船橋洋一の世界ブリーフィング

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No.821 [ 週刊朝日2007年2月2日号 ]

日中歴史共同研究は、
中国が民主化するまで続けよ

 日中両国が、双方の歴史認識の溝を埋めるため、共同研究を始めた。

 双方からそれぞれ10人の歴史学者が参加。日本側座長は北岡伸一・東京大学教授、中国側座長は歩平・中国社会科学院近代史研究所所長。

 昨年12月に北京で第1回会合が開かれた。次回は、3月、東京で行われる予定である。

 歴史問題は、日中両国民の共感と協力を阻む大きな壁となっている。

 中国は、日本が戦前のアジアに対する侵略戦争を十分に反省していないと感じている。日本は、中国が戦後の日本の平和国家としての歩みを十分に評価していないと感じている。

 2005年4月の中国の反日デモは、中国国民の反日感情がなお強いことを改めて示したが、日本国内からは、中国政府が日本の国連安保理常任理事国入りに反対するため、内では国民の反日感情を、外では日本の歴史問題を利用したとの反発が噴き出た。

 日中間のわだかまりの背景には、双方の歴史に対する認識の違いがある。

 反日デモの直後、訪中した町村信孝外相(当時)は、唐家セン国務委員と会談した際、この問題を提起した。唐家セン委員は、日中間で専門家による歴史研究の必要性に言及した。しかし、小泉純一郎首相(同)が靖国神社参拝を繰り返している間は、この構想は実現しなかった。

 安倍政権が誕生し、2006年10月上旬の安倍首相の訪中が転機となった。

 ここで、「日本側は、戦後60年余、一貫して平和国家として歩んできたこと、そして引き続き平和国家として歩み続けていくことを強調した。中国側は、これを積極的に評価した」(日中共同プレス発表文)。

 それを受けて、同年11月、ハノイでの日中外相会談で、共同研究の実施を決めた。

 その目的は「両国の有識者が、日中二千年余りの交流に関する歴史、近代の不幸な歴史及び戦後60年の日中関係の発展に関する歴史についての共同研究を通じて、歴史に対する客観的認識を深めることによって相互理解の増進を図ることにある」。

 今回の共同研究は、「古代・中近世史」及び「近現代史」の分科会を設ける。また、近現代史も戦前だけでなく戦後も対象とする。

 意外と難しいのは、次のようなテーマかもしれない。

【戦前】

●日清戦争と日露戦争の位置づけ

●中国における反日、日本における侮中(中国蔑視)の背景と構造の分析

●日中戦争、太平洋戦争と日本の敗戦の相互連関分析

【戦後】

●朝鮮戦争の原因

●文化大革命の解剖

●天皇訪中(注1)と江沢民訪日(注2)の評価

 天安門事件(注3)も骨だ。これをどう扱うかは中国のこれからの内政、なかでも政治改革の行方次第だろう。

 東シナ海をはじめ日中が文明的に共存してきた海の歴史と、そこからの教訓も視野に入れてほしい。東シナ海を「平和の海」にすることができるかどうかは、21世紀の日中平和の試金石である。

 共同研究案を提案したのは、日本側である。

 その背景には、歴史問題が外交問題として立ち現れ、日本の外交的足場を突き崩し始めたことがある。小泉首相の靖国神社参拝は、中韓両国だけでなく米国との関係をも複雑にし、それこそ戦後、「一貫して平和国家として歩んできた」日本のイメージを損なった。小泉首相が参拝に当たってその「意図」や「誠」や「心」をどれほど声高に言おうとも、それはかえって対日不信感を高める結果となった。日本の国連安保理常任理事国入りキャンペーンが失敗に終わった理由はさまざまだが、その一つに日本が歴史問題に足をすくわれたことがある(少なくとも、それが中国の対日ネガティブ・キャンペーンをやりやすくしたことは否めない)。

 日本側としては、歴史問題で対中外交をぎくしゃくさせないようなプロセスをつくっておきたい。

 従来、中国はこの種の歴史対話には積極的ではなかったが、今回は受け入れた。

 中国のねらいは、これによって日本に過去を反省させ、教訓をかみしめさせることにあるだろう。同時に、靖国神社にだけ焦点が当たる日中の歴史問題から、もう少し広がりのある歴史認識の共通項を築きたいという考えもあるのではないか。

 日中の歴史問題については、昨年、ロバート・ゼーリック米国務副長官(当時)が日米中の歴史学者による歴史共同研究構想を提案したことがある。ただ、中国は、日中韓には日中韓の特別な歴史空間がある、との論法で、この提案を退けている。それだけに、日本の提案を断りにくい事情もあったかもしれない。

 日本にとって、日中関係の現代史は、21カ条の対華要求、満州事変、南京虐殺……といった中国の主権を侵害し、侵略し、住民を殺傷した恥ずべき歴史である。それを直視し、その歴史を知らなければ、中国と末永い協力関係を築くのは難しい。過去を弄(もてあそ)ぶと未来を腐らせる。日本の政治指導者は、この点、特に心しなければならない。

 中国の現体制にとって、抗日戦争は建国の叙事詩である。それだけに、日中関係の歴史記述には濃厚な政治的脚色が施されている。

 冷戦後、共産党イデオロギーが国民に対する訴求力を失ってからは、愛国主義、つまりは民族主義がそれに取って代わった。その際、日本は格好の標的とされやすい。内政上の必要──体制・権力正統性の維持、国内矛盾の対外転嫁、国民の不満のはけ口──に歴史問題を動員してはならない。ここは中国の指導者に特にお願いしたいところである。

 要は、日中関係の平和と安定と協調のための新たな将来ビジョンを持つことである。さもなくば、過去もまた定まりにくい。

 共同研究の成果は、2008年の北京オリンピック前にも発表する運びという。

 オリンピックで日中摩擦を起こさないようにしようという日中双方の政治的配慮なのだろう。それはそれでわからないではないが、何もそこでおしまいにすることはない。

 日中両政府はできるだけ歴史資料を提供するべきである。ロシア、米国などの日中現代史に関する資料もさらに発掘するべきだ。場合によっては第三国の専門家を招き、意見交換するのもよい。

 肝心なことは、共同研究を執拗に続けていくことである。

 日中関係は、何か政治的に「敏感」な出来事が起こると、首脳会談も開けなくなるという未熟な状態が続いたが、この共同研究はそのような緊張が再び生まれたとしても、断絶せず続けるべきだ。

 中国の場合、政治体制の壁もあり、成果が花開くのは遅咲きかもしれない。しかし、それが咲いた場合には大きな一輪となる可能性がある。

 あえて提言したい。

 日中歴史共同研究は、中国が民主化するまで続けよ、と。


注1 92年10月、天皇陛下は中国を初めて公式訪問し、楊尚昆国家主席らと会った。

注2 98年11月、中国元首として初めて江沢民国家主席が来日、小渕恵三首相らと会談した。

注3 89年6月、北京の天安門広場で民主化を求める学生らのデモ隊を軍が制圧し、死者319人(当局発表)を出した。