船橋洋一の世界ブリーフィング

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No.769 [ 週刊朝日2006年1月6-13日号 ]

新年を迎え、心機一転。〈日本外交レインボー・ブランド〉を提唱する

 戦後60年が、ようやく終わってくれる。

 戦後の日本外交にとってもっとも惨めな年が、ようやく過ぎ去ってくれる。

 先達が営々と築いてきた対中、対韓外交の足場が音を立てて崩れていった。日本外交はゼロから出直しである。

 そこで、新年を迎えるに当たり、心機一転、日本外交の新たなブランドを構築するための見取り図を描いてみたい。

 それには、戦後の日本の歩みの中から、普遍的な価値を持ちうる経験と理念を抽出し、それを外交力に結集させることだ。

 それらを結晶化させれば日本外交のブランドをつくれる。それぞれが光を発する多面体のブランドである。その力を以下の七つに絞り、それを日本外交レインボー・ブランドと名付けよう。

◆経済・技術力
 日本のパワーの源泉が、経済力と技術力であることは今後も変わらない。ITもネットもマネーもサービスもそれぞれ大切だが、日本は依然としてモノづくり大国とR&D(Research&Development)大国であり続けるだろうし、その経験と蓄積を大切に生かすべきである。モノ・技術と情報、ネット、カネが、ますます相互依存関係になっていく。モノづくりとR&Dの強さが逆に、IT、ネット、マネー、ソフト面での強さへとハネ返っていく。そうした相乗効果をどのようにしたらよりよく発揮できるかを国家戦略として考える。

◆民生力
 民生力(civilian power)とは、市場、海外投資、経済援助、技術支援、人づくり・国づくり支援、教育・知的交流、PKO(平和維持活動)などの非軍事的な面で経済成長、経済発展の基盤をつくり、国際平和の礎を築き、国際ルールをこしらえていく使命と役割を果たす力である。日本は戦後、このような民生力を湛えた国として進化してきた。それも、世界規模でのODA(政府の途上国援助)、FDI(海外直接投資)、PKOによって、世界民生力(global civilian power)を作り上げてきた。G8メンバーであることは、その具体的な一つの表れにほかならない。

◆地域安定力
 いまの日本の中国と韓国との関係のささくれ立った状態を考えると、日本に地域安定力があるとは到底思えない。それだけに、日本のアジアとの多様な水脈をもう一度、再発見することが必要だ。戦後に、賠償、正常化、経済協力、和解と徐々に積み上げてきたアジア諸国との信頼回復の歩みを維持、発展させるべきだ。

 東アジア共同体づくりに向けて日本が果たすべき役割は大きい。このほどワシントンでロバート・ゼーリック米国務副長官と政策協議をした中国の戴秉国外務次官は、「日本は開発面でいろいろなアイデアを持っているのが強み」と述べたという。

 もちろん、日米同盟が日本の大きな強みであることは間違いない。それは20世紀に日本が手に入れた最大の外交資産といっても過言ではない。しかし、日米がそれに独占的、排他的に立てこもるのではなく、アジアのための安定力として地域協力を促すために役立てるべきだ。日米同盟を維持、進化させつつ、それをアジアの多角的地域協力と結びつける、つまり、アジア力と同盟力を結びつける。それができれば確固とした地域安定力を持つことができる。

◆文化力
 ソフト・パワーのうち、最大の力は文化力である。その国の文化を見て、まぶしいなあ、まねたいなあ、学びたいなあ、と世界が感じるかどうか。そのように感じてもらえれば、それは立派な文化力である。文化力とは与える力である。地中海の諸文明の盛衰と交差の歴史を研究したフランスの史家、フェルナン・ブローデルがいみじくも述べたように「与えるものが、優勢になる」のである。文化、文明は「与えるが勝ち」なのだ。柔道、相撲、アニメにとどまらず、日本は世界にもっとよく与えることができる。与え方の芸を身につけることだ。

◆海洋・森林力
 日本は世界に冠たる海洋大国であり、森林大国であるが、そのことを私たち日本人は忘れがちである。日本は国土面積は37万平方キロメートルだが、領海・経済水域の合計は447万平方キロメートルで国土の10倍以上の広さとなる。日本は世界有数の海域大国なのである。しかも、太平洋、日本海、東シナ海、オホーツク海の文字どおり四海に囲まれている。

 これほど、海の幸のお世話になっているのに、日本が世界とアジアの海洋保全と海洋秩序に主導的な役割を果たしたという話はついぞ聞かない。もったいない話である。森林にしても同じことだ。これほど立派な森林を受け継いできたのに、土建・コンクリ国家建設に邁進してきたため、疲弊させてしまった。それに労働力不足が加わって、森林の保全と管理に手が回らなくなっている。21世紀の大国の風格は、見事な海洋と森林を持つ国かどうか、で決まる。海と森の力は、両方相まって、よりよく引き出せる。「森は海の恋人」(注)なのである。

◆共感力
 80年代に「おしん」がアジアであれほどヒットしたのは、アジアの人々が「おしん」に自らの生きる姿をダブらせることができたからだった。そのように日本はちょっと前まで開発途上国だった。非西欧の一角から苦労し、苦学した「遅れてきた青年」だった。

 そうした日本への共感を聞くことはいまではほとんどなくなった。時たま、ワシントンでエチオピア人やナイジェリア人やバングラデシュ人のタクシー運転手が、見事に“離陸”した日本へのあこがれを語る。

 むしろ、日本の私たちが、それらの開発途上国の人々の境遇と挑戦への想像力を持ち、相談に乗るという共感力を研ぎ澄ますことが必要だ。その素地はいまなお日本人にはあると私は思う。その関心をもっと専門的、実践的、国際的に高め、役立てる方法論とネットワークを確立するときだ。

◆融合力
 サミュエル・ハンチントンの「文明の衝突」が9・11テロ後、部分的に現実の脅威となりつつある。それは米国とアラブ世界の間の不信と反目、西欧社会におけるムスリムの反乱と反逆に、もっとも鮮烈に表れている。

「文明間の対話」は、21世紀の世界政治においてきわめて戦略的な課題となってきた。

 日本は、古くから文明の交差点──あるいは吹きだまり──に位置し、諸文明の滋養を適当な時差を置きながら吸収してきた。文明の融合力の冴えを発揮してきた。21世紀、日本文明は、米国文明と中国文明のはざまに置かれる。それをも持ち前の融合力でうまく調合する柔軟性を維持したいものである。そうした日本は「アジア太平洋フュージョン(融合)」の貯水池ともなるだろうからである。

 七つの力は、顕在力と潜在力と、さまざまである。それらをレインボー・ブランドにするには、それを再発見し、その力を発揮する意思と覚悟が要る。


注 『森は海の恋人』(畠山重篤著、北斗出版)