船橋洋一の世界ブリーフィング

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No.771 [ 週刊朝日2006年1月27日号 ]

テロと反テロの灰色の領域を描いたスピルバーグの「ミュンヘン」は、9・11テロ後の米国の対テロ戦争に対する懐疑を表している

 スティーブン・スピルバーグ監督の「ミュンヘン」を見た。

 1972年のミュンヘン・オリンピックの際のパレスチナ・テロ集団、「黒い9月」(注1)によるイスラエル・チームの人質虐殺に対する報復として、イスラエル政府は、パレスチナのテロ組織指導者とその黒幕の「殺害リスト」をつくった。

 映画は、モサド(イスラエルの諜報機関、ヘブライ語で「機構」の意)のエージェントだったアヴナーら5人の特攻隊が欧州を舞台にリストのパレスチナ人を一人ひとり暗殺していくさまを描きながら、テロとは何か、反テロとは何か、という問題を観客に突き付ける。

 ミュンヘン・テロ事件が起こってから少ししたある日、アヴナーは、モサドのトップにゴルダ・メイヤー首相(注2)の私邸に連れていかれた。

 そこには、メイヤーとともに(後に首相となる)アリエル・シャロンらが待っていた。

 メイヤーは、宙をにらみながら、語った。

「ユダヤ人を殺すということがどれほど高いものにつくかということを思い知らせてやる」

「これは私の決定です。私がすべてに責任を持ちます」

 そう言って、彼女は部屋を出ていった。それが特殊任務であることをアヴナーは知らされ、その場で志願するよう求められた。

 特攻隊長は、20代のアヴナー。4人の部下は全員、彼より年上だ。ロジ、ドキュメント(偽造パスポート、身分証明書)、爆破、車、それぞれのプロである。

 ヒット・リストは手渡されたが、それぞれの居どころと生活パターンなどの情報を入手しなければならない。アヴナーはある伝手(つて)を通じて、「グループ」と接触することに成功した。

 情報は、カネ次第である。

 そうやって一人ひとり始末し、7週間で5人を暗殺した。

 このころから、アヴナーたちは恐怖感にとらわれるようになった。アヴナー自身も尾行されていると感じるようになった。

 ある朝、一人の隊員がホテルの部屋のベッドの上、至近距離で射殺されていることがわかった。

 その恐怖感は反テロ作戦の「不毛」さという言いようのない消耗感に裏打ちされていた。

 このような反テロをどれほどやっても、相手のテロはやまない。自分たちのしていることは果たして、テロに対する抑止力を生んでいるのだろうか。

 続いて、爆破とドキュメントの専門家2人が不審死を遂げた。残った2人だけではこれ以上、活動を続けることはできない。

 アヴナーは足を洗うことを決意する。しかし、「機構」はそれを許さない。「機構」は彼の情報源を明かすよう執拗に迫った。彼に支払われた報酬も銀行口座から一切、引き揚げた。

 アヴナーは、同じくモサドのエージェントだった父親と、そのために苦労してきた母親が別々に彼に言った言葉をかみしめることになる。

「組織では、とことん働け。優等生になれ。しかし、自分の手の内をすべて見せてはいけない。カードを一枚は隠しておくことだ」

「イスラエルが自分の国を持っているということ、それが何よりの報酬よ」

 アヴナーは「グループ」の存在を最後まで秘密にしたまま、無一文で国を後にした。

 米国では上映開始とともに、ユダヤ人社会や右派から猛然とした映画批判が起こった。イスラエルでも攻撃が始まった。

「パレスチナのテロとイスラエルの反テロを道徳的に同列に置くものだ」

「イスラエルの反テロは、国家の生存のためであり、それを道徳的にうんぬんするのは、国民の生命と安全に責任を負わない連中のすさび事にすぎない」

 イスラエル政府はこの特攻隊の事実をそもそも公式には認めていない。

 しかし、こうした批判は過剰反応というものだろう。

 イスラエルは、反テロ作戦では無差別攻撃を禁止している。パレスチナの無差別テロとは一線を画す意思の表明である。その点は映画でもくどいほど強調されている。一緒くた論は当てはまらない。

 しかし、スピルバーグは、反テロがテロの予防に役立つとするテロ抑止力論とテロの「絶対悪」を退治するのは「善」であるとする善悪論を退けている。

 それは、9・11テロ後の米国の反テロ戦争の不毛さに対する懐疑の表れでもある。彼は30年以上前のイスラエルの反テロ戦争を題材にいまの米国の反テロ戦争への疑問を提起しているのだ。

 それだけに、米国の右翼から攻撃されるのであろう。

 テロ絶対悪論者は「戦争と戦争犯罪は違う。それと同じように、テロと反テロは違う」と言う。

 それはそのとおりである。

 私もテロは「悪」であると心から思っている。

 しかし、それは反テロがそのまま「善」であることを保証しない。往々にして反テロはテロとおぞましく相似していく。「悪」に対して戦い方次第では自らも「悪」となる危険もあるのだ。

 それから、仮にそれが正しくとも、それによって平和がもたらされるとは限らない。

 平和は、正義を説くだけでは、また、それを実践したとしても、それだけではやってこない。

 持続的な平和は、相互の信頼と和解がなければ生まれない。それらは正義によって代用される概念ではない。

 イスラエルの生存戦略にとって憲法とも言うべき思想が、「目には目を 歯には歯を」(注3)である。

 この言葉は、トーラー(注4)に3回、出てくるという。

 ガンジーは「〈目には目を歯には歯を〉では、世界は盲目になる」と言った。ガンジーの精神は気高い。ただ、そのような文明観が、アルカイダに通じるだろうか。

 アヴナーは映画の原作,『報復』(注5)の2005年版に序文を寄せ、「われわれの道徳律は、テロリストにはさほどの力は及ばない」と述べつつ、当時を振り返る。

 「自分がやったことを悪いとは思っていない。あのように国に奉仕したことを誇りに思っている。しかし、われわれがテロを食い止めることができたとは思わない」

 「それは適切な対応だった。しかし、それは解決ではなかった」


注1 PLOの最大派閥ファタハが結成した秘密テロ組織。ミュンヘン・テロの前年には、カイロ訪問中のヨルダン首相を暗殺した。

注2 イスラエルの第4代首相。ミュンヘン・テロへの対応を決める極秘委員会の共同議長として、テロリストの暗殺を決断した。

注3 ユダヤ教が唯一の教典とする旧約聖書は、古代バビロニアのハンムラビ法典の流れを受け継ぎ、報復を肯定している。

注4 旧約聖書の最初の五つの書である「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」の総称。

注5 Vengeance:The True Story of an Israeli Counter-Terrorist Team(George Jonas, Simon&Schuster Paperbacks, 1984)