船橋洋一の世界ブリーフィング

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No.765 [ 週刊朝日2005年12月9日号 ]

「たとえブッシュ大統領に(靖国神社に)行かないように言われても、私は行く」

 韓国・釜山で開かれたAPEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会合の際の、そしてそれと前後しての首脳外交で、小泉外交の破綻は誰の目にもはっきりした。

 中国の胡錦涛国家主席は、小泉首相と会談することにそもそも関心を示さなかった。「パス」といった形だ。

 韓国の盧武鉉大統領は、小泉首相に対して教科書の歴史記述修正、靖国神社参拝、竹島問題は「韓国に対する挑戦」とし、「日本は過去に戻ろうとしている」との言い方で、抗議に近い憤りを示した。

 ロシアのプーチン大統領は、93年エリツィン大統領訪日時、日ロ間で合意した東京宣言(注1)を文書の形で確認することを拒んだ。ほとんど「コイズミ、相手にせず」といった感じだ。

 とりわけ、日韓首脳会談は、会談冒頭から教科書の採択率をめぐる議論になるという異様な雰囲気だった。

 盧大統領は2004年7月の済州島の日韓首脳会談の席上、「自分の在任中は、歴史問題は公式に争点として取り上げないつもりだ」と大見えを切ったが、その後、首相の靖国参拝で裏切られたという気持ちがある。

 一方、首相のほうも、盧大統領が一度は「取り上げない」と言っておきながら、その後何度も蒸し返すことに不信感を募らせているようだ。今回の会談では最後のところで「もういいか」という首相の表情があらわになったと会談に出席した一人は漏らしている。どうやら切れてしまったようだ。首相は、盧大統領に訪日を要請しなかった。

 中国、韓国、ロシアの小泉首相に対する深い不信感と対日強硬姿勢は、相互に連鎖して生じている。

 日韓関係が悪くなると、中国は歴史問題で中韓共闘を図ろうとする。ロシアは、中韓両国から疎まれる日本の足元を見透かして、日本に強く出る。

 日本が世界からかくも惨めに孤立する姿を見るのはいつ以来だろうか。

 太平洋戦争突入以降は別として、それ以前では松岡洋右の国際連盟脱退演説以来ではないか。

 アジアから拒否されればされるほど、小泉首相は米国一辺倒になる。

「日米関係がよければよいほど、中国、韓国、アジア諸国をはじめ世界各国と良好な関係を築ける」

 首相は、日米首脳会談でも、会談後、記者団に対しても、そう言った。

 そうなら結構なことだが、実際はそうではない。

 それも、そうではないようにした最大の要因は、首相の靖国神社参拝である。

 米国政府内に、首相の靖国神社参拝に対する懸念が出始めていることはこのコラム(10月7日号)で指摘した。そうした米国の懸念はその後、さらに強まりつつある。

 ブッシュ大統領は今回、小泉首相に日中関係についてただしている。何とかしてほしい、というメッセージを伝えようとしたものだ。

 米国は、歴史問題で日本が孤立し、東アジアで日本の外交力と影響力が殺がれることを望んでいない。

 中国の大学教授からは次のような声が上がった。

 このままいけば、日本が信頼できない国であり、指導的な立場には立てない国であるというイメージを独り歩きさせる恐れが強い。日本がそうなればなるほど逆に中国は信頼できる国であり、指導的立場に立つ国であるというイメージが膨らむ。米国のアジア最大の同盟国のそのような信用力の崩落は、中国の将来に不安を持つ米国にとって好ましいことではない。

 次に、韓国内の反日感情を一段と高め、韓国を中国寄り、ひいては中国勢力圏に追いやる危険性がある。

 今回、釜山で行われた中韓外相会談は「小泉首相の靖国神社参拝を許さない」との共同の立場を誇示した。

 日韓が修復不可能に陥り、韓国が中国に深く融合していくようだと、中韓対日米という“陣営”に分化する危険性がある。

 今回、胡錦涛主席はソウルで中韓首脳会談に臨んでから、ブッシュ大統領は京都で日米首脳会談をこなしてからそれぞれ、釜山のAPEC首脳会合に出席した。そうした“陣営”的な気分が早くも漂っている。

 また、ロシアは、プーチン訪日に先立ち、中韓両国に対して日本に歴史問題で強く当たるよう背後で促すなど、機会主義的な動きをしている。中韓連携、そこにロシアが加わる中韓ロ連携は、米国のアジア政策にマイナスになりかねない。北朝鮮の核開発放棄のための6者協議ではもう中韓ロ連携が芽生え始めている。

 もう一つ、米国は、長期的な米中間の覇権闘争とソフトパワー競争は不可避と見て、人権と民主主義をより前面に立て、中国を牽制しようとしている。それは今回のブッシュの理念外交によく示されている。その際、米国はアジア太平洋の民主主義諸国との間で「有志連合」を形成したい。なのに、もっとも頼りにする「同志」である日本が歴史問題から「異質な国」と烙印を押されるのは困る。

 A級戦犯を祀る靖国神社への参拝が極東国際軍事裁判(注2)否定論につながりかねないことも警戒している。

 首相は、日米首脳会談で、靖国神社参拝に対する中韓両国の批判が的はずれであると長々と述べ、その上で、「たとえ、ブッシュ大統領に(靖国神社に)行かないように言われても、私は行く」と述べた。それに対しブッシュ大統領は、「私はあなたに行くなと言うつもりはない」と答えた。

 米議会のなかには、首相の靖国神社参拝に対する非難決議をすべきだとの意見も出始めているようだ。

 米国に「ノー・モア・ヤスクニ」と言われたとき、日本は四面楚歌となる。その可能性はゼロではない。

 首相は、かつて師と仰いだ福田赳夫元首相が東南アジアとの間で進めた「ハート・トゥ・ハート」外交をどのように考えているのだろうか。

 福田首相は1977年8月、東南アジアを歴訪した。その折、マニラで演説し、(1)日本の軍事大国化の否定(2)広範な分野での「心と心の触れあう相互信頼」(3)ASEAN各国の連帯と安定強化への積極的支援とインドシナ3国との相互理解の醸成、を日本の新たな外交方向とすることを謳った。

 1974年の田中角栄首相の東南アジア訪問の際ジャカルタなどで起こった反日暴動を契機に、対東南アジアへの日本のプレゼンスのあり方を反省し、外交を全面的に見直し、謙虚な姿勢と相手の立場に立った視点と共感を踏まえた外交を打ち出したのだった。

 以来、日本の東南アジア外交は安定し、ASEANの関係も深まっていった。

 いま日本に必要なのは、東アジア、なかでも東北アジアに対する「ハート・トゥ・ハート」外交である。


注1 93年にエリツィン大統領と細川首相が署名。四島の「帰属に関する問題」を解決し、平和条約の早期締結で合意。

注2 日本がサンフランシスコ講和条約締結の際受け入れた、侵略戦争の責任を追及した裁判。