船橋洋一の世界ブリーフィング

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No.832 [ 週刊朝日2007年4月20日号 ]

“黄砂テロ”は、中国の、そして世界の水危機の表れだ

 関西国際空港の視程が快晴時(4千メートル)に比べて“10分の1”となったり、名古屋市内のビル群が終日、黄色っぽいかすみにおおわれたり、日本の大気からマンガンやヒ素が通常より高い濃度で検出されたり、中国大陸から偏西風に乗って飛来する黄砂による被害は毎年ひどくなるようだ。

 今年は、記録的な暖冬の影響で中国大陸でも砂が舞い上がりやすくなり、黄砂の期間も量も多くなっているという。

 去年4月中旬、北京に行ったときのことだが、着陸態勢に入った飛行機から下を見ると一面砂漠が広がっているようだった。1980年代初頭、北京に住んだとき、アパートの窓をギチギチに閉めても、翌朝見ると家の中の至る所、黄砂が侵入している。黄砂は怖い。

 陸続きの朝鮮半島は大変だ。去年、ソウルは延べ11日も黄砂の来襲に見舞われ、新聞は「黄砂テロ」と報じた。

 黄砂問題の根底には、中国の水不足がある。とりわけ北京をはじめとする北部は深刻だ。中国は、水の豊かな南から運河を通して北に水を運ぶ計画を進めている。揚子江の水を1秒60立米、毎日500万立米、揚水。2010年までには毎年180億立米、2050年までには毎年450億立米の水をくみ出す。しかし、こんな大量の水を川から吸い出せば、いくら揚子江といえどもたまらない。資源だけでなく環境としての川を破壊する危険がある。

 地球温暖化は、中国にとどまらず世界の水資源をむしばみつつある。

 スーダンのダルフールで起こっている大量虐殺(注1)は、宗教的(イスラム系対キリスト系)、民族的(アラブ系対非アラブ系)対立もさることながら、干魃(かんばつ)による国内難民と水資源をめぐる戦いの側面がある。

 経済学者のジェフリー・サックスは、「ダルフールの悲劇の根底には貧困がある。国際社会が必要としているのは軍事戦略より水戦略である。ダルフールの700万人の人々に、食物を育て、家畜を飼うための水を与えなければならない。にもかかわらず、国連での議論は制裁と軍隊に終始している。環境とか気温とかの“ソフト”な問題は、21世紀には“ハード”で戦略的な問題となるだろう」と述べている。

 スーダンの水争いは、ダルフールなど国内だけでなく隣国チャドとの争い、ナイル川の水をめぐるエチオピア、エジプトとの三つ巴の争いへと広がっている。

 イスラエルとパレスチナは、水資源をめぐっても対立している。イスラエル、パレスチナ、ヨルダンはいずれもヨルダン川の水資源に依存しているが、イスラエルはヨルダン川の水資源の90%を支配している。パレスチナ人の恨みは深い。

 イスラエルはシリアとの間でも水資源をめぐる緊張が絶えない。1967年の第3次中東戦争にしてからが、水資源をめぐる覇権争いという側面があった。

 イスラエルのアリエル・シャロン前首相(注2)は、この戦争は、シリアがその3年前にヨルダン川の流れを変えようとしたことに対する予防措置だったと主張している。しかし、イスラエルの歴史家、アヴィ・シュライムによれば、1953年、最初にヨルダン川の流れを変えようとしたのはイスラエルだった。シリアは問題を国連に持ち込み、国連はイスラエルを思いとどまらせた。にもかかわらず10年後、イスラエルは一方的にガリレー海(注3)の水を揚水し、国家水管理網に引き込んで、シリア、レバノン、ヨルダンの水資源を脅かした。シリアがヨルダン川の自国内の流れを変えることを計画したのは、それへの対抗措置だった。

 イスラエルは、第3次中東戦争に勝利した。その結果、ゴラン高原を手に入れ、シリアのガリレー海アクセスをふさいだ。ゴラン高原を支配し、国家水管理網をネゲブ砂漠まで引き入れ、そこを潅漑(かんがい)し、ユダヤ人を植民させてきた。

 イスラエルがゴラン高原をシリアに返すことは、そこの泉、川、それからガリレー海に対する支配を放棄することである。ヨルダン川西岸の要地をパレスチナに返すことは、潤沢な地下水源と死海へのアクセスとヨルダン川周辺の肥沃な土地を断念することである。

 水が和平を促すのではなく、水が和平を阻んでいる。

 世界には、ほかにも水をめぐる重大な紛争が数多い。

▼トルコとシリアのユーフラテス川の水をめぐる戦い(トルコは、ユーフラテス川上流にダム建設を計画。トルコは、シリアがクルド人の分離主義者をかくまっていると非難。これに対して下流のシリアは強く反発。1998年には武力衝突寸前まで関係悪化)

▼中国とインドのブラマプトラ川(注4)をめぐる対立(インドは2000年、チベットの地滑りがインドとバングラデシュ北東部の洪水につながったにもかかわらず、中国はインドに情報を提供しないとして批判。

▼インドとバングラデシュの対立(地球温暖化によるヒマラヤ氷河の溶解がガンジス川の洪水を引き起こし、バングラデシュ住民のインドへの不法難民が激増)

 もっとも、水争いを逆にバネにして、平和と共存への道筋をつけたケースもまた多い。1945~99年の事例研究分析では、「水争いが戦争に向かったケースより、協力につながったケースのほうが2対1で多い」という研究もある。ただ、世界の人口増と地球温暖化による水争いは、これまでとは違う厄介な性格を帯びることになるだろう。

 世界では毎年、水の質の悪化や衛生状態のひどさで、400万人が死んでいる。国連は、人口増加や水質汚染によって今世紀半ばには最悪の場合、60カ国の70億人が水不足に直面するという「世界水発展報告書」を発表した。世界的な水危機が進む中、安全で安心できる水の価値が高まり、ブルーゴールド(青い黄金)と呼ばれるようになった。それに伴って、水は公共財なのか商品なのかという議論が起こっている。

 貧しい地域の人々ほどタダの自然の水ではなく有料のペットボトルの水を飲まなければならない水環境のむごい現実が進んでいる。

 日本産ミネラルウオーターとして国際ブランドとなった「日田天領水」など日本から中国へ「安全で安心でおいしい水」の輸出が始まっている。上海の金持ち用に飛ぶように売れるとか。

 ずいぶん昔、読んだピエール・ロチ(注5)の本の中(『北京最後の日』だったと思う)に、北清事変(注6)に際し、フランス極東派遣艦隊の一員として遠征したロチが、北京の水は飲むことができないのでエビアンボトルを肌身離さず持ち歩いたとあった。

 100年後、中国の水環境はどれほど改善したのだろうか。中国国内の水ディバイド(格差)はどこまで克服されたのだろうか。


注1 アラブ系民兵が20万人超ともされる黒人住民を殺害した。

注2 01年から06年までイスラエル首相を務めた強硬派指導者。

注3 イスラエル国内最大の淡水湖。もともとはここにシリアとの国境があった。

注4 ヒマラヤ山脈に発し、チベット、インド・アッサム州を経てガンジス川に合流する大河。

注5 作家・フランス海軍大尉。長崎に滞在し『秋の日本』『お菊さん』などの作品を残した。

注6 清朝末期の動乱。義和団による排外運動を端緒に、清朝の宣戦布告が列強の軍事介入を招き、北京が制圧された。