世の中、資格取得が目指されているが、現代社会で組織にぞくさず、無認可ではじめられる職業人として、アーティストがいる。
阪神大震災、東日本大震災、原発事故をへて、臨床哲学者はアートが社会とどのようにかかわるのかを問い続けた。
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藝大生ふたりは被災地支援の記録と報告会を行い、写真家は東北の村に入って新しい制作に取り組む。世界的に活躍する美術家によるインスタレーション(仮設構築物)、陶芸家の無人タコツボ販売所、美術家の焚き火の集い、工芸家による建築物のウクレレ化保存計画……美よりもなによりも面白さにひかれて始まるアートのさまざまな動きを具体的に見ながら問いかける――現代社会の隙間で「新しい社会性」はどのように胎動していくのか。人間の生きる技術としてのアートは教育、ケアの領域でも核になるのではないか。弛(ゆる)さ、弱さ、傷つきやすさをそのまま保持する勁(つよ)さとはどのようなものか。わかりやすさに負けず、いかに「わからなさ」を社会とアートの連帯の綴じ目にできるのか。
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芸術から生活技術まで、スキルから作法まで、《生存の技法》の文脈のなかで、素手でこじあけるアートが教育やケアの領域を横断し、未来の予兆を手探りする。これからの日本に必要な人間の生きる技術=「生存の技法」としてのアートと社会との錯綜した関係を読みほどく、臨床哲学者の注目の刺激的評論エッセイ。
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1 「社会」の手前で
2 巻き込み 小森はるか/瀬尾夏美の模索
3 強度 志賀理江子の〈業〉
4 アートレス? 川俣正の仕事を参照軸に
5 ゆるい途 もう一つの
6 〈社会的なもの〉
7 〈はぐれ〉というスタンス
8 点描
おわりに(「目次」から)