船橋洋一の世界ブリーフィング

船橋洋一顔写真

No.833 [ 週刊朝日2007年4月27日号 ]

『将軍様の鉄道』が汽笛一声
平壌から伝える北朝鮮危機事情

 国分隼人著『将軍様の鉄道』(新潮社、2007年)は、北朝鮮の鉄道事情の切り口からこの国とこの体制の危機の構造を浮かび上がらせた貴重なドキュメンタリーである。

 ワクワクさせられながらハッとさせられる、要するにおもしろくてためになる北朝鮮モノでは、藤本健二著『金正日の料理人』(扶桑社、2003年)以来の快著だ。著者は世界をまたにかけた鉄道マニアであるらしい。藤本健二同様、国分隼人もペンネームである。

 およそ文明国家とは、電気と鉄道がなければ成り立たない。しかし、北朝鮮ではその常識は通用しない。

 北朝鮮の普通の人々が鉄道で旅をするということは、〈まるで障害物競走のようなもの〉だと著者は言う。

 切符や通行証を手に入れることからして、難行苦行の連続である。切符の入手には賄賂が欠かせない。鉄道員もお上の給与を当てにはできない。自活しなければ家族を養えない。乗客のほうも移動しなければモノもカネもツテも手に入らない。かくして賄賂が飛び交うことになる。

〈清津~平壌間は公定590ウォンだが、今や1000ウォン以下で売られることはない。さらに鉄道員を通じた闇マーケットでは、8000ウォン+タバコとなっている〉

 乗車できたとしても、時に家畜以下の扱いを我慢しなければならない。一般座席車は貨車を代用したものが多い。窓ガラスのない車両に乗せられることもある。

 1990年代の自然災害や飢餓による「苦難の行軍」(注1)の時代に、食料を求める民族移動が起こった。政府はやむを得ず「通行証」のない人々も客車の屋根や貨物列車に詰め込んで移動させることを認めた。窓ガラスなし車両は、その時代の名残である。

 さて、列車進行オーライとなっても、時刻表どおり発着することはまずない。

〈1990年代には、旅客輸送の6割、貨物輸送の9割を担っていた鉄道だが、電力カットにより途中駅で度々止まり、時刻表通りの運行が不可能となった。現在ほぼ定時で運行されている列車は、中国(週4便)やロシア(週1便)に向けて、威信をかけて走らせている国際列車と、金正日将軍の専用列車だけである。一般利用者は、いつ到着するのかわからない列車をただただ待ち続けるほかないのである〉

 こんなノロノロ運転では、乗客は下手すると、途中で飢え死にするおそれがある。従って、人々は相当量の食料と飲料を確保してから列車に乗らなければならない。

 洗顔用にお湯をバケツごと駅で売るという商売まである。バケツ一杯が50ウォン(注2)だそうだ。

 2000年代に入って、経済改革の動きが芽生えた。2002年7月の物価統制の部分解除を打ち出した経済改革(「経済管理改善措置」)がその典型である。

 しかし、この「7・1措置」は、物不足、インフラ不足のところに価格だけ引き上げたことからハイパーインフレを引き起こした。

 鉄道の現場では、何が起こったのか。

〈運ぶものが無くなった鉄道も、背に腹はかえられず余剰とされた車両の販売を決定した。こうして早速、純度が高い鉄のボディーに目が付けられ、蒸気機関車は外貨獲得のため、次々と隣国・中国の溶鉱炉へと送られていくことになってしまった〉

 北朝鮮の鉄道で唯一、まともに動いてきたのは金日成・金正日親子用の「1号列車」だ。金正日は2000年以降、中国を4回、ロシアを2回、いずれも鉄道で訪問している。

 しかし、首領様(注3)や将軍様(注4)の鉄道旅行の陰でどれほど多くの人々が泣いていることか。

 かつて平義線塩州駅の駅員をしていた脱北者の証言が紹介されている。

〈金日成が中国に行くと言えば、すでに二カ月前から平壌・新義州間の路線沿線はたいへんである。線路周辺のあらゆるものを磨き、ペンキを塗り、掃除をして装飾するのである〉

〈蟻の子一匹近づけないようにしておいて線路状態をまた点検する。何本かある線路のうち本線だけを開通しておき、駅構内に停車中の貨物列車は待避線路に移して待機させる。運行していたすべての正規列車も中断される。転轍機には錠をかけ、ほかの線路に入れないようにしてしまう〉

「主体」イデオロギーとはまことに罪つくりである。

〈中古の車両などをあたかも国内で新製したかのような報道を次々と行うようになる。たとえば約20年前に試作した「主体」号の色を塗り替え、1998年に再登場させ、「科学者専用通勤電車」として平壌から運行を開始。さらに2002年にはスイスから持ち込まれた中古客車を、工場従業員の弛まぬ努力により新製したと報道。また同じ年に清津市で開通させた国内2番目の軌道電車も、国内で新たに開発した車両であると伝えたが、実際は東欧の中古車が平壌を経由して運び込まれたものであった〉

 北朝鮮は廃車となっていた蒸気機関車を復活させようとしている。

〈半世紀近く騙し騙し使い続けてきた老朽化した日本製の蒸気機関車に頼るほかないほど、北朝鮮の鉄道は疲弊しきっていた。とうに耐用年数を過ぎていたこれらの機関車は、ボイラー爆発の危険もあり、引退させたいのは山々であったはずだが、新たに機関車を増備するにも資金が無く、北朝鮮鉄道当局は途方にくれていたのである〉

〈線路のバラスト(砂利)が間引かれ、腐敗した木の枕木も多く、線路の状態が悪いため、列車の事故が頻発する〉

 2004年4月22日に起こった竜川駅の列車爆発事故は北朝鮮鉄道事故地獄の断面を覗かせた。

 2004年4月下旬、私は中国・海南島の博鰲(ボーアオ)で行われたフォーラムに出席した。竜川の列車爆発事故が起こったのは、まさにその最中だった。半径500メートル以内の建物はすべて崩壊した。3千人もの人々が死傷し、その多くが駅近くの学校に通っていた子どもたちであったと言われる。

 一報が入ったとき、博鰲に滞在していた中国首脳陣の顔色がさっと変わった。その話を私はその場にいた中国高官から聞いた。中国訪問から帰国の途についた金正日を乗せた列車がそのころ、そのあたりを通過することになっていた。ひょっとしてクーデターではないのかと彼らは瞬間、疑ったのである。

 胡錦濤国家主席は最後まで博鰲での行事をこなしたが、幹部の多くは直ちに北京に舞い戻った(金正日は同駅を午前4時すぎには通過し、無事だった)。

 abuse(濫用する・酷使する)という英語がある。

 私は、この本を読みながら、独裁者によってabuseされる人々、社会、インフラ、そして鉄道の悲惨さを思った。

 著者は北朝鮮の鉄道は〈このままでは死を待つのみ〉であると告発している。

  それは北朝鮮の人間社会についても言える。


注1 90年代、経済・食糧難を抗日ゲリラ戦時のパルチザン精神で克服しようと呼びかけた。

注2 日本円で実勢約2円。北朝鮮国民の平均月収は3千~4千ウォンといわれる。

注3 故金日成主席のこと。

注4 金正日総書記のこと。