船橋洋一の世界ブリーフィング

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No.818 [ 週刊朝日2007年1月5-12日新春合併号 ]

ロシア元スパイに対するポロニウム暗殺。
背後に見え隠れするチェチェンの影

 ロシアの連邦保安局(FSB)=注1=の元情報将校、アレクサンドル・リトビネンコ氏が放射性物質、ポロニウム210の被曝によって殺された事件から1カ月がたつが、ロシア政府が非協力的なこともあってロンドン警視庁の捜査は壁にぶつかっているという。

 リトビネンコは、プーチン体制の批判者。6年前に英国に亡命した。

 殺害に使われたポロニウムは、致死量の100倍以上であり、入手するには2500万ドルもかかるという。

 そんな高価なポロニウムを、誰が、どこから持ち出したのか。

 誰が、黒幕なのか。

 そもそも、暗殺は、何のためなのか。

 謎は深まるばかりである。

 いくつかの推理が成り立つが、それぞれ疑問(疑問は【 】)もある。

▼リトビネンコは自著『ロシア爆発。内からのテロ』の中で、1999年、300人の死者を出したモスクワなどのアパート連続爆破テロ事件は、プーチン首相(当時)が示唆したようなチェチェン・テロリストの仕業ではなく、実はFSBの手によるものであると暴露した。リトビネンコと連絡を取り、FSB関与疑惑を調査した野党のユシェンコフ下院議員は2003年4月、何者かによって射殺された。

 リトビネンコ暗殺は、FSB側の報復と見せしめの可能性が強い。実際、リトビネンコ自身は、死のベッドで書いた遺書で、FSBにやられたと述べている。

【アパート爆破事件に関するリトビネンコの主張はすでに広く知れ渡っている。彼を暗殺した場合、FSBが疑われることは目に見えている。FSBがそれだけの理由で彼を暗殺することは考えにくい】

▼政商、ボリス・ベレゾフスキーの陰謀説。ベレゾフスキーは、エリツィン前大統領の側近だった。プーチン政権の誕生に力を貸したが、その後、プーチンによって利権を奪われ、英国に亡命。復讐の鬼と化した。

 ベレゾフスキーが、リトビネンコ殺害がFSBの仕業であることを世界に印象づけ、プーチンの世界でのイメージを悪化させ、欧米とロシアの新たな冷戦を作り出そうと画策したのではないか。それを劇的に演出するため、ポロニウムを使わせたのではないか。

【そのような危険な賭けがバレた場合、ベレゾフスキーは政治亡命者としての資格を剥奪され、ロシアに追放される。ロシアでは死刑かシベリア送りだろう。彼がそんな危険を犯すわけがない】

▼FSB“関東軍”説。FSBの一部が上の許可なしに独断で行った可能性。リトビネンコに対する復讐の念に駆られたかつての同僚たちの仕業に違いない。

【彼らがポロニウム210を独自に入手できるとは思えない。また、ロシアの軍隊、保安機関に、自らイニシアチブを取る伝統はない。彼らは、常に上からの指示に基づいて行動する】

▼チェチェン紛争に巻き込まれ、犠牲になったとの説。

 リトビネンコは、ロンドンに亡命中の反プーチン・独立派の幹部、アフマド・ザカエフと親しかった。そのことが、現在、チェチェンを牛耳っている親プーチン派のラムザン・カドイロフ首相には許せなかったのではないか。今回の暗殺は、カドイロフ一派の仕切るチェチェン警察部隊の人権侵害を厳しく批判したノーバヤ・ガゼータ紙記者、アンナ・ポリトコフスカヤの暗殺と同じ集団の手によるのではないか。

 ザカエフは、リトビネンコの死について「ポロニウムは、ロシア特殊部隊がチェチェンで使用していた経緯がある」と指摘している。一方、カドイロフは、朝日新聞モスクワ支局員の駒木明義記者ら外国メディアとのインタビューの中で「2人(ポリトコフスカヤとリトビネンコ)ともおそらくベレゾフスキー氏によって暗殺された。無用な存在として使い捨てにされた」と述べている。反プーチン勢力内部の内ゲバと見るのだ(朝日新聞、12月16日付)。

【リトビネンコの主たる批判は、1999年のアパート爆破事件後、プーチンが旗を振った第2次チェチェン戦争に向けられており、カドイロフを直接、標的にはしていない】

 ただ、リトビネンコは殺害前、ポリトコフスカヤ殺害事件の真相追及に乗りだしていたと言われる。そのためカドイロフ一派に消されたのではないか、という疑いは残る。

 一方、ロシアのメディアは、リトビネンコは、チェチェン独立派による“汚い爆弾”の入手に手を貸そうとしたのではないか、彼らにポロニウム210を売りつけようとする過程で自ら被曝したのではないか、と想像をたくましくしている。

▼プーチン政権中枢の内紛。

 憲法の規定で、大統領の3選はできない。次期大統領は2008年の投票で選ばれるが、実際はプーチンが誰を後継者に指名するかで決まる。その戦いはすでに始まっている。後継者争いに敗れたほうは、次期大統領から粛清される。それを恐れ、プーチン体制を継続させようという動きもある。暗殺は、危機的状況を作り出し、非常事態の下、プーチン長期独裁への移行をねらってのことではないか。

【暗殺自体が、プーチンそのものの威信と評判を失墜させることになり、逆効果に働く可能性が強い】

 これらの推理の中で、チェチェンがらみのところが、不気味なリアリティーを感じさせる。1999年のアパート連続爆破・チェチェン戦争は、ロシア版柳条湖事件・満州事変(注2)ではなかったのか。

 プーチン体制中枢は、そのシッポをリトビネンコに握られただけではなく、チェチェンのカドイロフにもつかまれているのだろうか。

 ポロニウム210はすでにチェチェンに流れているのではないか。この事件は、核テロ時代の始まりを告げるものなのか。

 それにしても、ロシアでは毒物での暗殺の伝統が依然、健在であるようである。

 1978年、ブルガリアの反体制活動家がロンドンで、傘の先に仕掛けられた猛毒、リシンによって殺害された。KGBの対外防諜局長で米国に亡命したオレグ・カルーギンが、それはKGBの仕業であったことをその後、暴露している。源流は、レーニンが政敵に対するテロ暗殺のためにつくった秘密警察、チェカ(注3)の毒物研究である。スターリン時代、その規模は拡大され、ソ連崩壊後はFSBがその研究を引き継いだと言われる。

 もう一つ、ロシアではKGBが健在であるということを改めて思い知らされた。

 ロシア政府機関の高級官僚約3500人のうち旧KGB出身は77%に上るという。プーチン体制中枢は、いずれもシロビキと呼ばれる情報機関、軍、内務省などの暴力装置を背景にした人々である。プーチン側近のイワノフ国防相兼副首相やセチン大統領府副長官の2人ともKGB出身である。

 なお、ロシアのFSBスポークスマンは、リトビネンコ殺害へのFSBの関与を否定している。


注1 ロシア連邦の情報機関。前身は旧ソ連KGBで、プーチン大統領も長官を務めた。

注2 1931年9月、瀋陽近くの南満州鉄道の線路が爆破された。関東軍による自作自演で、旧満州占領の発端になった。

注3 1917年の10月革命後に設立。裁判なしに反革命派を逮捕・処刑し、最後の皇帝ニコライ2世一家殺害にも関与した。