怒っている。

 ブッシュの支持率は、大統領就任以来、最低の水準に落ち込んでしまった。イラクとカトリーナが響いている。国民のブッシュ不信は、イデオロギーやコネや特権以上に「能力」と「器量」に対する疑問へと向かいつつある。

 ブッシュ政権は次から次へと防戦に追われている。それに伴って、共和党右派の夢は、次々についえていった。イラクは、泥沼。減税は、イラクの戦費とカトリーナの復旧費で、お預け。それとともに、社会保障改革も不発に終わることになるだろう。ブッシュ政権は、小さな政府どころか、大きな政府に肥大化しつつある。この政権はベトナム戦争時のジョンソン政権以来のばらまき財政政権となった。

 右派のいらだちは募るばかりである。それだけに、彼らは最高裁人事だけは民主党リベラルをノックアウトし、完全勝利で飾りたいと願っていた。その気負いと高ぶりを発散する場を与えられなかった。いらだちは内攻している。

 ブッシュは、父親が大統領として犯した過ちだけは繰り返さないように、これまで自らに言い聞かせてきた。

 それは、増税と最高裁判事指名である。

 増税は、「私の唇を読んでほしい」と大見えを切ったにもかかわらず、増税を謀ったとして減税右派の総スカンを食らったこと。

 最高裁判事指名は、ブッシュの指名した中道保守のデビッド・スーターが判事のうち、いちばんリベラルに変身してしまい、宗教右翼を怒らせたこと。

 減税はもはや望み薄である。米国は今後、実質的増税時代へと向かうだろう。

 今回、ブッシュは「彼女の心の中を読んでほしい」と国民に訴えているようでもある。だが、肝心のブッシュがどこまで彼女の「心の中」を読んでいるものか。かつてプーチンと最初に会った際、プーチンの「心の中」を知って心強く思うと天真爛漫に述べた人物の言である。

 下手すると、ブッシュも父親同様、共和党右派に石もて追われる身になるかもしれない。


注 「中絶は憲法で守られているプライバシーの権利のひとつ」と定めたロウ対ウェード裁判。