船橋洋一の世界ブリーフィング

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No.760 [ 週刊朝日2005年11月4日号 ]

小泉首相の靖国神社参拝で、日米韓政策協調はいまや死に体となった

 シアトルで行われた朝鮮半島問題の専門家たちによる国際会議に出席し、こんな光景を目の当たりにした。

 韓国の国際政治学者が、米国務省の高官のほうを見ながら、まくしたてる。

「靖国神社には極東軍事裁判のA級戦犯が合祀されているのですよ。そこに日本の首相が参拝する。ということは、日本はなお、あの戦争を正しかったと思っているということなのです。それなのに、米政府は日本政府に対して抗議もしない。まったく解せません」

 高官への直接の質問ではない。高官もべつに答えない。しかし、いかにも居心地が悪そうである。

 実際のところ、韓国政府は米政府に対して、日本の歴史問題に米国も何らかの意思表示をし、日本に再考を促してほしい、とロビーしている。

 今年の3月、コンドリーザ・ライス米国務長官が訪韓した際、盧武鉉大統領は、会談時間の大半を日本の歴史問題に費やした。

 盧大統領は、機会があれば、日本の戦争観の問題を米国の有力者には訴えるという。

「日本では多くの人々が、先の戦争は帝国主義諸国同士の戦争だったと信じています。私はあの戦争は民主主義対ファシズムの戦争だったと思います」

 あの戦争のうち、日本と欧米諸国との間の闘争と戦争は、帝国主義諸国同士の戦争という側面を持っていた。しかし、日本のアジア諸国に対する戦争は侵略戦争そのものだった、と私は思っている。

 私の見方はさておいて、盧大統領の戦争観は「米国の戦争観にピッタリはまる。そもそもピッタリはまるような歴史観を打ち出し、米国の理解と支持を得ようとしてのことだ」と韓国の友人はちょっと白けたように言っていた。

 日本と中韓両国の間の歴史問題に対しては、米政府が仲介役を果たすべきだとの声もある。

 ただ、米政府は慎重だ。とりわけ、日韓の間の仲介役には慎重である。

「政府部内でも内々に検討してきたが、アジア勤務の長いキャリア外交官は概して慎重論だ。欧州などを担当してきた外交官の場合は、やってみてはどうか、という意見もある」と、東アジア担当の国務省幹部は私に語った。

 彼は、日米韓による協調行動にはさらに慎重論を述べた。

「桂・タフト協定(注1)、38度線分断(注2)など、韓国の人々は米国もまた韓国の植民地化と南北分断の悲劇に手を貸したのだ、と批判するだろう。それに韓国の若者は、米国は朴正煕などの軍事独裁政権を裏で支え、彼らと野合していたと信じ込んでいる。米国はそんなにきれいな役どころにはなれない」

 靖国神社参拝問題のあおりで、北東アジアの安定の枠組みを形作ってきた日米韓政策協調が最近はうまくいかなくなりつつある。

 先に北京で開かれた6者協議の際、公式の日米韓協議はわずかに1度行われただけだった。首相の靖国神社参拝のせいで、日米韓協調はもはや死に体となった。

 ただ、衰退は靖国神社参拝だけによって起こっているのではない。

 その根底には、韓国の自主防衛への情熱と大陸志向の経済、文化、感情の出現がある。その極めつきが盧大統領が口にした「韓国バランサー」論である。

 これは韓国が、中国と日米、あるいは日中の間に入って、バランス役を果たそうという使命感と役割への思いを反映したものだ。

 日中の歴史問題の場合は、少し事情が異なる。

 ロバート・ゼーリック国務副長官はこのほど行ったスピーチ(「中国はどこへ」)の中で、日中歴史問題を日米中3カ国で共同研究してはどうか、と提案した。

 その際、同副長官は「第2次大戦の中国のすさまじい損失を考えると、歴史問題に敏感になるのはよくわかる」と述べつつ、「中国の歴史記述にもかなりのギャップがある」と指摘した。

 ゼーリック副長官はその“ギャップ”の実例として、満州事変(注3)の歴史博物館を訪問した際、中国側は、1931年の満州事変と1945年のソ連の対日参戦を特筆しているが、その間、米国が日本と戦った記述がすっぽり抜け落ちていたという点を挙げた。

 ゼーリックの、歴史問題における「けんか両成敗的な仕切り」に、中国は不快感を隠していない。「中国の歴史問題を日本の歴史問題と同列に置いて論じるのはおかしい」との趣旨を、米政府には内々に伝えた。

「要するに、日中を同列に置くのは、モラル相対主義に陥ることになる、と中国は不満なのだ」と米政府高官は私に明かした。

 米国は中国に対しては罪の意識はない。中国を侵略したことはないし、植民地にしたこともない。むしろ、第2次世界大戦では「反ファシスト戦線」側でともに戦った仲である。それだけに、中国に対しては歴史問題でモノを言いやすい。

 ゼーリック副長官の歴史の共同研究提案は彼の思いつきではない。

「中国はどこへ」スピーチの草案は、事前にホワイトハウスとペンタゴン(国防総省)に配布され、その意見を反映して作成されている。したがって、日米中歴史共同研究構想は、米政府の構想にほかならない。

 もっとも、米政府は、歴史問題の解決のために日中間の仲介役をすることまでは考えてはいない。

 米政府は、日本国内の一部の戦争美化とサンフランシスコ講和条約への挑戦を苦々しく思っており、小泉首相の靖国神社参拝がそうした勢力を勢いづかせるのではないかと懸念している。

 同時に、首相の靖国神社参拝で国際的に日本が“悪い子”になり、中国が“いい子”になることは望ましくないと思っている。モラル的に中国が上で日本が下という受け止め方が広がれば、それは日米関係にとっても好ましくない。

 首相の靖国神社参拝は、中韓両国の神経を逆なでする独りよがりな行為である。同盟国の米国をきわめて居心地悪くさせる無神経な行為である。

 なかでも危険なのは、その底に潜む心理的、政治的な「挑発」の要素である。

 小泉政治は“抵抗勢力”を「挑発」し、それによって自らを引き立たせる「挑発」政治だった。しかし、外交にこの手法を使ってはならない。参拝は外交行為ではないと首相は言い張ってきたが、それは必然的に外交的意味合いを帯びる。

 なぜなら。靖国神社参拝は戦死者への参拝を旨としている。それは、戦争の結果との格闘であり、そして、戦争とは必然的に国と国との間の国際関係の話である。ここでは、「純粋な国内問題」も「心の中の領域」も通じない。


注1 1905年、フィリピンへの米国の既得権を日本に承認させた代わりに、日本の対韓政策を米国が支持することを秘密裏に締結した。

注2 1950年、北朝鮮軍が北緯38度線を越えて南に攻め込み、53年、板門店で休戦協定が調印された。署名した国連軍の実質は米軍で、以後、南北分断が固定化された。

注3 1931年、関東軍が満鉄の線路に仕掛けた爆薬を爆発させ、中国軍の仕業として攻撃した「柳条湖事件」をきっかけに、日本が旧満州を占領した。