船橋洋一の世界ブリーフィング

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No.825 [ 週刊朝日2007年3月2日号 ]

北朝鮮核危機は結局また、
ウラン濃縮問題に戻っていく

 北京で行われた6者協議は、北朝鮮の核放棄の見返りに5カ国がエネルギー支援をすることを軸とした「共同声明実施のための初期段階の措置」文書に合意し、2005年9月の共同声明の合意事項の実施に向けて一歩を踏み出した。

 声明は、昨年10月9日の北朝鮮の核実験については、何も触れられていない。北朝鮮が再び、核実験をすることはないのかどうか、それに関して約束を取り付けたのかどうか、そこも明らかではない。

 9・19声明では、北朝鮮は「すべての核兵器と既存の核計画」を放棄することになっていた。核実験は核兵器のためのものであり、それに成功したということは、北朝鮮がその能力を身につけたということである。今回、それについては何も言及せず、現在も動かしている寧辺の黒鉛減速炉の稼働中止と封印、それを査察するためのIAEA(国際原子力機関)の査察官の復帰だけにしぼったことは、米国はじめ5カ国側の腰が引けている姿を示している。

 ブッシュ政権は今回はあくまで「第1段階」(コンドリーザ・ライス米国務長官)だと、弁明しきりである。

 実際のところ、野球用語を使えば、今回は走者を何とか一塁に進めたところだ。それもクリーンヒットではない。ポテンヒットの類で塁に出たようなものだ。

「初期段階」(60日)の後の「次の段階」では、北朝鮮によるすべての核計画の完全な申告の提出と、黒鉛減速炉及び再処理工場を含むすべての既存の核計画の「無力化」が想定されている。それが確認できれば、100万トンの重油(に相当する規模の経済・エネルギー支援)が提供される。

 本当のゲームはそこからである。

 その申告と「無力化」が納得のいくものであってはじめて、走者を二塁に進めることができる。そうなれば、ようやく得点圏内だ。

 しかし、北朝鮮がそれに絡めて、5カ国側の軽水炉の提供についての新たな要求を持ち出すかもしれない。2005年9月の共同声明では「適当な時期に、北朝鮮への軽水炉提供問題について議論を行うことに合意した」と謳われた。「適当な時期」を改めて明確にせよとかなんとか言いだす可能性もないではない。そうなれば、走者は牽制球で刺されたも同然である。

 そして、二塁から三塁へは、核実験施設を解体するかどうかを含め、核兵器そのものの放棄にも踏み込まなければならない。北朝鮮はすでに自らを核保有国と見なしている。その核を放棄させるのだから、これはやっかいだ。

 一方、5カ国に関して言えば、核施設の停止の段階でのエネルギー支援実施やテロ支援国リストからの解除、さらには、米朝正常化、日朝拉致問題の解決などの懸案を解決しなければならない。

 だが、こちらも難物だ。

 米議会が、重油の供給をすんなりのむかどうか。1994年の「枠組み合意」では、米側が約束した重油供給は、共和党優位の米議会が抵抗して遅延が発生、北朝鮮の対米不信をさらに強める結果となった。今回もまた、議会は抵抗するだろう。

 すでに、タカ派からは、今回の合意は同じように核開発問題で関係が緊張しているイランに対して「間違ったシグナルを送ることになり、失敗」という批判が上がっている。

 日朝間の拉致問題の難しさは言うまでもない。

 加えて、「核計画についての完全な申告」を行う段階で、ウラン濃縮問題が再度、重大な問題として浮上してくる可能性が強い。

 2002年夏、米情報機関は、北朝鮮がウラン濃縮計画を極秘裏に進めていることを突き止めた。

 情報機関は、

▼北朝鮮は2000年末までに、生産段階の濃縮ウラン計画を追求することを決定し、現在、遠心分離器施設を建設している。

▼2002年央までに、北朝鮮は少なくとも2600以上のウレンコ・パキスタン型の大型遠心分離器を設置するのに必要な特殊鋼を入手した。

▼この遠心分離器施設は、2004年末までには核兵器を製造するのに十分なHEU(高濃縮ウラン)を生産することができる。

 と判断した。

 ジェームズ・ケリー米国務次官補(当時)は、2002年10月の訪朝の際、北朝鮮の姜錫柱第一外務次官に、濃縮ウラン計画について問いただした。姜次官はそれを認めたうえ、「枠組み合意は米側の不正行為によって、無効になったと見なす」と発言。同時に、「もし、米国が北朝鮮に対する敵視政策を放棄するのであれば、米国が抱いているわれわれの核計画に対する憂慮を取り除く努力をしてもよい」と述べた(注)。

 1994年の「枠組み合意」と同じように、米側が新たな経済協力・エネルギー支援を申し出れば、ウラン濃縮計画もまた「凍結」してもよい、と言わんばかりである。

 ケリーは、そのような取引にはまったく興味を示さなかった。そもそも、ケリーは、北朝鮮と交渉するために派遣されたのではなかった。ウラン濃縮問題に対する米国の重大な懸念を伝えるために送られたのだった。

 ところが、北朝鮮はその後、態度をがらりと変え、ウラン濃縮など一切知らぬ、あれは米国の勝手な言いがかりである、と言い張った。2005年9月の共同声明でも、ウラン濃縮は声明文の中に触れられていない。米国は「あらゆる核兵器及び既存の核計画」の中にそれも含まれていると解釈しているが、北朝鮮は否定したままである。

 したがって、北朝鮮が「申告」においてウラン濃縮計画をどのように扱うかが、その後の実施計画の行方を大きく左右する可能性が強い。

 北朝鮮は「存在しない」の一点張りで通そうとするだろう。

 それに対して、米国がどう応えるか。「そんなはずはない。あるはずだ」と反論するかどうか。そうなれば、北朝鮮は「証拠を示してください」と要求するだろう。米国はそれを拒否する。その次は?

 ブッシュ政権はイラクの大量破壊兵器については信じられないヘマをしたが、北朝鮮については関与派もネオコンも口をそろえて「北朝鮮がウラン濃縮を進めていることは間違いない」と主張してきた。ただ、それがどこまで高濃縮なのかどうかについてはわからなかったし、ウラン濃縮施設の場所も特定できなかった。米国の立場もそれほど強いものではない。しかし、米国はそれを見逃すわけにはいかない。

 ひょっとして、北朝鮮はウラン濃縮にも成功したのではないか。

 それで、今回、寧辺のプルトニウムの再取引に出てきたのか。

 それとも、最後はウラン濃縮計画放棄の譲歩をし、大取引をしようということなのか。

 結局、第2次核危機は、その起点となったウラン濃縮問題に再び、戻っていくようである。


注 詳細は拙著『ザ・ペニンシュラ・クエスチョン──朝鮮半島第二次核危機』(朝日新聞社、2006年10月刊)を参照してください。