船橋洋一の世界ブリーフィング

船橋洋一顔写真

No.800 [ 週刊朝日2006年9月1日号 ]

イラク分割も「イラクのイラク化」も困難。イラク内戦のシナリオが見えてきた

 イラク内務省は、新政府の警察官の制服をこの秋から模様替えすると発表した。

 これまでは、くすんだ緑色のカムフラージュだったが、それを青と白の2色のメリハリの利いた色彩とし、さらにそれをデジタル文様に分解する。よく見ると、それは新しいイラク国旗のように見える。

 それを記したイラク多国籍軍のウェブサイトを読むと、この色柄は何のことはない、米陸軍の軍服のパターンをまねたものだという。

「肝心なことは標準化すること」という点が強調されている。

 当たり前と言えば当たり前の話だ。制服が「標準化」していなければ、制服ではありえない。

 ところが、イラクではその常識が通用しない。

 現在、軍にしても警察にしても、ニセの制服がものすごい量、出回っている。

 同じようなカムフラージュの制服を身につけているため、軍人なのか、民兵なのか、私兵なのか、ボディーガードなのか、ギャングなのか、テロリストなのか、わからない。

 そういう次第で、どこも仕立屋は商売繁盛なのだという。

 サダム・フセイン時代は、軍服と警官の制服はそれぞれ1種類と決まっていた。それを受注する店も地方ごとに決まっていた。

 しかし、サダム・フセイン政権崩壊半年後あたりから、どの仕立屋にも、カムフラージュの軍服や警官の制服の注文が舞い込むようになった。最初は、裏口でこっそりやっていたが、そのうちどこもおおっぴらにやるようになった。

 そこで、内務省は青と白の制服によって「標準化」を図り、良貨で悪貨を駆逐することにしたものだ。

 しかし、その逆に、悪貨が良貨を駆逐するおそれも強い。

 ニューヨーク・タイムズ紙の記者がサドル市のシーア派地区で仕立屋をしているアリ・ムハマド氏(22)に「新たな制服が出たら、それをコピーするのにどのくらい時間がかかりますか」と尋ねた。

 答えは一言、「1日」。

「ボクがつくった制服が何のために使われるのか知らないが、何か、悪いことに加担している感じもしてね……」と、ムハマド氏はちょっぴり罪の意識をのぞかせてみせる(ニューヨーク・タイムズ紙8月3日付)。

 制服が確立できないイラクの現状は、治安が確立できないイラクの惨状を映し出している。

 イラクでは6月以来、毎月、3千人以上のテロなどの暴力による死者が出ている。毎月、9・11テロ並みの犠牲者が生まれている。

 米国は最初は、外から入ってくるアルカイダのテロリストを警戒していたが、そんなのは古き良き時代の話となった。

 いまでは、イラクは、世界最大のテロリストの温床であり訓練場であり隠れ家となった。そこから外に出るテロリストを取り締まらなければならなくなった。

 テロの形態も、米国文明殱滅を掲げた狂信的イスラムテロより、シーア派対スンニー派、さらにはクルド人対スンニーアラブなどの宗派的・民族的対立、さらには部族間対立が絡み、複雑このうえない。

 自由選挙や言論の自由の導入といった拙速な民主化が、それをさらに悪化させている。

 自由選挙の成果であるはずのイラクの新政府は、二つのシーア派宗教政党の連合だが、いずれも、シーア派中核政権であるイランとの関係が深い。

 統治の中核部であるバグダッドと南部は、どちらもヒズボラのような民兵組織によって守られている。

 議会では、彼らは、二つのクルド人の民族政党と連携している。彼らもまた、クルド地域では民兵によって守られている。

 警察も軍隊も、シーア派とクルド人によって支配されている。

 こういう状況の下で、少数派のスンニー派のイラク人は、生命と財産の安全を政府に保証してもらえない。警察も軍隊も、敵であり復讐者であるかもしれない。

 シーア派とクルド人には、サダム・フセイン政権時代、社会の上部階層を形作っていたスンニー派に抑圧され、虐待されたとの恨みもある。その復讐が始まっているし、それに対するスンニー派のシーア派へのテロ攻撃も激しさを増している。

 このままでは、内戦必至である。

 メソポタミアン(The Mesopotamian)という名のイラク人ブロガーは、米軍撤退後の内戦のシナリオを描いている。

▼米軍撤退の翌日、バグダッドの商店街はすべてシャッターが下り、人っ子一人いない状態になる。店という店は略奪に遭い、完全な無政府状態が生まれる。

▼クルド人が軍を派遣し、キルクークの油田を占拠しようとする。

▼トルコがそれを阻止するためにイラクに侵入する。

▼クルドはイランに助けを求める。

▼同時に、シーア派もイランに助けを求める。

 シーア派は1991年の湾岸戦争の後、サダム・フセインに対して蜂起したが、頼みの米国は支援に来てくれなかった。米軍撤退で、今度もまた米国に見捨てられたと感じ、イランに頼る以外ないと覚悟を決めることになるだろう。

▼イランによるイラク支配を恐れて、シリア、ヨルダン、サウジアラビアがイラク内のスンニー派を支援するため、軍隊を投入する。

▼世界の原油価格は1=100ドルをたちまち突き抜ける。

(ワシントン・ポスト紙の軍事記者、トマス・リックスの最新刊力作ルポ『Fiasco』〈大失敗〉による)

 イラクの内戦は、内戦にとどまらずに、地域大の戦争に広がる可能性が強い。

 イラク、イランを貫徹する「シーア派の弧」は、否応なしにサウジアラビアの東部石油地帯に密集するシーア派との共鳴作用を起こすことになるだろう。

 トルコのイラク侵略は、トルコがNATO(北大西洋条約機構)の構成メンバーであるため、ムスリム社会であることには関係なしに、その背後の欧米とイスラムの“聖戦”イメージを惹起させ、イスラムテロをさらに激化させるだろう。

 イラク南部にシーアスタン、中部にスンニスタン、北部にクルディスタンというイラク3分割案も早い段階から提起されているが、石油も港もないスンニスタンという存在が政治的に成り立つとは思えない。

「イラクのイラク化」はどうか。かつてのベトナム戦争のときのような「ベトナムのベトナム化」はできないか。

 イラクはベトナムとは違う。ベトナム戦争は、民族解放戦線の人民戦争だった。イラクは、宗派間・民族間戦争である。イラク化する対象のイラクそのものが共同体の芯の部分から分解、崩壊しつつある。

 シーア派とクルド人が、スンニー派の生存を保証し、権利を尊重する戦略的、政治的な決定をするように、米国が強制する以外ない。それには米軍は相当長期間、駐留し続ける以外ない。撤退を始めたとたん、米国の発言力はゼロになる。そして、内戦が始まる。