船橋洋一の世界ブリーフィング

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No.790 [ 週刊朝日2006年6月16日号 ]

米リベラル・アーツ大学の卒業式で、学長が贈った三つのメッセージ

 オハイオ州にあるオーバリン大学の卒業式に行った。

 ここは、東部のアマースト(マサチューセッツ州)、スワースモア(ペンシルベニア州)、西部のクレアモント(ポモナ、マッケナ=カリフォルニア州)などと並ぶ名の知れたリベラル・アーツ大学(Liberal Arts College)である。日本大使を務めたエドウィン・ライシャワー(注1)の母校としても知られる。

 息子が今年、無事卒業したので妻と一緒にワシントンから飛んだ。娘夫婦もロサンゼルスから駆けつけた。

 卒業式典は、午前中いっぱいかけて行われた。祈り(Invocation)、卒業生代表の感謝の言葉、名誉博士号の授与、ナンシー・ダイ学長の卒業生を送る言葉(Remarks)、そしてチリのホアン・グスマン判事の演説(Commencement Address)、最後に卒業証書の授与式と続いた。

 チリのグスマン判事は、ピノチェト軍事政権の人権侵犯犯罪の裁判を担当した。3千人が殺され、3万人が拷問を受けた。それをどのように裁き、どのように出直すか、「真実と和解と正義」をそれぞれどのように関係づけながら、それらを達成するか、をグスマン判事は語った。

 ダイ学長は、「大学で学んだこと、それは物事を複雑に考えるということでした。これからももっと物事を複雑にとらえる(complicate)ようにしてください」と言った。「くれぐれも、ステレオタイプやサウンドバイトの虜にならないように」

 スピーチを聴きながら、二つの発言が印象に残った。

「批判者にとどまらずに建設者になってください」

「狭いコミュニティーの仲間だけのつきあいに満足せずに、広く社会に出て、さまざまな人々と共同作業をしてください」

 そして、彼女は、公共(パブリック)の場での活動、なかでも政治に参画することの大切さを説いた。

 オーバリンは保守的な土地柄にある大学だが――前夜、家族そろって地元のレストランでお祝いをしたが、酒類は一切、出せないとのことだった――、この大学はリベラル色が強いことで知られる。

 私は、ダイ学長の言葉に、いわゆるリベラルの殻を抜け出るようにとのメッセージを読みとった。

 政治的リベラルの輩はえてして批判のための批判に淫し、仲間内だけの独善と自己満足に陥りやすいと感じてきたからである(もっとも、最近ではどの国もむしろ保守のほうに排他的かつ独善的傾向が強まっており、保守のよさである現実主義と寛容の精神が薄れつつあるのが気がかりだが)。

 リベラル・アーツ大学は、中世においては、文法、修辞、論理の言語3分野と算数、幾何、天文、音楽の数学4分野の七つの専門分野(discipline)を教えた大学のことを指した。近代になってからは人文、社会、自然科学を包含した。それはそもそも「自由人にふさわしい(liberalis)」教育という意味だったようだ。職業、技術専門分野のように直接、労働と結びつくのではなく、国家と社会全体を経営、経綸するのに必要な考える術と表現する術を専門にする大学と言ってよい。

 娘の場合は、クレアモント(マッケナ)で、やはりリベラル・アーツ大学だった。ただし、娘の卒業式のときの学長スピーチは申し訳ないが覚えていない。もう12年前の話だが、娘に聞いても覚えていないという。しかし、ダイ学長のスピーチには考えさせられた。

 私は、米リベラル・アーツ大学を中心にいくつかの大学の学長のこの5月の卒業式スピーチをネットで取り出して読んでみた。

 エール大学のリチャード・レビン学長。

「エール大学に在籍することは特権でした。しかし、エール大学の卒業生になるということは責任です」

 レビン学長のスピーチの題は「好奇心、独立、公務」。旺盛な好奇心と独立思考、そして公務(public service=注2)への献身の三つは、今年生誕300周年を迎えるベンジャミン・フランクリン(注3)の特質だったとし、それらの精神がいままさに求められていると述べる。

 レビン学長は、「今年の卒業生の4分の3以上が、入学のときに志望した専攻とは別の専攻を選んだ」ことに触れ、これは旺盛な好奇心の表れであると言う。

 公務への意欲も強い。

「今年の卒業生のうち400人が地元の公共学校のチューターの仕事をした。彼らの多くが2004年の大統領選挙でボランティア活動をした。卒業生のうち100人が去年の夏、ワシントンでインターンの仕事をした」

 レビン学長は、「卒業してからもぜひ、公共問題について関心を抱き続け、公務に参画する志を忘れないでください」と激励した。

 スワースモア大学のアルフレッド・ブルーム学長。

「自分には人を引っ張る能力はないというためらいは、今日を限りに、かなぐり捨ててほしいと思います」

 ウィリアム・アンド・メアリー大学(バージニア州)のジーン・ニコル学長。

「あなた方は、得るものによって生活をすることになります。しかし、与えるものによってこそ人生を全うするのです」

 今年の卒業式スピーチから共通するメッセージをキーワード風に抽出すれば、リーダーシップ、パブリック、そして、イノベーションということになろうか。

 社会を引っ張っていくリーダーシップ、個人の関心と利害を超えた公共の課題への取り組みと参画、そして、現状に満足せず、常識に安住せず、つねに新たなアイデアと実践に挑戦する革新精神をほとんどの学長が説いた。

 アマースト大学のアンソニー・マークス学長は、リベラル・アーツ大学の卒業生たちについて、「社会の中の機能ということで言えば、われわれは精神の起業資本家、教育の起業資本家なのである」と形容した。

 精神の起業家としてのリベラル・アーツ卒業生たれ、と社会に送り出すのである。

 何人かの学長たちが、米国社会の急激な所得格差と教育格差の連関を指摘した。

 米国では、30万人の高校3年生が大学に進学する学力が十二分にあるにもかかわらず進学できないという調査結果がある。

 マークス学長は、かつて卒業式で「そういう学生を探し出して、アマーストはそういう学生を求めている、と触れ回ってください」と卒業生に檄を飛ばしたほどだ。

 最後にニコル学長の言葉をもう一つ紹介したい。

「不正義への鋭い感覚を研ぎ澄まさない限り、正義への鋭い感覚を持つことはできない」

 リベラル・アーツ大学の少数精鋭教育はある種のエリート教育には違いない。

 そうした教育を受けた人材、とりわけ公務を事とする人材にとって、なによりも求められるのは、この感覚であろう。


注1 宣教師の次男として東京に生まれ、1961年駐日大使。退任後はハーバード大学日本研究所長などを務めた。90年死去。

注2 英語のpublic serviceを公務と訳した。公務というとお役人の仕事のような語感があるが、それを官僚に独占させてはいけない。私は、市民がパブリック・サービスに参画することを公務と表現したいと思う。

注3 米国の科学者にして政治家。凧を用いた実験で雷の正体を電気と証明したという逸話は有名。独立に多大な貢献をした。