船橋洋一の世界ブリーフィング

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No.776 [ 週刊朝日2006年3月3日号 ]

「韓国の潘基文外相が国連事務総長に立候補。応援したいところだが、これだけの課題がある

 韓国の古参外交官から聞いた話である。

 子供の頃、友達と遊んだとき、ある子が「ボクは将来、大統領になるんだ」と胸を張ったところ、別の子が間髪を入れずに「ボクは将来、国連の事務総長になるんだ」と叫んだ。

 仲間の子供たちは、「国連の事務総長になるんだ」と叫んだ子が「勝ち」と軍配を上げたのだそうだ。「韓国ではそれほど国連がすごいものだと思っているのです。国連信仰のようなものがあるのです」

 と彼は言った。

 韓国では1970年代、国連が創設された10月24日の「国連の日」(注1)を祝日としてきた。

 日本から独立した韓国の誕生そのものが国連のおかげ、という考えからだ。

 だから国連に対する思い入れは人一倍強い。

 もっとも、韓国は戦後長い間、国連の加盟国にはなれなかった。

 北朝鮮と韓国が晴れて国連に同時加盟を果たしたのは冷戦終結後の1991年である。それ故にこそ国連信仰が強いということもあるのかもしれない。

 さて、先週、韓国外務省は、今年末で任期の切れるコフィ・アナン事務総長の後任に潘基文外交通商相(注2)が立候補することを正式に発表した。

 すでに、ポーランド、ラトビア、タイ、スリランカなど10カ国近くが名乗りを上げている。

 アジアでは、今回はアジアの番、という期待が強い。

 アジアは3代のウ・タント事務総長(注3)以後、34年間、事務総長を出していない。

 折しも、韓国では潘基文というきわめて有能な外交官が外交通商相を務めている。国連代表部でもワシントンでも働いた経験がある。人柄も温厚である。もし、次期事務総長に選ばれれば、昇龍韓国のさらなる国際的地位の向上に大きな弾みとなるだろう。

 当選するには、国連安保理で多数票を得ること、そして、安保理常任理事国(米中ロ英仏)が拒否権を使わないこと、が必要だ。

 韓国政府は「低姿勢で静かに推進する」方針である。 韓国の外務省高官は、まず、ロシアを落とした上で中国をからめ捕る。米国と日本を口説くのは最後とするとのキャンペーン方式を考えていると言う。

 だが、これからいくつものハードルを跳び越えなければならない。

 誰が次期事務総長になろうが、最大の仕事は国連改革だが、人権委員会の強化もその一つである。

 韓国の泣きどころは、北朝鮮の人権侵犯を正面から批判、告発できないことにある。去年は、人権委員会の決議に棄権した

 米国からすると、このような人権感覚の乏しい韓国の代表を国連事務総長にするわけにはいかない。しかも、米韓関係は盧武鉉政権の誕生後、きしんでおり、韓国に対する議会の感情は芳しくない。

 韓国政府は各国に「米国の支持を取り付けた」とささやいているようだが、米国が韓国を推す保証はない。

 むしろ、米国の意中の国はポーランドかラトビアであると見られている。ボルトン米国連大使は「アジアよりは東欧が先」と公言している。イラク戦争で米国を支持し、派兵したこうした「新しい欧州」を米国は押し出したい。

 一方、ロシアと中国は、東欧からの候補者には拒否感を示している。両国とも国内の人権侵犯が多発しているため、国連が人権委員会のような場で、この問題をしつこく追及することを警戒している。中国の王光亜国連大使は「中国はアジアの候補者のみを支持する」と強調している。

 米国と中国が別々の方向に走ると、韓国は股裂き状態に陥る恐れが強い。

 もう一つ、韓国は北朝鮮の核問題を抱えている。北朝鮮がいまのまま核開発を続けていけば、いずれは国連安保理の経済制裁論を惹起する可能性もある。

 そうなると韓国は厳しい。

 韓国は「準紛争当事国のような存在」(米外交官)という目で見られている。そのような国に国連事務総長を任せておくのがいいのかどうか、その点も議論の対象になることだろう。

 そもそも、韓国は国際社会の中で有力な“地盤”を持っていない。この点は日本と似ている。

 それに比べると、スラキアット副首相を押し立てるタイは、ASEANという地盤を固めている。タイはまた開発途上国で構成しているG77(注4)にも手を伸ばしている。

 韓国はOECD(経済協力開発機構)のメンバーだ。つまり、もはや先進国で、途上国グループに足場はない。しかし、OECDは足場にはならない。

 もっとも、キャンペーンの最大の壁は、韓国の国内政治かもしれない。

 とりわけ、青瓦台(韓国の大統領府)がこのキャンペーンから距離を置いているように見えることである。

 盧武鉉大統領は大使会議に出席したが、その際、「潘外相を当選させることができるかどうかは、あなた方の努力次第だ」と発言した。

 「自分が先頭に立つなどの表現は一切なし。あなた方外交官の仕事と突き放した言い方だった」と韓国の外交官は私につぶやいた。

 タクシン首相自ら陣頭指揮をしているタイとは対照的である。

 それでは、日本はどう臨むべきか。

 日本からこれはという立候補者はいない。残念なことだが、それが現実だ。

 小泉純一郎首相と安倍晋三官房長官は「アジアの番」という考えを明らかにしている。それはそれでいいだろう。では、誰を推すか。

 シンガポールのゴー・チョクトン前首相でも名乗りを上げれば話は別だが──私は彼が最適だと思っている──、そうでない場合、潘外相を推したい。

 バランス感覚のある、良識の持ち主であり、いい仕事をすると確信している。

 ただ、日本の国内では韓国代表を推すことに抵抗感があるだろう。盧政権が、日本の国連安保理常任理事国入りに公然と反対したことを、日本国民は忘れてはいない。

 潘事務総長誕生となれば、日本の常任理事国入りはさらに難しくなるという危惧もある。

 それでも、韓国を推して度量のあるところを示したいという気持ちを持つ国民も多いだろう。ただ、その場合でも、青瓦台がそれを感謝することを期待しないほうがいいかもしれない。青瓦台の中には、潘基文外相が安保理非常任理事国である日本の支持取り付けのために日本に媚(こ)びを売るのではないかと目を光らせている向きもあるという。

 潘外相立候補を支持し、できれば日本の近隣アジア外交立て直しに役立てたいところだが、日韓外交冬の時代、それほど物事、簡単ではないかもしれない。


注1 国連憲章発効の日を国連が定め、1948年から実施。コスタリカが祝日としている。

注2 生え抜きの外交官で、70年代後半から国連の代表部書記官や総会議長秘書室長を歴任した。61歳。

注3 ビルマ(現ミャンマー)国連大使から61年に事務総長代理になり、62年から71年まで事務総長。74年死去。

注4 1964年に設立された世界最大の途上国連合組織。現在、132カ国が加盟。