船橋洋一の世界ブリーフィング

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No.767 [ 週刊朝日2005年12月23日号 ]

ベルギー人女性のイラクでの自爆テロは、「文明の衝突」を西欧社会に内蔵させる兆しか

 イラクの自爆テロの犯人が、ベルギー人の白人女性だったことがわかり、欧州に大きな衝撃を与えている。

 11月9日、イラク・バクバの米軍の警備兵の前で白人女性が身につけていた爆発物が爆発し、彼女は即死、米兵の一人が負傷した。自爆テロを狙ったことは明らかだったが、失敗した。

 女性の名前は、ムリエル・ドゥゴク(38歳)。シャルルロワというベルギーの石炭・鉄鋼地帯の生まれで、工場労働者の父親と病院の事務職の母親はカトリック教徒である。

 ムリエルは高校を卒業後、地元のパン屋で売り子として働いた。

 当時の上司は、彼女が昼食時によく姿を消してしまうので調べたところ、ドラッグにやられていることがわかったという。

 彼女は、地元のモーターサイクル・クラブである「アパッチ」にも所属していた。彼女が憧れていた兄がそのクラブの有力メンバーで、彼女は単に兄の後にくっついていっただけだったかもしれない。ところが、彼女が20歳のとき、兄が交通事故で死亡した。

 彼女は打ちのめされた。

 「お兄さんじゃなくて、私が死ねばよかったのよ」と彼女が泣きじゃくりながら話すのを聞いた隣人もいる。

 そこから、ムリエルの彷徨が始まった。

 年上のトルコ系の移民と結婚した。彼がベルギー国籍を取るために彼女を利用しただけだったかもしれなかった。2年後、離婚。

 レストランで働きながら、次から次へとボーイフレンドを変える荒れた生活を続けた後、アルジェリア系の男性と結婚した。そのうち、彼女は頭にスカーフを巻くようになった。

 この男とも別れた後、モロッコ系のイサーム・ゴリスと結婚した。ゴリスは、父親がベルギー人、母親がモロッコ人だったが、彼はベルギー警察から過激イスラム分子として監視されていた。

 ムリエルは、モロッコとベルギーを行ったり来たりする生活となった。ベルギーでは、ブリュッセルの移民街の1DKのアパートに住んだ。部屋の持ち主は、彼女が失業保険で食いつないでいたと証言している。

 彼女は、頭から足まですっぽりかぶるブルカを身につけるようになった。

 両親の家に帰ると、ビールを飲まないように、テレビを見ないように、男性と女性は別々に食事をするように、とこまごまと説教するようになった。

 最初、ムリエルが夫と里帰りしたときのこと、彼はムリエルの母親と会うと、家を通り抜けて、そのまま裏庭まで行ってしまった。

 「ムスリム以外の女性と話をするのは耐えられない」と彼は言ったという。

 イラク戦争後、ゴリスはザルカウィのテログループの呼びかけに応じて、イラクでの“聖戦”に参画する欧州のイスラム教徒のリクルート事業を行った。

 ゴリスがイラクに潜入したことを突き止めたベルギー警察は、2人の行方を追ったが、わからなかった。

 自爆後、米軍は彼女のパスポートを現場から発見し、彼女が犯人であることを確認した。

 その同じ日、ゴリスも体に爆発物を巻き付け、自爆テロを試みたところで、射殺された。

 ベルギーの警察は、ベルギー国内でゴリスが所属していたイスラム過激派のネットワークを一網打尽にしようとしたが、フランスのラジオ局がムリエルの自爆テロ事件を報じたため、高飛びされることを恐れて、急遽、14人を逮捕した。その後、5人を除いて全員、釈放した。釈放された中には18歳のベルギー人女性も含まれている。彼女もまた、イラクに行くよう説得されていたことが判明した。

 ムリエルの母親は、「西欧女性が自爆テロ」の報道を聞いたとき、娘ではないかと直感した、警察が家にやってきたとき、やはりそうだったかと思った、と言う。

 彼女は地元紙のインタビューで、「こんな死に方をするなんて……彼女はムスリムよりもっとムスリムになってしまった。彼女を操った人々が憎い」と答えている。(事実関係は、英BBC=12月2日、英インディペンデント紙=12月2日付、米ニューヨーク・タイムズ紙=12月6日付=などの報道によった)

「ムスリムよりもっとムスリムになってしまった」

 この母親の言葉は、酷くも真実を衝いている。

 王より王党的、という表現があるが、往々にして改宗者や転向者はより原理主義的、より過激になる傾向があることはよく知られている。仲間に同じ仲間であると認められたいという気持ちが人一倍強いからである。

 自爆テロの場合、犯人は、身内やお世話になった人や尊敬する人が殺されたことに対する復讐を誓って犯行に及ぶことが多いと言われる。女性自爆テロの場合、その傾向がさらに強いという研究もある。イスラムに改宗して家族と社会から孤立すればするほど、アウトサイダー的な男に依存していく。テロ組織に関係している男もそのなかにはいる。そして、彼が殺された場合、彼女たちは「復讐する権利」を行使する情熱に駆られる、とテロ専門家、リチャード・ミニターは語っている。

 現在、イスラムの男性と結婚した欧州の女性が世界最大のイスラム改宗者層となっている。

 フランスの有名なテロ専門家であるジャンルイ・ブリュギエールは、「欧州の女性がイスラム過激派にリクルートされる危険がある」「なかでも、女性のイスラム改宗者がこれからは欧州にとって大きな脅威になるかもしれない」とつとに警鐘を乱打していた。

 恐ろしいことだが、イラクの自爆テロの氾濫を見るにつけ、サミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』が、ある種の黙示録に見えてくる。

 その論旨の粗っぽさもものかは、米国のイラク戦争という“聖戦”が論理の穴を埋めてしまったのかなと思ったりもする。

 イスラム教に改宗した西欧の白人女性が米軍と西欧に対して自爆テロを仕掛ける──もし、そのようなことがこれからも続けば、イスラムに対する西欧キリスト教社会の恐怖心は制御不可能になる危険性がある。

 すでにその兆候は、欧州社会で顕著になってきたムスリム系社会の疎外と差別と断絶によって、鋭く意識され始めている。

 しかし、白人女性の改宗者というジハディスト(イスラム戦士)の登場は、目に見えない「内なる敵」を社会が抱え込むことになる。それによる恐怖感は目に見える「アラブ系の男」に感じるより、はるかに大きいだろう。「文明の衝突」を内蔵してしまう恐ろしさ、を私は言おうとしている。

 ほとんどのイスラム教徒は穏健中道であり、自爆テロはごくひと握りの過激分子の仕業である。

 ただ、頭ではわかっていても、心が言うことを聞かなくなる。それが怖い。この事件は、その分水嶺となるかもしれない。