船橋洋一の世界ブリーフィング

船橋洋一顔写真

No.775 [ 週刊朝日2006年2月24日号 ]

「島」から「橋」へ、「中東のCNN」から「世界のアルジャジーラ」への跳躍を夢見る小国カタールの挑戦

「あなたのいま立っていらっしゃるそこに、ムバラク大統領も立って、見学したんです。当時はここがニューズルームでした。そして、彼は隣の情報相に向かってこう言ったんです。こんなマッチ箱のようなのが、アラブ社会を振り回しているのか、って」

 カタール・ドーハ(注1)のアルジャジーラ本部を訪れたとき、編集最高責任者のワダ・カンファル常務理事はそう言って、笑った。

 いま、この部屋は、今年アルジャジーラが立ち上げる予定の全世界向けの英語放送、「アルジャジーラ・ワールド」(仮称)の訓練センターとなっている。

 アルジャジーラは24時間ぶっ続けの現場からのライブ報道を特徴とするアラビア語のテレビチャンネルである。「中東のCNN」などと呼ばれる。産声を上げたのは1996年。

 インティファーダ(注2)や、9・11テロ後のアフガニスタン戦争、さらにイラク戦争の報道など他の追随を許さない強みを発揮し、アラブ諸国では、もっとも人気のある、そしておそらくもっとも頼りにされるテレビチャンネルとなった。

 イラク戦争が起こったとき、カンファル氏はバグダッド特派員をしていた。

 サダム・フセイン政権が崩壊し、米軍がバグダッドに入城してきたときのことを鮮明に覚えている。

「われわれが泊まっているバグダッドのホテル前に、イラク人が100人以上、並んでいた。みんなアルジャジーラの記者がホテルから出てくるのを待っていたのです。誰もが訴えたい話を山ほど持っていた」

 サダム・フセイン政権下、バグダッド支局を置いたものの、気に入らない報道があると直ちに国外追放処分を受けた。

 米国では、こうしたアルジャジーラの戦う姿を見て、アラブ社会民主化の革命的な担い手の登場、との期待が強まった。

 しかし、9・11テロ後、とりわけイラク占領後、ブッシュ政権はアルジャジーラを目の敵にした。

 アルジャジーラが、オサマ・ビンラディンの反米メッセージを含んだテープを流したこと、さらに、開戦直後、米兵捕虜の映像を映したことを怒り、恨んだ。

 9・11の2カ月後にアルジャジーラのカブール支局が、空爆された。イラク戦争時、今度はバグダッド支局が空爆され、記者の一人が死んだ。米政府は否定するが、アルジャジーラの記者たちは、ブッシュ政権の意図的な警告だったと信じている。

 だが、米国もイラクでの心理戦ではアルジャジーラを使う以外ない。ラムズフェルド国防長官や軍首脳が次々とインタビュー番組に出演した。ただ、それは“必要悪”といったとらえ方だった。

 米軍占領下、イラクでの取材は、米軍によって規制された。

「軍のチェックポイントでアルジャジーラの記者だと名乗ると、通してもらえませんでした。ブレマー(注3)のところに行くと、これからは表現の自由なのだからどんどん取材してくれ、と言うのですが、現場では全く別のルールができていました」(カンファル氏)

 イラク人の政府が誕生したいまも、アルジャジーラのバグダッド支局は閉鎖されたままである。

「常駐記者を置けないので、イラク全土に102人の特約記者を雇っています。どの市もどの村もうちの特約記者が一人はいます。小さなデジタルビデオカメラと衛星回線を持たせ、映像を撮ってもらっています」(カンファル氏)

 アラブ諸国の政府も、反テロ戦争の口実の下に、アルジャジーラの支局を閉鎖するなど、弾圧を始めた。サウジアラビア、エジプト、イラン、ヨルダン、パレスチナなどでは支局が認められていない。

 こうした国々には必ず情報省がある。権力が情報をコントロールしている。人々は情報省の情報は信用しない。アルジャジーラの出番である。アルジャジーラの成功は、中東各国の統治の失敗の表れでもある(カタールは、アルジャジーラの開設とともに情報省を廃止している)。

 米国内のアルジャジーラ敵視はなお強い。米国在住のアラブ人知識人、ファウド・アジャミ氏はアルジャジーラは「反シオニズム偏見と、イスラエルとパレスチナの反目をさらにあおる結果となっている」と批判している。

 しかし、カンファル氏は、アルジャジーラは、アラブのメディアの中で初めてイスラエル政府要人の声を放映したことやパレスチナ自爆テロの被害者の家族の声を伝えたことを強調した。

 アルジャジーラは、カタール政府が財政支援するが、経営、管理はしない。いまだに赤字である。中東最大の広告市場であるサウジアラビアが、同国企業がアルジャジーラに広告を出すことを禁止しているのが痛い。

 カタールにとって、サウジが前門の虎とすれば米国が後門の狼ということになるだろうか。

 カタールは、米軍にアルウデイド基地を提供している。米国との関係は、湾岸小国のカタールにとっては命綱なのである。アラブの大衆に支持されるアルジャジーラだが、米国との関係も念頭においておかなくてはならない。

 アルジャジーラとはアラビア語で「島」を意味する。アラビア半島の一角から他のアラビア世界に広がる海洋に向けてメッセージを出す情報発信基地をイメージした。これからは「橋」、つまり懸け橋を使命としたい、とカンファル氏は言った。

 アルジャジーラ・ワールドを開設するのも、その東と西の、つまりはムスリム社会と欧米社会の「橋渡し」を担うためである。それとともに、米国との関係を維持したいという願いも込められているだろうか。

 ただ、私は、アルジャジーラの「橋」は、アラブ、さらにはイスラム社会の公共空間をつくるための「橋」という意味が大きいのではないか、とカンファル氏の話を聞きながら思った。

 アルジャジーラは「一つの意見に対してもう一つの意見」を標語に、反対意見、代案・対案、少数意見を意識的に取り上げ、視聴者が多様な視点に慣れ、自分の意見を相対化、省察できるよう心がけてきた。「物事には常に両面がある。そう考えることができれば、宗教や人種に対する寛容の精神を培うこともできると思う」(カンファル氏)という考え方からである。異質の人々、対立している人々、意見の違う人々の間にどのようにして「橋」を築き、公共空間を確かに、また、豊かにするか。

それは、良質のジャーナリズムのもっとも重要な責任といっていいだろう。


注1 1971年、英国から独立。首都・ドーハ。人口約74万。面積は秋田県よりもやや狭い。

注2 イスラエルによる軍事占領に対するパレスチナの民衆蜂起。

注3 ポール・ブレマー。米国のテロ担当大使をへて、イラク戦争後の「米英暫定占領当局(CPA)」の代表を務めた。