船橋洋一の世界ブリーフィング

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No.817 [ 週刊朝日2006年12月29日号 ]

新渡戸稲造も内村鑑三も岡倉天心も
英語で「美しい国、日本」を世界に伝えた

 12月15日号の「英語は“お菓子”ではない。それは世界に生きるための生活の糧である」に、多くの方々からご意見をいただいた。

 当面の議論は、小学校5年生から英語を週1時間程度、必修とするかどうかをめぐって行われている。その是非について私は直接、意見を表明しなかった。天下国家の英語論はさておき、そこはどうなのかというお問い合わせもあった。この点に関して言えば、私は小学校からの英語教育は大いにやるべきだと考えている。あわせて英語教師の英語再教育を本格的に実施することも必要だ。

 ただ、子どもの教育(英語教育を含め)と天下国家の日本の戦略を、私は分けて考えない。

 子どもの教育はすべて天下国家の事柄である。子どもたちの可能性をどのように引き出し、育てるか。彼らをどのような国民に鍛えるか、それによってどのような日本をつくるか、という国家ビジョンの中に英語の位置づけを示していくべきであると考えている(拙著『あえて英語公用語論』=文春新書=を参照していただければ幸いです)。

 私がいちばん言いたいことは、繰り返しになるが、子どもたちが大人になったとき、その持てる資質と力を世界で正当に評価されるようにしたいということである。そのためにも世界の共通語である英語を身につけさせたいのである。

 それと関連して、もう一つ「なんで英語やるの」の国家戦略的理由を挙げたい。

 日本及び日本人が世界で孤立しないようにしたいからである。

 いささか後ろ向き、防御的な理由のように聞こえるかもしれないが、最近の日本の世界における位置とか立場を考えるとき、言語面での孤立感は今後、戦略・外交上の孤立感を増幅する危険を感じるからである。

 1990年代に一斉に起こった国際社会の大変動──冷戦イデオロギーの終焉とG7体制の崩落、EU、NAFTAの地域主義、日本の経済停滞と少子高齢化、グローバリゼーション、中国の台頭、歴史問題の国際問題化、北朝鮮核危機の中での米中連携など──は、いずれも日本の戦略的、外交的な足場を揺るがした。

 小泉純一郎前首相の靖国神社参拝がそれをさらに突き崩す結果となった。

 その過程で、以下のような日本の世界からの脱落化、さらには孤立化の現象が起こりつつある。

▼欧州との関係の希薄化。

▼先進工業国アイデンティティーと連帯感の空洞化。

▼日本発展モデルの魅力の低下。

▼グローバリゼーション・ネットワークからの脱落(グローバル・メディア、ビジネス同盟、国際NGOにおける日本プレゼンスの欠如)。

▼中韓の反日民族主義の噴出と日中・日韓関係の冷却化。

▼歴史問題での孤立無援。

 孤立感を覚えるとそれだけ、日本は唯一の同盟国の米国にすがり、それがまた日本と世界との関係をしらけさせ、その過程で日本はさらに孤立感を深める、という悪循環に陥った。

 別に、日本が世界から嫌われ、蔑まれているということではない。

 むしろその逆である。

 米メリーランド大学と英BBC放送の共同世論調査(2005年末実施、06年2月発表)では、日本は世界33カ国中31カ国で「世界によい影響を与えている国」となり、トップに立った。2カ国の例外は中国と韓国だった。

 だから、中韓2カ国の日本嫌いのほうが世界の例外という見方もできないわけではない。しかし、そんじょそこらの2カ国ではない。日本にとって文化的にも歴史的にももっとも密接な大切な隣の2カ国である。

 中韓の対日不信感とその裏返しの日本の対中・対韓疲労感は、世界の対日好感度を帳消しにするほどの消耗感と孤立感を日本にもたらしつつある。日本の国民も、日本が孤立しつつあるとの不安感をひしひしと感じている。

 そうしたざらざらした地合いのところで、日本の言語的な孤立感をこれ以上、尖らせるのは危険である。

 英語グローバリゼーションの波が押し寄せる中、日本がそれに乗りきれず、それゆえに閉塞感と被害者意識を募らせると、英語グローバリゼーションに対する反発と反動が噴き出すおそれがある。その矛先は英語そのものに向かいがちである。英語はあくまで道具であることを忘れ、英語そのものが悪玉にされ、英語人や英語バイリンガル人までが攻撃の対象となりかねない。そんなことになれば、日本は世界の孤児、いや、アジアの孤児になる。

 すでに、各種の政策関連の国際会議では、中国人の大進出と日本人の大退却現象が進んでいる。これらの国際会議はまず例外なく英語を実用語としている。専門領域の事柄を英語で的確に表現できる人材が日本には圧倒的に足りないのが現状である。

 エドウィン・ライシャワー(注1)は、30年ほど前に出版した『ザ・ジャパニーズ』で、こう指摘している。

「日本の対外接触にとって、言語的障壁がどれほど大きいかを本当に認識している人は、日本人にも少ないし、外国人になおさらである」

「ここ二十年ほどの間に、私は何十人もの日本の閣僚と知り合ったが、そのうちで、知的に真剣な会話を英語でかわすことのできるのは、せいぜい三名しか思いつかない。西洋史を含む歴史の教授も、ここ四十年間に何百人となく知り合ったが、同じことのできる人の数は、閣僚の場合をそれほど上まわらない」

「日本の主張の声は弱々しく、不明確なものでしかない……よしんば積極的な寄与をという意欲をもっていたとしても、彼らが望むような影響力を行使しえないのである。日本のように大きな経済力をもち、国際関係への依存度が圧倒的に高い国にとって、これは悲しむべき事態である」

「日本と外部世界とを隔絶する言語的障壁が、基本的には、きびしい言語的現実に起因することは明白だが、それにしても、日本人がそれを乗りこえるために、従来、もっと努力を払ってこなかったことは驚きに値いする」

 ライシャワーは、駐日大使を辞めた後も母校、ハーバード大学で日本史を教えたが、最後の講義では、生まれ、育った、愛する日本に対して「言語的孤立」と「知の孤立」から脱却するよう訴えた。

 子どものときから英語をやると日本語がダメになるといったデマに惑わされないためにも、明治の文明開化グローバリゼーションを浮つかずに、たくましく生き抜いた先達にも触れておかなくてはなるまい。彼らはいずれも、若くして漢文と英語を学び、英語で日本の真善美を伝え、世界に羽ばたいた。

 新渡戸稲造(注2)Bushido,the soul of Japan(1899)

 岡倉天心(注3)The Bookof Tea(1906)

 内村鑑三(注4)The^nRepresentative Men of Japan(1908)


注1 米国の歴史学者、元駐日大使。1910~1990。

注2 農学者、教育者、元国際連盟事務次長。1862~1933。

注3 美術家、美術評論家、美術教育者。1862~1913。

注4 キリスト教思想家・伝道者。1861~1930。