船橋洋一の世界ブリーフィング

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No.802 [ 週刊朝日2006年9月15日号 ]

耳を澄まして聞いてごらん。米国の知日派が心から心配している

 ワシントンで見る限り、米国内の知日派の日本に対する目がこのところ険しくなっている。

 例えば、次のような声を聞く。

▼自民党総裁選で、いったいどんな政策論争が行われているのか、まるでわからない。安倍晋三官房長官で事実上、決定ということのようだが、政治指導者を選ぶのに競争原理がほとんど働いていないように見える。

▼日本は、歴史問題(例えば、靖国神社参拝問題)をどのように克服しようとするのか、未来に向けての前向きの政策論議が起こっているように見えない。このままでは日本は国際的に孤立するだけだ。それは米国にとっても望ましくない。

▼日本社会の中に最近、非寛容の風潮が高まっているのではないか。とくに歴史問題について日本に自省を促す意見を述べると、個人攻撃的な反応が目立つ。それが日本の民主主義の活力の衰えを表しているのであるとすれば、ゆゆしきことである。

 一般国民レベルでの話ではなく、あくまで政策通、それも知日派を中心にした、しかもどちらかと言うと民主党系の学者、ジャーナリスト、シンクタンク研究員からの問題提起である。

 私の友人のシンクタンク幹部は、クリントン政権で東アジア・日本を担当、日米関係強化のために力を尽くしたが、靖国神社参拝問題以後、日本には全く失望した、日本は自分の国益がどこにあるかを理解できない国に成り下がった、と会うたびに慨嘆する。

「こんなことで、台頭する中国にどうやって伍していくつもりなのか。日本の影響力をアジアでどのように発揮するつもりなのか」

「日本には米国とアジアのどこかの国がうまくいかないとき、間に入ってオネスト・ブローカー(正直な仲介者)役をしてもらいたい。しかし、こんなことでは日本にそういう役回りはとても望めない。このままだと、アジアの問題は日本にまず諮るのではなく、最初から中国と相談して決めていかなくてはならなくなる」

 ブッシュ・コイズミ効果で、一見、順風満帆に見える日米関係だが、その実、日本への風当たりは強まりつつある。

 共和党系はそれでも、小泉政権時代の日米同盟強化を高く評価し、日本の次期政権にもそれを踏襲してほしいと期待するが、共和党系の中にも、日本の先行きへの不安感が出始めている。

 なかでも、小泉政権が推進した民活、規制解除、外国投資環境改善などのいわば日本版レーガノミックスが勢いを失い、日本が再び、公共事業漬けの“ドケン(土建)ノミックス”に戻ってしまうのではないかとの懸念を聞く。ウォールストリート・ジャーナル紙もそうした点を指摘している(8月29日付 “Honest Abe”)。

 もう一つ、米国の知日派が注視しているのが、歴史問題、とくに靖国神社参拝問題をめぐって、賛成派が、反対派を口汚くののしり、果ては暴力威嚇行為に及ぶ、日本社会の非寛容である。

 例えば、自称右翼が、日中関係の改善を訴え小泉首相の靖国神社参拝を批判してきた加藤紘一衆院議員の母親の住居を放火した事件、そして、それにも増して、日本の政治指導者がこの威嚇行為について非難と抗議の声を上げないことである。

 なにやら不気味な日本が現れてきた、というふうにそれは受け止められている。

 米イースト・ウエストセンターのシーラ・スミス研究員とパシフィック・フォーラムCSISのブラッド・グロサーマン専務理事は、このような日本の不気味さを表すケースとして、加藤紘一氏を標的とするこの威嚇事件とともに、かつての田中均外務審議官に対するテロ脅迫事件を引き合いに出している。

 日朝関係の正常化を目指した小泉訪朝の後、拉致問題が噴出し、激しい政府批判が起こったとき、田中外務審議官は何者かにテロの脅迫を受けた。それに対して、石原慎太郎都知事は「爆弾を仕掛けられて、当ったり前の話だ」と述べ、あたかもテロ行為を容認したような発言をした。当時の政治指導者はこの石原発言にほとんど抗議しなかった。

 スミス、グロサーマン両氏は、「このような事件に沈黙しているようでは日本の民主主義が泣くし、日本の道徳も地に墜ちたと言わざるを得ない。いや、もっと悪いことに、日本は戦争から何も学ばなかったのだという日本たたきの連中の宣伝に格好の材料を与えている」と述べている(PacNet Newsletter 8月24日)。

 スミス、グロサーマン両氏は、長年、日本の外交・安全保障政策を研究してきた中道穏健の研究者であり、日本の友人である。そうした心ある知日派が日本の現状を心配している。

 とりわけ、深刻なのは、日本社会に生まれる非寛容の風潮と日本の民主主義の活力の弱まりを彼らが懸念している点である。

 深刻というのは、彼らが真実を語っているからにほかならない。

 疑いもなく、日本の社会、なかでも言論社会は非寛容になりつつある。日本の民主主義のバネは弱まりつつある。

 それから、それは、日本の外交、安全保障にとっても、深刻な意味合いを持つだろう。日本の自画像と歴史的な使命と役割を変質させ、世界の日本に対する好意と共感と敬意を破壊する危険がある。

 戦後、出直した日本を世界は再び受け入れ、世界第2の経済大国として、さらにG7構成国として扱い、日本の戦後にさまざまな関心を持ち、そこから数々のヒントを汲み出そうとしてきた。日本にかかわろうとする世界にかかわれた日本は幸せだった。それを可能にしたのは、日本が戦後、民主主義を着実に自分のものとし、多くの国民が世界にのびのびと参画してきたからである。

 そうした戦後の国際的インフラの上に日本の外交も日本のイメージも成り立ったのである。

 その国際的インフラのうちもっとも輝かしい外交上の結晶が、日米同盟だった。

 非寛容と非民主主義的な日本がなによりも深刻なのは、それが日米同盟を大きく変えることになりかねないからである。

 日米同盟は、日本と米国の社会が異なった意見にも窓を開き、胸を開き、話し合っていく寛容な社会であってこそ、そして、双方の民主主義がたくましく機能してこそ、どこか第三国に対する便宜的な軍事同盟を超えた永続的な力を持つ。価値観と価値体系を共有してこそ、それは芯が入り、根を張る。その中核は自由と民主主義と市場経済である。そこでは、少数(少数意見と少数民族)の尊重と多様性(多様な意見と多様な民族・宗教・伝統)の保障、そして、透明性と言論の自由が確立していなければならない。

 日本の政治指導者は、テロ――言論テロも物理的テロも――を放置する国は、自らテロ国家に転落するのだということを肝に銘じなければならない。戦後民主主義をただ貶(おとし)め、溜飲を下げるのを止めなければならない。戦後民主主義は、あなた方がかくも大切にする日米同盟の母胎そのものなのだから。